いわずもがな、君達は馬鹿である。人生でババを引いた者達だ。馬場を引くという事を詳しく解説する。
あなたはもし1万円の偽札を発見し、それが偽札だと確信したらどのような行動を取るだろうか?警察に届けるだろうか? もしその偽者の1万円札を警察に届けてしまったら、その1万円札は没収される。 それどころか「この偽札はどこから来たのだろうか?まさかこいつが・・」という疑いから 調書の作成や事情聴取、結構な時間を損するとする。 きみはそれでも偽札を「偽札を発見した!」と届けるだろうか? ほとんどの人間はしないだろう。
この偽者の1万円札を引かされることがババを引くという事である。
そのババを誰かまた引かせるか、もしくは最後までそのババを持ちつづけてゲームオーバーになるかのどちらかである。 当然、君はババを誰かに引かせるだろう。
日本の教育にはこれと同じ事が行なわれている。 いうなればまともな親とまともな家庭環境に生まれた時点でババを引いているといっていいだろう。
まともな親なら当然学校に通わせるだろうし、みんなと同じぐらいの教養を身につけようと、親切にも君の為を思ってそれをやってくれる。 学校を卒業したら就職する、就職できるか出来ないかはおいておいて 就職したら毎月20~25万の給料と2回のボーナスが入るだろう。
そして君達のような馬鹿達はその馬鹿達の輪で必死に競争を始める。 給料の手取りは毎月50万で役職は部長、いや、仮に毎月100万円の給料と それ以上のえらくて立派で誰にでも誇れるような役職者でも良しとしよう。
しかし毎月100万円の給料を受け取っている人間が果たして勝ち組だろうか?残念ながら最下層である。 これは哲学的なことではなく、”経済的にも最下層”であるということである。 ではホームレスはどうなる?彼らは負け組みだろうか?ニートはどうなる?彼らはそれ以上の悪だ!
残念ながらここまでにでてきた全ての例の人間は等しく経済ピラミッドにおける最下層者であり、 兵士で言うなら3等兵、良くて2等兵だろう。
この世界には何も働かなくとも毎月5000万入ってくる人間がいる一方、 がんばって働いて毎月100万だ200万だと、どんぐりが背を比べ、目くそがハナクソを見下しあう。 まして「オレのバイト先、時給1000円」「オレのとこは1100円だ、勝った」と言っているのは、もはやウジ虫である。
しかしなぜ時給1000円のウジ虫たちは、時給1100円の同じウジ虫に嫉妬するのに、 働かなくとも毎月1000万も2000万も入る人間達に嫉妬したり競争心をもったりしないのだろうか?
答えは簡単、ここに書いてあるとおりだからである。つまり”ウジ虫”だからである。 うじ虫は同じウジ虫だからこそ嫉妬したり頑張って競争したりしあう。
君も考えてみて欲しい。君は人間であるが、 人間である君は「何であいつらは自由に空を飛べるんだ?!俺なんか歩いてるのに、、不公平だ!ふざけるな!」とそれを飛ぶカラスに嫉妬するだろうか? それとおなじなのである。
もはや手取りが25万だとか時給が1000円だとかいう馬鹿達や奴隷どもは、おなじ馬鹿同士でしか嫉妬しないし競争をしない。
彼らからしてみれば働かずに毎月収入が1000万とか1億とか入ってくる人たちの事は、本当に目に映らないしいないのと全く同じになってしまう。
潜在意識で「いない者」、もしくは目には見えていても完全に意識には入ってこない。ようするに透明人間なのである。 (君達も町を歩いていて、鳥が目に映ってもそれを1羽見て「鳥が飛んでいるなー・・」 2羽見て「また鳥が飛んでいるな~」と思わないのと同じ)
毎月、不労所得で1000万も2000万も稼ぐヤツは確かに存在する。そしてどこの国にもどこの街にもいる。 しかし私達の目には見えない。
その証拠に今日も時給1000円のアルバイトをしながら、 君は「なぜ働かなくても暮らしていける人がいるのに、オレは毎日頑張ってお皿洗いなんかしているの?」 「私は毎日レジ打ちをしているの?」「僕はビルの清掃をしているの?」と思ったりしないだろう?
これを読んでいる会社員だって昨日会社に出勤する前に「 世の中には寝てても私の何十倍の収入が口座に振り込まれている人たちが大勢いるけど、自分はどんなにがんばろうがさぼろうが月に20万~30万の手取りが変わらない仕事へ今日もいくぞ~」と思ってもいない。
しかし世の中で、同じ社会で・・、 働かずに毎日お金も時間も自由に手に入る人たちと、週に5日も6日も、1日の半分以上の時間を労働についやして暮らす人たちが共存できるだろうか?できないのである。
馬鹿達は天才を許さない、馬鹿達は自分達が馬鹿である事を認めたくは無いしババを引いたという現実も受け入れたくない。
そこで一部の天才達は考えた。 いや、実際には一部の天才達とは、きみたち馬鹿の想像するような顔だけ暗く互いの顔が見えない、 いかにもな会議室とかで「これから我々はある計画を実行に移します・・」 みたいな悪党だの、ロックなんちゃらだの、フリーメイソンだとかといった類ではない。
実際には天才達は集結しないが、彼らは馬鹿と違い、自ら人生を選択肢できる行動も出来、 力もあるので、世の中の重大な事はしぜんと彼らが決定していき、自然に世の中がそういったほうへ流れて、そうなるべくなった結果である。
そして自然と、学校というものがいまの形へとなっていった。
君達は子どものころ「どうしてこんな何の役にも立たないものを毎日勉強するのだろう?」と一度や二度、いや、馬鹿ではなく普通の脳であれば常にそういった疑問を持つはずだろう。
しかしそれに抵抗は出来ないしまわりもそれから外れることを許さない。 皮肉な事に周りとは同じく馬鹿である、馬鹿が馬鹿同士で馬鹿を製造しあっているのである。
そして普通の脳であった子ども達も、やがてはその当たり前の疑問に疑問を持たなくなり、何年もかけてそのリズム、思考、パターンが刻まれてゆき、最終的には”優秀な馬鹿”が完成する。
“優秀な馬鹿”は長年学校と言う工場で精巧につくられたものなので実に優秀であり、 もう「どうしてこんな何の役にも立たないものを毎日勉強するのだろう?」という当たり前のことすら疑問におもわない。
つまり手取り25万で週に休みが2日しかなくても 「どうして働かなくても収入が入ってくる人たちがいるのに自分は・・」とは決して思わない。 冷静に考えたら当たり前の現実、当たり前の不自然にも何の疑問を持たなくなる。
ただ目の前に出された環境に対し、シュクシュクと同じ作業、山手線のようなグルグルと同じことをくり返すつまらない人生送り続ける。 つまらないと感じたら次は何をするかと言うと、さらに優秀な馬鹿を目指して頑張ったりもする。 もうババをひいた事に気づいてさえいない。 しかたないのである。
「自分達の一番楽しく多感な人生の時期を学校という工場で馬鹿として改良される作業に付き合わされた。」 などと誰が思いたいだろうか? ここまできたらもう大半の者が自分がババ(クソ・ウンコ)をつかまされた。 などという事など信じず、ウンコを大事に持ちながら 「これは決してウンコなんかじゃないんだ!だってみんなだって持ってるしやってるし、これが常識なんだ!」と、 馬鹿は自分が馬鹿だとは絶対に認めないだろう。
あげくに自分の子どもが生まれたら自分の子どもにすらウンコを押し付けるだろう。 その子どもも障害を持ってない普通の脳、神経なら「なんでこんなに臭くて役に立たないものが大事なの?」と当たり前に思う。
つまり「なんで将来使いもしない知識や勉強をがんばっておぼえる必要があるの?」と勉強に疑問を持つであろう。 まあ当たり前だが答えられる親はいないだろう。
本当に実際に役に立ったことなんて、掛け算九九か家庭科の調理実習、その他ちょっとした事程度である。 99.5%くらいの知識は実際に役に立たない。
そもそも学校とは、専門学校や訓練校などの実用的なものをのぞけば、 “将来役に立つような事を教える”という目的ではない。 あくまでも”馬鹿を製造する”という必要性の為、すくなくともいまはそういうものの為の存在だ。
「そんな馬鹿な」「極論過ぎる」「ありえない」 と思った?残念だがあなたも馬鹿のようだ・・。
その証拠をみせましょうか? あなたはこんな恐ろしい現実を明日、仕事に行く前には忘れてしまえる”優秀さ”をすでに持っている。 あたりまえのことに「なぜ?」と疑問をもつことすら忘れた相当に完成された奴隷である。
もう一つ、学校が馬鹿製造工場である事実に嫌でも気づく真実を言ってあげましょう。 残念ながら馬鹿には理解できないですし、出来たところで自分の人生がババ(クソ)であるなんていまさら信じられるものでもないでしょうけど。。 ではなんで私達は中学校、高校、大学で9年間も英語を勉強しているのに、日常英会話すらできないのでしょう?