2024年9月22日日曜日

『運命の貴族となるために』より第2回 3つのマインド

引き続き『運命の貴族となるために』より引用。

役に立つと思った情報は補足するが、
人体の仕組みを基本として個人に合わせてチューニングできる健康法などとは異なる。
あくまで宇宙の法則についての原則なので余計なことは極力書かない。

この法則はもちろん私が発見したものでもないし、
むしろ著者自身が発見したものですらないと本の中で名言されている。
できるだけスポイルしない形で書き写していく。

心の働きについて解説されているとても重要なチャプターだ。

「心、マインド、意識、意識する、本質」など日常で使われる表現と
あえてここで表現したいことが日本語と英語でそれぞれオーバーラップしている。
英文で目にしたときと印象がけっこう異なる章でもある。

筆者asは英語が堪能でないが「えっそんなこと書いてあった?」と日本語版を見直すことが多々あった。

心はたった一つしかない。

いくつもの心といっても、一つの心を色々に表現しているにすぎない。
それとまったく矛盾するようだが、ここでは三つの心の形態について話さなければならない。

あなたは三つの心、マインドから成り立っている。


1.より深い心、ディーパー・マインド
 体を機能させている心。
 この心に関しては特に心配する必要はなく、むしろ気にしなくていいと言った方がいい。
 
 私たちは体から意識をそらすことによって

 (※原文はby keeping our thoughts off the bodyとなっている
   意識:consciousnessではなく、考えや思考と捉えてよいと思う。)
 
 この心と協力して、健康や体力増進を図ることができる。
 この「より深い心」が正しく機能するのを邪魔さえしなければ、とても上手く作用する。

2.内なる心、インナー・マインド
 あなたの中にあるパワーの源。

 (※原文はseat of powerなのでカタカナ英語でいうリソース(resource:供給源)というよりは
   所在地、中心など内側のポジションを指している印象)
 
 その本質として「内なる心」には自ら判断して良し悪しを決める機能はない。
 その結果、意識の迷いがない。

 (※–by its very nature, has no consciousness of duality because it has no faculty of discrimination.となっている。

 このあたりは複文が連続している。後ろから順番にみると

 faculty: ある特定の分野の先天的または後天的な能力
 discrimination:区別、識別力
 consciousness:意識。これはそのまま常用の意識と同じでいいと思う。
 duality:辞書を引くと二元性二重性と出てくる。日本語訳は二元論的な、というニュアンス。

 「(内なる心は)本質的に、識別する能力がないために二元論的な意識は持ち合わせていない」というようなニュアンスだろう。)

 「内なる心」は不可能、失敗、障害、限界、不足というものを知らない。
 「外なる心」が行けという方向に向けて、制限のないすごい力を発揮することができる。

 (※It depends upon the guidance of the Outer Mind and throws its great, unlimited force into anything that the Outer Mind may direct it toward.となっている。
  ここは慎重を要する。

   前半の”It depends upon the guidance of the Outer Mind”
   「「内なる心」は「外なる心」の誘導に依存している」
 
   後半の”throws its great, unlimited force into anything
   「「内なる心」はその偉大で無制限な力を何にでも投じる。「外なる心」の示す方へ。」

   こう訳すと「本来は無限の力を発揮できる「内なる心」が「外なる心」に対して
   隷属的な立ち位置になってしまっており、力を散逸してしまっている状態」が理解できると思う。)

3.外なる心、アウター・マインド
 五官という媒体を通じて外部と繋がっている。
 希望を「内なる心」に伝えることが役割。
 
 (※—is to transmit its desires to the Inner Mind,となっているので「欲望を伝達する」くらいのニュアンスも感じられる。  
   個人的には煩悩とか雑念もOuter Mindの働きによると解釈できると考えている)

従って「内なる心」と「外なる心」が協力していれば、
人間は状況の奴隷になる代わりに状況を司るマスターとなるだろう。

ではなぜ人は人生で状況を司る者になれないのか?
「外なる心」が欲望を作り、「内なる心」に自動的に取り上げられる。
しかし「内なる心」は十分に力を発揮することができない。
「外なる心」が次々欲望を見つける。
またはありもしない障害を作り出したりするからだ。

(※最後のセンテンスは”conjured up illusionary obstacles to the desire”となっていて、
 「欲望、希望に対する幻の障害を(呪文を唱えたかのように)あっという間に呼びだす」というようなニュアンスだ。)

「内なる心」は外部との接点がないので「外なる心」の意のままになるしかなく、本来の力を発揮できない。

人々は日々外の世界での体験を写真に撮ってから、それを自分の中に焼き付けている
この過程を全く逆にするべきである。

私たちは望ましい絵をまず心の中に描き、
自動的に周りの世界に焼き付ける力と能力を持っている。

 ※原文前半は”We have capacity and the power to create desirable pictures within,
  ここで心の中に描くとしてしまうと「内なる心」と混同してしまい非常にわかりづらい。
 「私たちは望んだ映像を内側に作り上げる能力(capacity:伸ばせる容量や才覚といったニュアンス)と力がある。

 ※後半”and to find them automatically printed in the outer world of our surroundings.”
  それを自動的に外の世界へ焼き付けているということを知る」という訳でいいと思う。
 
 マスターはあくまで
「「内なる心」が「外なる心」と協力しあい望んだことを滞りなく達成しているのが正常ですよ、努力はいらないですよ。
私たちは元々それができます。順序が逆転して振り回されているから、疲弊しているんですよ。」
という立場で法則について説いている。

後でわかると思うが、これは実に簡単なことだ。
これができればあなたはマスターで、できないうちはまだマスターとは言えない。

(※When we can do this, we have mastery.And not before.となっているので、
 「これができれば私たちは支配権を習得したといえるが、そうできないうちはまだだ。」
  というようなニュアンスになるだろう。
  主語がWeになっているのは私(マスター)とあなた(読者)に本質的に差はない、と強調されている感じがする) 

かなり補足が入りすぎてしまった。

Deeper Mind/Inner Mind/Outer Mindという区分は非常に独特だ。他では見たことがない。

願望実現系で心の働きは、超意識・顕在意識・潜在意識や無意識、
エゴ、インナーチャイルド、ペインボディ、守護天使やハイヤーセルフなどさまざまな表現でなされている。
仏教の唯識では五識、末那識、阿頼耶識など細かく心の働きを分けて厳密に定義している。

(誤解を恐れながら)願望系を参照してざっくりと言えば
・ディーパーマインドは体の呼吸や鼓動を司る無意識としてみんなノータッチな部分。
・インナーマインドはみんな大好き万能な潜在意識、別の領域などの打出の小槌。
・アウターマインドはみんなの嫌われものエゴ、自意識、顕在意識などだろう。

私が『運命の貴族となるために』流こころの三分類法を気に入っていて採用するのは、
仙道や氣功を採用するのと同じような理由からだ。

あくまで原理・原則だけ、機能・メカニズムついて語っていて、自己内で完結できる定義だからだ。
働きだけに着目すれば、対象や状況が変わっても応用して考察することができる。

潜在意識とかエゴとか持ち出してしまうと
「思いの強い方が勝つ」という脳筋プレイヤー的発想や
「願望なんて全部エゴ。丸投げでおk」とか
「とりあえず南無阿弥陀って唱えればいいんすよ」的な親鸞スタイルになってしまう。
集合意識とか持ち出された日には「インフレバトルマンガかよ」みたいな感想しか出てこない。
どれもそれぞれの世界観では間違ってはいないが、法則性は感じられない。

あくまで法則であってルールなので「解釈によって多少異なるよね」とか
「丸投げしておけば大丈夫」みたいな個人差ガン無視なスタンスは一旦排除した方がいい。
ちなみにマスターの教えでは一度も「引き寄せの法則」とは言っていないのもポイントだ。

その上で次回以降の章に繋がるのだが、意外と現実的で堅実な論調が展開されていく。

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