2025年4月24日木曜日

同調と圧力

日本に生まれ育っただけで、相対的にはかなり恵まれて幸せな環境にいるといえる。
決して他の国をディスったり、貶めたりしている訳ではない。
実際さまざまなデータでは国民所得や幸福感などの観点において、先進諸国の中では下位に位置している。
しかしあくまで主観として、そして観察の結果としてやはり恵まれているなと思う。


そんな恵まれた環境下においても対立構造は存在する。
人種や貧富の格差というよりはイデオロギー的な対立であり、それはあるタイミングを境に激化しているように見える。

そこには経済的、社会的な地位の差異や学力的な意味における賢さや頭の良さも多少は関係しているかもしれない。
意図的なのかもしれないが、高い知力や財力を持つ人間が、
現在の倫理的・社会的規範においてはどう考えても誤りあるいはミスリードしているとしか思えない例もあるので、
あるいは頭の良し悪しは関係ないのかもしれない。

私はTV世代ではないからそこはよくわからないが、Netflixは契約している。
「イカゲーム」という作品が社会現象になっていたはずだ。
ヒットした作品の続編はつまらないという法則を無視して、2も負けずに面白い。

イカゲームではおぞましいデスゲームが行われるが、その参加者の多くは究極二択を間違えた人たちで構成されている。
レートが悪すぎるギャンブルに半ば強制的に参加させられるが、
そもそもその会場に足を踏み入れている時点で、正誤判断をミスりまくってきたという側面もあるといえばある。

それがまた視聴者の共感を呼ぶ構造にもなっている。


創作物なのでそれはそれとして、何が正しいのか正誤の判断が難しい場面というのが現実場面にも存在する。

現実はマークシート式ではないし、与えられた語群から適切なものを選べるわけでもないし、
途中式が合っていたら部分点をもらえるわけでもない。

イエスかノーか、受け取るのか拒否するのか、進むの留まるのかなど
物理的な行動としてしっかりと結果が反映される。

とある選択の結果が後々間違っていたとわかったとする。
その選択の論拠をできるだけ自分が集めたデータを元に、
自分で考えて判断したものだとしたらある程度受け入れることができる。
次(なんてないかもしれないが)は間違えなければ良いだけの話だ。

問題はある選択を「周囲の人間や集団の圧力によって選ばされた」と主張する人間だ。
これは「広告でエッチな映像が流れてきたから、ついついタップしてシコっちゃいました」みたいな言い訳にすぎないと思う。

人間は社会的な生き物なので、集団や環境の影響は好むと好まざると受ける。
しかし判断の根拠を他人や環境のせいにしすぎるとよくない。
もし正しい判断ができた場合は得るものがないし、間違っていた場合は次も間違える。

彼らはわかりやすく他力本願なので、カルト紛いの霊感商法じみたものやセミナー、サロンなどに入信してさらに搾り取られる養分と化す。



一方で自分で判断できる力を持った側、圧力をかける方はさらなる問題となりうる。
圧力を正しく使った場合はカリスマやリーダーシップと捉えられ、集団を導く存在となる。

しかしもし判断に何の根拠もなく、雰囲気だけで行なっているのならば
選択問題がたまたま当たっているだけのイカゲーム直行予備軍だ。

圧力をかけた上に選択が間違っていた場合、しかもそれが意図的な場合は
かなり強い言葉でいうと殺人教唆、自殺幇助のようなもので、
責任を問われても負いきれないレベルの取り返しのつかないことになる。


人間は集団で生きているので、多かれ少なかれ軋轢や摩擦は発生する。
圧力は誰もが無意識に感じながら、掛け合いながら生きている。
意識的に圧かけるのはできればやめていただきたいが、そうすることでポジション的に得する人間が多いのも事実。

私もこれを読んでいる一般ピーポー(死語)と同じで、社会的にはやはり弱者である一介の小市民に過ぎない(失礼すぎ)。

圧力自体、避けることができないものならば、同調しなければいい。
自分で考えて自分で決めて選択するだけでいい。
選択が合っているかどうかはその次の段階の話で、まずはスタート地点に立つこと。
そしてその繰り返しだ。


ブログテーマ的に考えて、さらに蛇足ながら追加すると、
中心感覚が養われると直感がもっと使われるので、気や波動などの感覚がわかるようになってくる。
わからないならそれはそれでどっちでもいい。

自己という感覚、認識ができあがっているからこそ、
相対的に他者や物体、場所などの固有の振動数みたいなものがわかってくる。
元から天性で感覚が鋭い人ももちろんいる。

この場合、社会的なアイデンティティを確立するという意味の自己ではない。
それは自我の延長線上にある共同幻想のようなもので、
たとえば電車で隣に座った女性の髪の毛を触ったら痴漢だが、
空いている電車に落ちていた髪の毛を拾っても(怪訝な目で見られるだろうが)べつに捕まらないというようなレベルの話だ。

自己と他者というのは絶対的な区別はなく、あくまで相対的な距離にすぎない。
自己は、例えば免疫機能を考えればわかるように「確立」したり「獲得」したりするものではなく、
生得的に分類されている個体ということだ。


話をもどすと、他人の意見に簡単に流されないことと自分でパワースポットを見つける
というようなスキルは離れているように見えて本質的には同じことだ。

同調圧力という何とも都合のいいワードをきっかけに、
それを要素分解してみて何か行動の変化にするといいかもしれない。


2025年4月22日火曜日

依存と禁断症状

本人が色々と語っている動画をちょっと拝見したけれど、前後関係や背景などが支離滅裂でよくわからなかった。

上記の件を部外者として自分ごととして捉えるとすると「クスリはダメ絶対」ということに尽きる。

上の記事は多分個人のブログだが、タイに駐在している人のTwitterの投稿引用をされている部分が印象的だった。

要約すると、
覚醒剤が日本で生成され、医療用から軍事使用に転用されてから戦後民間に流れ、
ミャンマー経由でタイに流入してきた経緯が書かれている。

ちゃんと情報源を追ったわけではないけれど、薬物にも歴史的な背景があり、
何らかの意図で需要と供給がマッチしたビジネスとして成り立っていることを忘れてはならないと思った。

上記の著名人はとても極端な例で、情報商材やFX、不動産投資などで成り上がってきた経緯に
家族や交友関係、土地柄など複雑な要因で現在自白するに至っているようだ。

まったくの人ごとではなく「私たちは何らかの依存症なのではないか」と疑ってみたい。




かの公明正大なる機関、厚生労働省が定義を簡易的に説明している。
「特定の何かに心を奪われ”やめたくてもやめられない状態”にあること」が依存症だとされている。

続けて「物質的な依存」「プロセスへの依存」という大きく2種類があり、
「誰かが困ること」が問題だとされている。


薬物であれば、例えば覚醒剤などを摂取したことがトリガーとなり脳内の報酬系がハックされ、
「自分の心身の健康」「家族など近しい人間への影響」「次の薬物を欲する」というスリーカードなのでわかりやすい。

薬物のようにわかりやすくNGなものだけではなく、現代社会には確実に依存症が蔓延っている。

このブログ的にいえば、
オナニー・異性との射精行為、食品(加工品、米、小麦、化学調味料など含む)、
SNSや大手メディアを含む情報、お金・資本主義という共通幻想など。

物質、プロセス、洗脳的手法を絡めてかなりがんじがらめになっているといえる。

「生きる上では必要なこと」とか「程度問題だ」とか「みんなやってるから」とか騙し騙し続けてきているだけで、
自身の健康を害したり、他人に不利益を被らせたり、次から次へと欲するという連鎖構造になっているという意味では立派な依存症だ。

いじめや殺傷行為・紛争などの暴力行為、ブラック企業や低賃金労働、性や小児に対する虐待や搾取など
諸問題の根底には歪な構造の問題と自己に対する認識の誤りがあり、
それぞれの悪い部分がクロスしているところにわかりやすく問題として顕在化している。


完全に全ての依存症と洗脳から抜け出ることは容易ではない。
しかし少なくとも自分が何に対して快を感じて、それを繰り返しているのか、
制御はどの程度可能なのか、そもそも依存症という構造に気がついているのかなど
各人が問い直していかないと思う。


「環境が大切」とも指摘されるが、外部の環境はそのままイコール自分でもある。
情報空間に対する認知が自己意識とほとんど同じになりつつあるが、
それを疑うのはもちろん、目の前に展開している物質的な現実に対しても疑っていきたい。

わかりやすいのは”指差し実験”を行うことで、自分と他者や物質との分離を言語的に生み出しているということ自体に気づくことだ。

分離という概念は所有という幻想になり、欲する・失うことを恐れるという空想へとシームレスに展開していく。

その思考が進むのと同時並行的に、身体的にアンカリングされている依存構造が大脳の神経系で発火して、
禁断症状のような状態で次へ次へとドライブされていく。


”美味しいものを食べすぎてしまう”とか”異性に好意的に見られること”とかもかなりプリミティブな依存系なので、私も完全に抜け切れている自信はない。
いつでもフラッシュバックでループに飲み込まれてしまう可能性はある。

おそらくスマホを日常的に使用している人間は情報中毒になっている。
スマホという端末自体に依存性があるのではなく、とめどなく見ることができる情報を得るというプロセス自体に依存している。

知人には抑うつなどの症状と関連して薬品を摂取していたり、為替や投機、仕事のストレスなどから同様にアルコール依存になり、薬を飲んでいる人間がいる。
こうなるともうどうにもならない。
原因ではなく結果に対する対症療法でしかない薬物(あえて過激な表現をする)と上手に付き合っていくしかない。

性エネルギーのコントロール、あるいは逆に性行為に対する不全感なども
ストレスやアルコール、薬の摂取とも密接に関係してくる。


成人男性全員が少なくとも月に1,2度までの性行為による射精にとどめ、
それ以外は小周天、射精の伴わないスローなSEXで還精補脳していく以外道がない気がする。

”古代中国から伝わる皇帝術”みたいな怪しげな密教みたいにせずに、
ホットヨガとかピラティスみたいな当たり前の健康法として(単修法にしろ双修法にしろ)性エネルギーのコントロールを体得していくしかない。

(追記)

==

ここは論理的な飛躍があるかもしれない。
別に成人男性が全員性エネルギーを制御できても、完全なる調和になるかどうかはわからない。

私はミニマリストでもマキシマイザーでもないけれど、
極端に偏った思考はあまり碌なことにならないような気もする。

性に関しては明らかに誤った考え方が意図的に植え付けられてはいるけれど、
それが外れたからといって何もかもがいきなり解決するわけでもない。

だからこそ、

==

すぐに性エネルギーを完全コントロールするなど無理な話なので、
少しずつオーガニックで依存性の低い行為に置き換えていく必要がある。
例えば自転車で走ったり散歩をしたり、温泉に浸かったり、呼吸法を行ったりするなど。

物質、プロセスへの依存度を低めて、思考と認知を監視しながら、自己完結できる方法を模索していきたい。



2025年4月21日月曜日

夢精を克服する

筆者が10代後半に差し掛かる頃、1週間から10日に一回ペースの夢精に悩まされていた。
心理的なストレスによるところが大きい。
万全に環境を整えて「しっかりと寝て休息し、気分よく目覚めたい」と思って翌朝鬱々と後片付けをする。

禁欲日数、何ターム目かの120日を超えたあたりから負荷がかかるようになり、30日夢精なしで過ごせることはなかった。

今でこそ「夢の中で性的行為をしても射精しない」「挿入行為なしで断る」など意志を持つことができるし、
小周天の意念周天に乗せて下丹田の陽気を散らすというテクニカルな技法を修練するに至ったのだが。

結局のところ「いかに夢精しないか」に拘泥している間は夢精に対して重要度が高まっており、
強力に握りしめている状態なので「別に夢精してしまっても構わない」と開き直る心境まで持っていけるかどうかだと思う。

精神論による部分が大きいかもしれないが「夢で性交しない」とか小周天で気を巡らすとか
オカルトじみたメソッドに取り組むのはけっこう根気がいる。

開き直ってしまった方が近道だと今なら思える。
そもそも日数を何十日と積み重ねたからといって、正比例してなんらかの”効果”が得られるわけではない。


精通後から10代後半、20代くらいにかけては陽気・精気が盛んになるため制御が難しい。
だから仕方ないと割り切って開き直ってしまう方が、かえって心理的ストレスがなくなって夢精しなくなるかもしれない。
(※オナニーしてしまうのは仕方なくない。環境の調整、意志と習慣によってやめることができる。
 ※パートナーと性行為で定期的に射精している場合は夢精はそれほど高頻度で起こらないはず。)

10代とか20代で何か目標があって着実にチャージ日数を積んでいる人はそもそも少数派なのかもしれないが、
そういう人たちにとって予期せぬ夢精がもたらす心理的なダメージは計り知れないくらい大きい。
「あんま気にするなよ」とメモ程度に書き記しておく。


心理的なストレスは環境に起因するものも大きいかもしれないが、捉え方を変えることで対応できる範囲が広がる。

身の回りには(特に30代に入ってから)
外部に流されて自分で思考・判断できなくなってしまったり、
世間的な耳目に集中するあまり人間関係が希薄になったり、
医療や製薬に頼らざるを得なくなったりしてしまった人間ばかり目につく。
10代、20代の当時の彼らの姿を知る私の目から見れば、悲惨としか言いようがない。

40代、50代になってから蓄精、夢精克服、気功や房中術による養生を行ったとしても
本来持ち得た能力やエネルギーに比べると補いきれない気がする。

20代後半から30前後がけっこう分かれ目だったと思うけれど、その下地は10代から20代にかけて着実に作られていたとも思う。

人それぞれの道があるので、私のやり方や考え方などが絶対正解だとは微塵にも思わないが、
少なくとも自らの可能性を信じ、エネルギーの無駄な漏出を避けて、生命に忠実に生きようとする若い世代に対してはできるだけ
必要な情報が必要なタイミングで届くようにと願っている。


30代、40代以降の人間は自身の限界を認識しつつもそれを突破する意志の継続は怠らずに、
自分ができないことができる人間の足を引っ張るようなことはしないように努めてほしいし、私もそうしたい。




2025年4月17日木曜日

最近の取り組み



1.見た目からセルフイメージを変える
 ヘアカラーやパーマ、服装などから自分のイメージを意識的に変えていく。
 美容室に通うのではなく、セルフカットにした理由も節約だけではなく、一つには自分でいつでもセルフイメージを変えられるからという理由がある。

 「高校デビュー」「大学デビュー」のような環境が変わるタイミングで、見た目を含めたせるイメージを意識的に変えることがあると思う。
 これはかなり有効な手段だと考えている。
 自分が持っている自己像と他人が抱いた印象との乖離が大きすぎると「デビュー失敗」ということになってしまうが、
 特に我々のような学生とは違う大人は環境の変化が大きくないのでより積極的に取り入れたい。

 特に思考法や観念、あるいは食生活や腸内環境・精液の温存などといった、
 精神や肉体の内面的な部分にフォーカスしがちな人間にとっては意外と盲点だ。

 私は今シーズン夏頃にはもっと派手めの髪色になっているはず。


2.小麦粉抜きの生活
 そもそも週の20-30%ほどは食べない時間を作っているが、
 食べているものは特に制限をしていなかった。

 昨年末から咀嚼回数を増やした(大体一口最低で30から50回ほど)ので、大便が水に浮くくらいにはなっていた。
 しかし特にピザやパン、麺類を食べたときにお腹が張る感覚があった。しかもその割に満腹感が低い。
 肌荒れや消化の疲労感、季節の変わり目のアレルギー症状など断食や咀嚼回数だけでは除去しきれないことにも気がついた。

 (もしかしたら普通は逆で、糖質やグルテンを制限して、食べるものを選んで、徐々に断食へと移行するのかもしれない。)

 なので基本は雑穀、胚芽米、そして白米、芋類などを中心とした平たくいえば和食生活にシフト。
 以下、グルテンフリーについてのAI記述をコピペ。

ーー

グルテンフリーの生活を2週間続けてみると、体調や生活リズムの変化を実感する人がいます。

変化
消化器症状
お腹がスッキリする、お通じが良くなる

体調
鼻の通りが良くなる、目覚めがよくなる、頭がすっきりする

生活リズム
生活のリズムが整ってくる、就寝時刻が安定する

肌の糖化を防ぎ、水分量アップやくすみを防ぐ

食生活
小麦粉が含まれている食べ物に気づくようになる

グルテンフリーの生活は、小麦に含まれるタンパク質「グルテン」を排除する食事法です。グルテンは腸内環境を悪化させるため、グルテンフリーの食事法が効果的です。
2週間のグルテンフリー生活を始めるには、次のような点に注意しましょう。
小麦粉を使ったパンやうどん、ラーメン、パスタ、ピザ、カレー、揚げ物系などの食事を避ける
間食にも注意する

醤油にも小麦が使われている可能性があるため、調理の段階で使用されている場合は問題ないと自分でルールを決める
グルテンフリーの生活を続けることで、体調や心の状態を観察することで、より長期的に続けるきっかけにもなります。

ーー

 Google検索で勝手に出てくる鬱陶しい文章を初めてコピペしてみたけれど、
SEOで上位に出てくる記事をいくつかまとめただけっぽい。そのうち「小麦禁止スレ」が多分あるので、ログから大量にコピペ引用しようと思います。

 蓄精者あるあるだと思うが、

 「性的欲求という一番キツい部分を制御してきたから、他の◯◯禁はイージーモードになる」

 ということがまことしやかに囁かれている。
 本当にその通りで、外食や買い食いをやめる。
 具体的にはラーメン、パスタ、パンなどを主食とするファストフードやスナック菓子を選ばないようにするだけなので、めちゃくちゃわかりやすくイージーと言える。

 買い食いや食事を禁止しているわけではないから、例えばすき家の牛丼、おにぎりやチョコレート、ポテトチップスなどはOK。
 パンや粉物が食べたければ米粉から作ればいいだけなので、めっちゃ楽。
 断食は文字通り食べないので、それと比べても一般的に考えれば非常に楽勝。

 1、2週間継続すると小麦製品の消化吸収で体に負荷をかけていたことが身に染みてわかるので、ラーメンとかパンを食べたいなどとは思わなくなってくる。
 たまにならいいのかもしれないが、私の体質的には常食(毎朝パン、昼食はパスタなど)はダメだなと思った。
 醤油なども加工した際に小麦粉が使われているようだが、細かい成分表の記載事項に関しては一旦無視することにした。

 パン、お好み焼き、うどん、ラーメン、パスタ、ケーキなどの焼き菓子類を全部避けるだけでいいのだから誰でも今日からできると思った。
 続けてみるとわかるが、パンや麺類がないだけで化学調味料系の味付けやこってりとした肉類、
 砂糖やハイカロリーな食事とは次第に遠ざかるので自然と減量効果も見込める。

 個人的に小麦が合わないからといって、米=日本食絶対主義というわけでもない。
 日本という広い土地のどこかで生まれ育ったからといって、その気候風土が全て自分に合っていると考えるのは短絡的すぎると思う。

 幼少期の環境が物の見方や考え方などの習慣と結びついて一種のノスタルジーをそれぞれ形成するが、
 今の自分にとって最善なのかどうかは常に自問自答を繰り返す必要がある。

 そもそも食事回数・量、品目もできるだけ食べない方が体にはいいと考えていて、これは射精に関してと共通している考え方。

 なんでもわかった気にならないで、自分の体を使って実験してトライアンドエラーを繰り返した方がいいっすね。


3.一般医療機器としての衣類
 身体の機能回復を促進するインナーなどを導入。
 遠赤外線などで筋肉や神経系の回復を補助するアイテム。
 即効性は感じられないかもしれないが、長い目で見て導入した場合としない場合で差が出ると思っている。

 着ているだけで回復するので非常に導入が簡単。
 運動といっても競技やスポーツなどではなく、ウォーキングやシンプルな筋トレを行なっている。
 クエン酸などを使ってもそれなりに疲労が溜まるので、できるだけ早く楽に回復したい。

 心身相関、脳と腸の関係などさまざまな観点からみて、瞑想や自律訓練法などの精神面からのアプローチだけではなく、
 食生活やエクササイズなどを並行して行った方が断然パフォーマンスが高く、狙った効果も早く出せると思っている。
 それと同様に物理的・身体的な面から積極的に回復を狙えるのであれば、なんでも利用したい。

 たぶん近い将来はGANTZのボディスーツみたいな格好でいることが増えると思う。


4.メモやタスク管理にNotionアプリ導入
 NevernoteことEvernoteが改悪で使い物にならなくなり、使いづらいでお馴染みのGoogleサービス(といいつつBloggerで書いているが)の
 Keepもまったく使わなくなった。

 代わりにChatGPTで作ったCSVをNotionにぶち込んで使うことで、Webとアプリ両方から行動指針を確認できるように調整していっている。

 個人的には目標を決めて業務日誌的なものを書いていかないと漫然としてしまう。
 たぶん集中力がつづかない散漫な性格なんだろうな。
 得られた結果が(よくても悪くても)直前のアクションと目標が合っているかどうか振り返ることが肝心だというのは、長年の禁欲・蓄精生活の恩恵でもある。




・全体的にはゆるめ
 断食や食品の制限、自重トレーニングなど取り組んではいるがストイックになりすぎないように気をつけている。
 パイプ喫煙など一部解禁して、断食などを楽におこなえるようにしている(悪習慣的なドーパミン回路が空腹感を上回るのを利用する)。

 食べたければ肉系も魚系も食べるし、サボりたければ筋トレしないでゴロゴロ映画を見たりもする。
 心身ともにストレス値を低く保つことを前提においている。