2025年4月24日木曜日

ムゲン異性交遊

ここしばらくはずっと筆が全く進まない、筆インポいやタイピングインポ状態だったのが妙に乗ってきた。春だからかな?

前回の投稿では極論、行為のための行為以外の代償行動には意味なんてないと大雑把にいえばそんなようなことを書いた気がする。

腸内環境レベルカンストで不老長寿、無射精交接無双を掲げていた身としては耳が痛い話だ。
健康になるために腸内環境をよくする、よりエネルギーを活性化させるために無射精SEXをするなんてまさに交換条件そのものだ。

健康でいること、満足した性生活があることは独立して完結したものとして受け入れればいい。


とはいうものの、枠組みとして相補補完の陰陽和合・精気神というアイデアは使わない手はない。

それぞれ完結に言い表すとするならば、

・相似形のような類似の構造同士で引き合う
・”自分にない要素を持っている”という共通項で引き合う
・体の相性がいい
・性格が合う
・考え方が合う

そして結局のところこれらを満たすことが、異性に求める主要な条件だ。

ブログテーマ的にもわかりやすく男女の関係性で例えるが、あらゆる場面で適応できるとおもっている。

例えば、”類は友を呼ぶ”という考え方の発展系として、”似ている同士が引き合う”という現象は起こりうる。
同じような背格好、スペック、所属グループ同士でくっつくのはよくある話だ。

しかしあまりに”引き寄せの法則”的な考えに縛られすぎると、目の前にせっくすせっかくのチャンスがあっても見過ごしてしまう。

「この相手は自分に相応しい運命の相手だろうか?」

世の中には身長差の大きいカップルやヤンキーとオタクの組み合わせだっていくらでもいる。
これは”自分とは違う要素を相手が持っている”という点がお互い共通しているから引き合う、ということで一応説明がつく。

個人的には「筋トレしてテストステロンレベルがアップしてモテモテ」みたいなロジックがあまり納得がいかないのは、
それがあまりにも商業主義的な理想論だし、観察される「例外」が多すぎるからだ。

ガリガリ細メガネ根暗陰キャでも彼女はできるし、ジムとプロテインとは無縁のままデキ婚することだっていくらでもある。

話が逸れた。

似たもの同士であっても、凸凹コンビであっても上手くいくということがこれで完全に証明されたので次の項目へ移る(完全な証明とは)。


精、気、神という分類があまりにも大雑把だけれど、
それぞれ下丹田、中丹田、上丹田に対応するとされている。

丹田自体が仮説というかエネルギー中枢を指す言葉なので、さらにややこしい。
思い切ってそれぞれ

・性器、身体性
・気持ち、感情的
・考え方、価値観

と割り切ってしまう。

ブログテーマ的にあくまで異性との関係性を表すとするならば、

「カラダの相性がとにかく良い」
「いっしょにいて楽しい」
「価値観が似ている」

これらを全て満たすのが理想のパートナーである。

細かくブレークダウンしていけば、もちろん無数の項目を書き出すことができる。
事前に質問に答えてAIでマッチングさせていくのは主に「考え方、価値観」の部分で、
その他2つは実際に肌を合わせたり、自分の感じ方を観察してみなければわからない。


”カラダの相性”というと何だかいやらしく聞こえてしまうかもしれないが、
もっとも原始的で直感的で、信頼できる基本的な部分だと思う。

実際の場面で想定すると「食事を食べるペースが合う」「手を繋いだ時に一致感がある」「目が合ったり振り向いたりすることが多い」など。

体の相性だけが良い関係性は、良いセックスフレンドになれる。


”一緒にいて楽しい”という項目を理想的な異性として挙げる人は少なくない。
これは特に中高生以降くらいの比較的成熟してきた男女両方に見られると思う(当社比)。

楽しいつってもウケ狙いの笑い上戸ならいいというわけではなくて、
笑ったり泣いたり怒ったり親身になったり、感情ベースの共感ができる関係性ということだ。

青年期くらいのカップルから感情的要素が大切で、
精神的な成長と将来への不安、日常の様々な出来事に対する同じ目線など
共有できる異性がいると安心できる。
熟年夫婦や”気”の合う異性の友人にも見られる傾向だ。


”価値観が似ている”というのはより高次の欲求で、よく理想の結婚相手について記述される部分だ。
古くは「良妻賢母」とか「高身長・高学歴・高収入」とか言われたのも、広義には価値観マッチングに分類される。

何となく打算的で浅ましい言い争いに聞こえてしまうかもしれないが、
理想的なパートナーシップを結ぶ上では将来設計や危機管理能力、
別のライフステージに移ったときでも関係性を継続できるかは大事なポイントだ。


ざっくりと噛み砕いたが良い感じの異性との関係は程度の差こそあれ、
上記の3つの分類のうちそれぞれの要素をそれなりに満たしている。

少し前に流行った”蛙化現象”はかなり浅いレベルでの理想論と身体性の希薄化のミスマッチに過ぎないし、
「いつもクズ男、SGMNに引っかかる」というのは木を見て森を見ず、という一言に尽きる。


より大胆な提言をするなら不倫や早期あるいは晩期での離婚はそれら自体が問題ではない。
考え方や価値観が変わったり、体の相性が合わなかったり、あるいは価値観だけで考え過ぎてしまった当然の帰結だと言える。

単に社会的な要因でなるべくしてそうなっているだけなので、赤の他人がバッシングするのはお門違いだといえる。

絶対的な悪女、クズ男が存在するのではない。属性は組み合わせによって相対的に規定されている。
固有のステータスという杓子定規な考え方だと、
選択肢も狭まるし「どうせ私は器量がよくないから」とか「金も地位もない俺には高嶺の花だから」とかよくわからない言い訳の素材になってしまう。

「生まれつきの性格は変わらない」とか挙句「来世はきっと上手くいく」とか頓珍漢な結論に行き着いてしまう。

スペックとか理想論とかではなく単に組み合わせ、マッチングの問題なのだ。
そして3つの項目はそれぞれ変数で構成されており、自己内あるいは他者との関係性の中で相対的、暫定的に決定されていくものなのだ。

まぁ今回だめでも次またちゃんと選べばいいだけだから大丈夫。
ありがたいことに世の中には男女が無数に存在するし、何タームか挟めば元鞘に収まることだってある。

「理想の相手」と出会えないケース、というのは前にもどこかで書いた気がするが試行回数が足りない。
モテる人間は男女問わずアプローチ、接近の機会の分母が圧倒的に多いだけ。顔面の美醜はファクターとして大きいが、数ある要素の視覚的な一部分にすぎない。その他スペックなども同様。

そして失敗をマイナスに捉えず良い側面を見ようとする傾向にあるだけだ。
100人行ってダメなら101人に告白すればいいし、遠くから伺ってないで本人にきちんと好意と感謝を伝えるようにする。もちろんストーカーにならない程度に。


まあだから、どんなに筋トレしても、巧みな話術で笑いをとっても、熱く将来の理想を語っても、
基本的な部分が合わないと感じたら合わないから仕方ねぇよなっていう話。



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