目標設定の重要性をまとめの最初のポイントに挙げておきながら、矛盾していると思われるかもしれない内容。
人間の知覚というのは制限されている。
認知は五感から受け取る情報はフィルターを通り翻訳される。
知覚的かあるいは言語的かに関わらず個々人の記憶という経験に依存している。
僅かに過去の光景に対して、主観的な経験値を加味したものを現実として認識する。
それは人によって大きな差があるかもしれないし、あるいはほとんど変わらないものかもしれない。
いずれにしてもその地点から思考で計画や目標を立てて志向性を持たせたところで、
また新しい計画や目標をつくるというループを延々と繰り返してしまう。
将来や過去といった時間軸、否定的考えや期待や切望なども全て思考であることには変わりはなく、
今に対する否定として機能する。意識とは受容力そのものなのでその原理に反している。
それが人間らしさの象徴であり、成長することなのだと言って仕舞えばそれまでだが・・・。
全ての物事を評価せず、加わらず、かといって逃げることもしない。
悟りや覚醒を神格化、概念化することでむしろその状態から積極的に遠ざかってしまう。
それはニヒリズムではないし、嫌な現実でも甘んじてやっていくしかない、とかいう諦観とも違う。
100%受容という境地。
今現在筆者が、常にそのような心境に至っているというわけではない。
不老長寿という単なる身勝手なエゴと邪な気持ちが凝縮されたような目標設定を掲げておきながら、
一方で今あるものを全て受け入れて甘んじるという矛盾した態度のように思われるかもしれない。
一見対局にあるように見えて実はほとんど同じようなことを指しているということは割とよくある。
どこにもいく必要がないから、どこにでも行ける。
失うものなどなにもないから、全てを手に入れている。
言葉にすると矛盾してしまうところに偉大な真実が隠されていることがある。
存分に迷っていいし、どこまでも追求してもいい。
そのようなこの世界がもつ受容力の高さこそが、人格を超えた人の性質もよく表している。
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