2025年9月24日水曜日

自己管理

特別なツールは何もいらない。
スプレッドシートやNotionなど出先で管理できる無料のメモでもいいし、
最悪スマホやPCのメモ帳でとりあえずは十分。

スマホは水没したり、PCは落雷で飛んだり、クラウド系はNevernoteみたいにサービス改悪で使い物にならなくなったりするので
外部ストレージや複数サービス・アカウントを使い分けるのはいずれにしても必須。

手書きは基本だけれど、年単位で把握できる形式でまとめておいた方が便利。
長年やってみての感想。
日々の気づきやインスピレーション、思いつきなどはメモしておいて、
週次や個人的なワンセット、タームごとに目標値や実践項目をまとめておく。

その時々に何を思い、何をどう試して、成功・失敗したかどうかの蓄積が何よりの宝。
実践に対してプラスになるか、差が測れるかが。
それが他人の体験談や先人の情報にあるかもしれない、という程度の扱いになり、
自分の実践歴ばかり参照するようになってくる。他人ほど関係ない存在はない。

それぞれが自分だけの性エネルギー活用秘法を作り出すのである。


今は日毎、月ごと、タームごとに別の形式でまとめを作っており、
それとは別に思いついたときに手書きノートをいくつか分けて作ってある。

いくつかのモードを切り替えながら生きている感覚があり、
それぞれの時間軸と思考法との距離を無意識に計りながら、たまにごちゃ混ぜにしていると
新たな発見があったり、どうでもいいと全て放り出したくなったりする。

全て放り出した先にまた発見があったりするから面白いものでもある。


どんな人と付き合うかを自分で決めていくのがとても大切だと実感する日々。

イケイケ&アゲアゲなパーティピーポーがいいってわけではないけれど、
自己肯定感が低いのに他人に対する要求が肥大化した、精神的ワガママBODYな人とは
一定の距離をおいておくのはとても大事だと痛感した。

それによって何かが得られるわけではないけれど、消耗することは大幅になくなるので精神衛生上いい。

ちなみに自分自身は勝手に自己肯定感マックス状態。
蓄精を15年とか続けて、体を通じていろいろな情報を日々実感と共に学べば
下を見て優越感に浸ったり、上(なんてほぼないので先人たち)を見て劣等感という
比較の上で自己の位置を定めるということ自体がなくなる。

たとえば非日常の環境に触れたり、新しい出会いで刺激を得たり、イケてる人間と付き合っているからと言って
自分も何かステージが上がった存在になったという錯覚を楽しむこともできるのも知っている。
しかし自分はどこまで行っても自己から離れられず、自我が膨張するほどそれがわからなくなっていくので、
イケイケ&アゲアゲなピーポーからも一定距離を置いておきたい(まぁ向こうから近づこうと思わないだろうけれど)


どんな場面においても蓄精的な価値観に根ざしている。
何かを習得したり、獲得したりすることによるプラスされていく高揚感よりも、
マイナスでしかない要因を意識的に遠ざけること、阻害されなくなることの方が長期的に見てコストパフォーマンスに優れる、という価値観になってくる。

短期的にははたから見れば無意味に損していたり、禁欲的すぎるように見えても
1年、3年、5年、10年と同じようなスタンスで継続するとじわじわと違いが顕在化してくる。

即効性がある安易な方法に飛びついた場合ほど、長い目で見ると苦しむのが長くなる場合もある。

90日を1タームとすると1年と言っても4タームしかなく、3年続けてようやく差が出てくるかどうかというところなので、
気長に捉えて長い目で取り組んでいきたいものである。

2025年9月14日日曜日

DBSとの関わりを一切絶ったら生活の質が上がった

 


DBS(DeBuSuの略)の定義は人の数だけある。
ここでは体重が3桁台とか見てくれが醜悪とかは無関係に、
早食い✖️大食いを兼ね備えている人間をそれと定義する。
男性であれば烏の行水、風呂に長く浸かっていられないという要素も入ってくるかもしれない。

外的な環境と時間配分、それと人間関係によって人の生活は形作られているが、
その一角を占める人間関係を徹底的に見直すことによって生活の質が上がった。

どうしてDBSとの関係性を断つといいのか考えていた。
振動数・波動・波長が合う人間と一緒にいるといいとか、
はたまた質量がデカいと発生する引力・重力がこちらの気を吸い取ってしまうのかとか
オカルトな思考を繰り広げていたが、単純に食生活に起因することだった。

大人になると付き合いとして、誰かと外食をすることは避けられない。
新規の出会い・既存の継続、異性同性かに関わらず飯を一緒に食べることで
対人関係は円滑に回っている。

その同席する人間が、毎回大盛りや高カロリーなものをハイペースで食べていたら、
無意識のうちに僅かにそちらに寄せてしまうことが増えて、
結果的にそれが1週間に1食だとしても、月に4回、年に48回となる。

1日3食で365日だったとして0.04%程度の僅かなパーセンテージだったとしても、
それが完全にゼロだった場合と比較すると無視できない。


ちょうど約1年前に咀嚼回数を徹底して一口三十回以上に増やす試みを始めた。
最初は便が硬くなったり、発熱したりなどの抵抗感があったがすぐに好転した。
今はそれが4ターム目(精子の生産1サイクルを大まかに90日として)に入っている。

小麦製品を抜くことを始めたのは今年の春頃なので、今2ターム目に突入している。
まったくのゼロにできているわけではないが、1ヶ月にパン1個程度や天ぷらの衣程度などかなり全体として比重が少ない。

パン・麺類・菓子類が基本的にNGとなるので、日常の食材はもちろん外食・会食でもかなり制限がかかる。

卵か鶏かどちらが先かはさておき、結果としてDBSとの関係性が一切なくなった。
ファストフードやおしゃれな外食、一定のカロリーを満たしているものは小麦製品が基本になっているものが多い。
混んでいる店内でハイペースで食べることは消化に悪い。


体に合わないものを、不適切な食べ方で、高頻度に摂取している。
これが何かがうまくいかない、噛み合っていないということの大きな要因になる。

断食や◯◯ダイエットを一定期間行って、その期間好転するという現象はおおよそこれで説明がつく。

単純な話、部屋の空気を入れ替えるとか水を1杯飲むとかだけでも
その前後で比較して微妙に振動数が代わるので、現象もそれに合致したものになる。

特に食と対人関係は密接に関係しており、それによってタイムマネジメントの融通が効くようになり、
居住地や行動半径も変わってきてトータルの運も変わっていく。
徐々に・・・と感じられるけれど思ったよりもリニアでシームレスに、即時的に変わっていく。


その他に実験的に取り組んでいることもいくつかあるが、これはまだ試験中。
長期的に(4タームくらい?)継続して、客観的に計測できて再現性がありそうなら公開しようかと思う。

いくつかの要因を洗い出しながら、原因と結果を入れ替えつつ検証していくと
最終的にけっこうシンプルな結論に行き着く。
毎度自分の体を通して行うライフハックで、面白いと思う部分である。

完全に徹底する。
100%やりきる、もしくは全くなくしてゼロにする。
そのどちらかに振り切った場合、その人に設定されたパラメータの該当項目がカンストする。

完全に委ねるとかゼロに帰る、100%潜在意識(ハイヤーセルフ、法則、神など)を信頼するなど。
様々な表現で伝わっているそれでうまくいかない場合は、実践のパーセンテージが中途半端なのだ。

よく言われるように「努力が足りない」とか「センスや才能がない」とか「時間が不足」とかではなくて、
単純にそれが100にも0にも振り切っていないだけだと考えている(つまり前述の食や人間関係の項目でも、まだ振り切れる余地がある)。

どのような場面、ジャンルにしても徹底的にこだわるか全くやめてしまうかのどちらかに絞る。
重要度が低く、ストイックすぎてきついと思う部分はたまに息抜きもOKにする。

完全菜食、断食、100%小麦抜きもデメリットがないわけではないので、
自分なりに定義をしてその中でしっかり決めた原則を守っていくことが重要。
◯◯ダイエットとかXXメソッドみたいなものは参考程度にとどめて、
あくまで他人の感想、よくて過去の客観的な事実なので自分の生活の原則や定義に持ち込まない方がいい。

自分のバランスホイールは自分しかわからず、隠し要素も色々とあるので
楽しみながら実践していけばいいと思う。