2024年9月22日日曜日

まだシコって消耗しているの?第3回 神について

まだシコシリーズの第三回。

 生命の原理・原則に則って行法を行うにあたって、精神力を司る「気」と肉体の活動源となる「精」の関係性がわかった。
第3回ではあまり触れられることがない「神」について仙道の視点から解説する。
 


霊があるから神を得る

 「神」とは意念と霊能のこと。動物・人間には全て「霊」がある。
「霊」とは生まれたときに天地から一回だけもらったもの。「霊」があるために人間は天地から「神」を吸収できる。

 霊による能力を霊能という。霊能が有情化(意識して行う、意識するようになること)したものが「意念」という。

どういうときに霊能が有情化するのか?

 たとえば元気のない時、自らを奮い立たせようとして意識的に気を奮い立たせようとする。
これは無理に意念で元気を補おうとしているといえる。
意念で元気を補うことは効果のある方法だが、その代わり今度は意念に不足をきたす。

その意念の不足を補うために、霊能が有情化する。


3回に渡って追ってきた内容をおさらいする。

天地から生まれた時に受け取った霊があり霊能を意識することで、有情化して意念となる。
意念は元気を補うときに使われる。

天地の気を吸収して自分の気として使う。
精液の浪費や過度の運動、活動を補うために有感化して陽気となる。
有感化した陽気は方向性の伴うエネルギーなので、元気のみなぎる方向を感じ取ることができる。

天地から吸収している精は生活に必要なエネルギーとして精力に、一部は有形化して精液となる。
精液を享楽として消費すると、体の中から出て行ってしまう。

「センズリぶっこいている場合じゃねぇ」ということがよくわかる図式だ。
次回は「仙道とはなにか?」について解説する。

0 件のコメント:

コメントを投稿