2025年6月24日火曜日

【われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまうのだ】

 新たな情報環境がわれわれを作り直しつつあると論じている点で、この書き

  手たち(筆者注:この前記において「われわれは、より機敏にデータの消費者

  へと『進化』するのだ」、「脳の配線は、より多くの情報をより効率よく処理

  出来るよう必然的に変化するだろう」と述べられている)は確かに正しい。脳

  の深部に組みこまれている、われわれの精神の適応能力は、知性の歴史の基調

  を成している。だが、この書き手たちの保証が安心感を与えてくれるとしても、

  その安心感はきわめて冷たい種類のものだ。適応によってわれわれは環境にマ

  ッチした存在になるが、この適応プロセスは質的には中立である。最終的に重

  要なのは、われわれが変化する過程ではなく、何にわれわれが変化するかだ。

  1950年代、マルティン・ハイデガーは次のように述べた。前方に立ちはだかる

 「テクノロジー革命の波」は、「人間を非常に魅惑し、魅了し、惑わせ、欺く

  ものであるので、いつの日か、計算的思考だけが唯一の思考方法として、受け

  入れられ、実践されるようになるかもしれない」。「瞑想的思考」に従事する

  能力を、ハイデガーは人間性のまさに本質と見なしているのだが、脇目もふら

  ぬ進歩の犠牲に、これはなってしまうかもしれないと彼は言う。テクノロジー

  の騒々しい進歩は・・・(一部略)・・・思索と考察からのみ生まれる洗練さ

  れた認識や思考、感情を、かき消してしまうかもしれない。「テクノロジーの

  狂乱」は、「あらゆる場に定着する」恐れがあるとハイデガーは述べる。

  われわれはいまや、この定着の最終段階に至ろうとしているのかもしれない。

  狂乱を、魂のなかへと迎え入れようとしているのだ。

               ・・・(中略)・・・

  テクノロジーの誘惑は抗しがたいものであり、スピードと効率性が純粋な恩

  恵であるかのように見えるこの即時情報時代において、これらは議論の余地な

  く望ましいものであるかのように見えている。だがわたしは、コンピュータ・

  エンジニアとソフトウェア・プログラマーたちがわれわれのために脚本を書い

  てくれている未来へ、われわれは大人しく入って行きはしないだろうという希

  望をいまだ持ちつづけている。ワイゼンバウムの言葉[筆者注:ワイゼンバウ

  ム著『コンピュータ・パワー』(1976年、サイマル出版会)より。その要旨は

  「コンピュータは規則に従うのであって判断は行わない。主観性の代わりにコ

  ンピュータが提示するのは定式である。・・・能力のなさゆえにではなく、特

  別な才能のひらめきゆえに、決まりごとから逸脱した考えや書き方をする希少

  な人物を、”人工知能を基盤とした小論文自動採点システム”はどうやって見

  分けるのだろうか。ーー見分けられまい」]を心に留めてはいないとしても、

  われわれはみずからこれを考察し、何を失いそうになっているかに注意を払う

  責任がある。「人間的要素」は時代遅れで無用なものだという考えを、疑うこ

  となしに受け入れてしまったとしたら、とりわけ、子どもたちの精神の育成と

  いうことを考えた場合、それは何と悲しいことであるだろうか。

               ・・・(中略)・・・

  わたしは、『2001年宇宙の旅』の、あのシーンについての記憶を再び呼び起

  こす。アナログな少年時代のまっただなかだった1970年代に、初めてこの映画

  を観たとき以来、ずっととり憑いて離れないシーンだ。このシーンをかくも痛

  烈で、かくも奇妙なものにしているのは、精神が解体していくことに対する、

  コンピュータの感情的なレスボンスだろう。回路が次々閉じていくことへの絶

  望、宇宙飛行士に対する子どもじみた懇願ーー「わかるんだ。ぼくにはわかる

  んだ。こわいよ」ーーそして最終的に、無垢としか言いようのない状態へとそ

  れは戻っていく。 HALの感情の吐露は、この映画に登場する人間たちが、ほと

  んどロボットのような効率性をもって作業を行なう、感情を持っていないかの

  ような存在であることと対照をなしている。ここでの人間たちの思考と行動は

  脚本にのっとっているかのようであり、あたかもアルゴリズムの手順に従って

  いるかのようだ。『2001年宇宙の旅』の世界では、人間はきわめて機械的にな

  っていて、登場人物のほとんどは機械も同然になっている。それこそが、キュ

  ーブリックの暗い予言の核心であるーーコンピュータに頼って世界を理解する

  ようになれば、われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまうのだ。


引用元

これが正論だ!!

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