2025年4月24日木曜日

同調と圧力

日本に生まれ育っただけで、相対的にはかなり恵まれて幸せな環境にいるといえる。
決して他の国をディスったり、貶めたりしている訳ではない。
実際さまざまなデータでは国民所得や幸福感などの観点において、先進諸国の中では下位に位置している。
しかしあくまで主観として、そして観察の結果としてやはり恵まれているなと思う。


そんな恵まれた環境下においても対立構造は存在する。
人種や貧富の格差というよりはイデオロギー的な対立であり、それはあるタイミングを境に激化しているように見える。

そこには経済的、社会的な地位の差異や学力的な意味における賢さや頭の良さも多少は関係しているかもしれない。
意図的なのかもしれないが、高い知力や財力を持つ人間が、
現在の倫理的・社会的規範においてはどう考えても誤りあるいはミスリードしているとしか思えない例もあるので、
あるいは頭の良し悪しは関係ないのかもしれない。

私はTV世代ではないからそこはよくわからないが、Netflixは契約している。
「イカゲーム」という作品が社会現象になっていたはずだ。
ヒットした作品の続編はつまらないという法則を無視して、2も負けずに面白い。

イカゲームではおぞましいデスゲームが行われるが、その参加者の多くは究極二択を間違えた人たちで構成されている。
レートが悪すぎるギャンブルに半ば強制的に参加させられるが、
そもそもその会場に足を踏み入れている時点で、正誤判断をミスりまくってきたという側面もあるといえばある。

それがまた視聴者の共感を呼ぶ構造にもなっている。


創作物なのでそれはそれとして、何が正しいのか正誤の判断が難しい場面というのが現実場面にも存在する。

現実はマークシート式ではないし、与えられた語群から適切なものを選べるわけでもないし、
途中式が合っていたら部分点をもらえるわけでもない。

イエスかノーか、受け取るのか拒否するのか、進むの留まるのかなど
物理的な行動としてしっかりと結果が反映される。

とある選択の結果が後々間違っていたとわかったとする。
その選択の論拠をできるだけ自分が集めたデータを元に、
自分で考えて判断したものだとしたらある程度受け入れることができる。
次(なんてないかもしれないが)は間違えなければ良いだけの話だ。

問題はある選択を「周囲の人間や集団の圧力によって選ばされた」と主張する人間だ。
これは「広告でエッチな映像が流れてきたから、ついついタップしてシコっちゃいました」みたいな言い訳にすぎないと思う。

人間は社会的な生き物なので、集団や環境の影響は好むと好まざると受ける。
しかし判断の根拠を他人や環境のせいにしすぎるとよくない。
もし正しい判断ができた場合は得るものがないし、間違っていた場合は次も間違える。

彼らはわかりやすく他力本願なので、カルト紛いの霊感商法じみたものやセミナー、サロンなどに入信してさらに搾り取られる養分と化す。



一方で自分で判断できる力を持った側、圧力をかける方はさらなる問題となりうる。
圧力を正しく使った場合はカリスマやリーダーシップと捉えられ、集団を導く存在となる。

しかしもし判断に何の根拠もなく、雰囲気だけで行なっているのならば
選択問題がたまたま当たっているだけのイカゲーム直行予備軍だ。

圧力をかけた上に選択が間違っていた場合、しかもそれが意図的な場合は
かなり強い言葉でいうと殺人教唆、自殺幇助のようなもので、
責任を問われても負いきれないレベルの取り返しのつかないことになる。


人間は集団で生きているので、多かれ少なかれ軋轢や摩擦は発生する。
圧力は誰もが無意識に感じながら、掛け合いながら生きている。
意識的に圧かけるのはできればやめていただきたいが、そうすることでポジション的に得する人間が多いのも事実。

私もこれを読んでいる一般ピーポー(死語)と同じで、社会的にはやはり弱者である一介の小市民に過ぎない(失礼すぎ)。

圧力自体、避けることができないものならば、同調しなければいい。
自分で考えて自分で決めて選択するだけでいい。
選択が合っているかどうかはその次の段階の話で、まずはスタート地点に立つこと。
そしてその繰り返しだ。


ブログテーマ的に考えて、さらに蛇足ながら追加すると、
中心感覚が養われると直感がもっと使われるので、気や波動などの感覚がわかるようになってくる。
わからないならそれはそれでどっちでもいい。

自己という感覚、認識ができあがっているからこそ、
相対的に他者や物体、場所などの固有の振動数みたいなものがわかってくる。
元から天性で感覚が鋭い人ももちろんいる。

この場合、社会的なアイデンティティを確立するという意味の自己ではない。
それは自我の延長線上にある共同幻想のようなもので、
たとえば電車で隣に座った女性の髪の毛を触ったら痴漢だが、
空いている電車に落ちていた髪の毛を拾っても(怪訝な目で見られるだろうが)べつに捕まらないというようなレベルの話だ。

自己と他者というのは絶対的な区別はなく、あくまで相対的な距離にすぎない。
自己は、例えば免疫機能を考えればわかるように「確立」したり「獲得」したりするものではなく、
生得的に分類されている個体ということだ。


話をもどすと、他人の意見に簡単に流されないことと自分でパワースポットを見つける
というようなスキルは離れているように見えて本質的には同じことだ。

同調圧力という何とも都合のいいワードをきっかけに、
それを要素分解してみて何か行動の変化にするといいかもしれない。


ムゲン異性交遊

ここしばらくはずっと筆が全く進まない、筆インポいやタイピングインポ状態だったのが妙に乗ってきた。春だからかな?

前回の投稿では極論、行為のための行為以外の代償行動には意味なんてないと大雑把にいえばそんなようなことを書いた気がする。

腸内環境レベルカンストで不老長寿、無射精交接無双を掲げていた身としては耳が痛い話だ。
健康になるために腸内環境をよくする、よりエネルギーを活性化させるために無射精SEXをするなんてまさに交換条件そのものだ。

健康でいること、満足した性生活があることは独立して完結したものとして受け入れればいい。


とはいうものの、枠組みとして相補補完の陰陽和合・精気神というアイデアは使わない手はない。

それぞれ完結に言い表すとするならば、

・相似形のような類似の構造同士で引き合う
・”自分にない要素を持っている”という共通項で引き合う
・体の相性がいい
・性格が合う
・考え方が合う

そして結局のところこれらを満たすことが、異性に求める主要な条件だ。

ブログテーマ的にもわかりやすく男女の関係性で例えるが、あらゆる場面で適応できるとおもっている。

例えば、”類は友を呼ぶ”という考え方の発展系として、”似ている同士が引き合う”という現象は起こりうる。
同じような背格好、スペック、所属グループ同士でくっつくのはよくある話だ。

しかしあまりに”引き寄せの法則”的な考えに縛られすぎると、目の前にせっくすせっかくのチャンスがあっても見過ごしてしまう。

「この相手は自分に相応しい運命の相手だろうか?」

世の中には身長差の大きいカップルやヤンキーとオタクの組み合わせだっていくらでもいる。
これは”自分とは違う要素を相手が持っている”という点がお互い共通しているから引き合う、ということで一応説明がつく。

個人的には「筋トレしてテストステロンレベルがアップしてモテモテ」みたいなロジックがあまり納得がいかないのは、
それがあまりにも商業主義的な理想論だし、観察される「例外」が多すぎるからだ。

ガリガリ細メガネ根暗陰キャでも彼女はできるし、ジムとプロテインとは無縁のままデキ婚することだっていくらでもある。

話が逸れた。

似たもの同士であっても、凸凹コンビであっても上手くいくということがこれで完全に証明されたので次の項目へ移る(完全な証明とは)。


精、気、神という分類があまりにも大雑把だけれど、
それぞれ下丹田、中丹田、上丹田に対応するとされている。

丹田自体が仮説というかエネルギー中枢を指す言葉なので、さらにややこしい。
思い切ってそれぞれ

・性器、身体性
・気持ち、感情的
・考え方、価値観

と割り切ってしまう。

ブログテーマ的にあくまで異性との関係性を表すとするならば、

「カラダの相性がとにかく良い」
「いっしょにいて楽しい」
「価値観が似ている」

これらを全て満たすのが理想のパートナーである。

細かくブレークダウンしていけば、もちろん無数の項目を書き出すことができる。
事前に質問に答えてAIでマッチングさせていくのは主に「考え方、価値観」の部分で、
その他2つは実際に肌を合わせたり、自分の感じ方を観察してみなければわからない。


”カラダの相性”というと何だかいやらしく聞こえてしまうかもしれないが、
もっとも原始的で直感的で、信頼できる基本的な部分だと思う。

実際の場面で想定すると「食事を食べるペースが合う」「手を繋いだ時に一致感がある」「目が合ったり振り向いたりすることが多い」など。

体の相性だけが良い関係性は、良いセックスフレンドになれる。


”一緒にいて楽しい”という項目を理想的な異性として挙げる人は少なくない。
これは特に中高生以降くらいの比較的成熟してきた男女両方に見られると思う(当社比)。

楽しいつってもウケ狙いの笑い上戸ならいいというわけではなくて、
笑ったり泣いたり怒ったり親身になったり、感情ベースの共感ができる関係性ということだ。

青年期くらいのカップルから感情的要素が大切で、
精神的な成長と将来への不安、日常の様々な出来事に対する同じ目線など
共有できる異性がいると安心できる。
熟年夫婦や”気”の合う異性の友人にも見られる傾向だ。


”価値観が似ている”というのはより高次の欲求で、よく理想の結婚相手について記述される部分だ。
古くは「良妻賢母」とか「高身長・高学歴・高収入」とか言われたのも、広義には価値観マッチングに分類される。

何となく打算的で浅ましい言い争いに聞こえてしまうかもしれないが、
理想的なパートナーシップを結ぶ上では将来設計や危機管理能力、
別のライフステージに移ったときでも関係性を継続できるかは大事なポイントだ。


ざっくりと噛み砕いたが良い感じの異性との関係は程度の差こそあれ、
上記の3つの分類のうちそれぞれの要素をそれなりに満たしている。

少し前に流行った”蛙化現象”はかなり浅いレベルでの理想論と身体性の希薄化のミスマッチに過ぎないし、
「いつもクズ男、SGMNに引っかかる」というのは木を見て森を見ず、という一言に尽きる。


より大胆な提言をするなら不倫や早期あるいは晩期での離婚はそれら自体が問題ではない。
考え方や価値観が変わったり、体の相性が合わなかったり、あるいは価値観だけで考え過ぎてしまった当然の帰結だと言える。

単に社会的な要因でなるべくしてそうなっているだけなので、赤の他人がバッシングするのはお門違いだといえる。

絶対的な悪女、クズ男が存在するのではない。属性は組み合わせによって相対的に規定されている。
固有のステータスという杓子定規な考え方だと、
選択肢も狭まるし「どうせ私は器量がよくないから」とか「金も地位もない俺には高嶺の花だから」とかよくわからない言い訳の素材になってしまう。

「生まれつきの性格は変わらない」とか挙句「来世はきっと上手くいく」とか頓珍漢な結論に行き着いてしまう。

スペックとか理想論とかではなく単に組み合わせ、マッチングの問題なのだ。
そして3つの項目はそれぞれ変数で構成されており、自己内あるいは他者との関係性の中で相対的、暫定的に決定されていくものなのだ。

まぁ今回だめでも次またちゃんと選べばいいだけだから大丈夫。
ありがたいことに世の中には男女が無数に存在するし、何タームか挟めば元鞘に収まることだってある。

「理想の相手」と出会えないケース、というのは前にもどこかで書いた気がするが試行回数が足りない。
モテる人間は男女問わずアプローチ、接近の機会の分母が圧倒的に多いだけ。顔面の美醜はファクターとして大きいが、数ある要素の視覚的な一部分にすぎない。その他スペックなども同様。

そして失敗をマイナスに捉えず良い側面を見ようとする傾向にあるだけだ。
100人行ってダメなら101人に告白すればいいし、遠くから伺ってないで本人にきちんと好意と感謝を伝えるようにする。もちろんストーカーにならない程度に。


まあだから、どんなに筋トレしても、巧みな話術で笑いをとっても、熱く将来の理想を語っても、
基本的な部分が合わないと感じたら合わないから仕方ねぇよなっていう話。



近所のエステにイカずに還精補脳

ここしばらく文字通り内側に引きこもっていたので、文章を書くリハビリテーションを兼ねて、
どうでもいい話を連日、連投。特に中身はないです(元からほとんどないだろ)。


近所にメンズエステができた。
たぶん徒歩5分圏内。測ってないし行ってないからわからんけど。

今まで住んでいたエリアは、探せば駅や表通りの近くにチャイエスやメンズエスが見つかった。
たいていアパートやマンションのワンルームで経営されていて、知る人ぞ知る的な趣があった。

今回の近場のエステは何の脈絡もなく突如として住宅街に現れた。
何かのついでに立ち寄るわけでもなく、駅や幹線道路の近くにあるわけでもない。
そのためかWeb上でプロモーションを行なっており(一応健全店となっている)探してもないのに目に入ってきたわけだ。

5年前、いや1年前なら確実に訪問してレビューしていただろう。
あらゆるサービス業態に食傷気味で、はっきりといえば面倒になってしまった。
マッサージ店は今でも2ヶ月に一度くらい足を運ぶけれど、プロフェッショナルで事務的な指圧やアカスリが純然たる目的になってしまった。

いや、それが本来のエステティックサロンの目的ではあるのだけれど。


たぶんそれはキャバクラ的、スナック的な要素が強くて、
”ちょっとした非日常的な空間で女の子とそれなりに親密なやりとりができてる風”のバーチャルなシミュレーション・ゲームとしての面白さがあったのだと思う。

ぶっちゃけマッサージスキルなんてまったくないことがほとんどで、
歴ウン10年の老舗マッサージ店舗の方がよっぽど疲れがとれる。

そこに何か血の通った親密なやりとりが存在していなければ単に消費されていくだけの形骸化した一コマとして、半自動的に処理されていってしまうだろう。
ちょうど自販機で買い求めて飲み干した飲料の銘柄をいちいち全て覚えていないのと同じように。


そのほかの逢瀬、逢引きについても以下同文。

事実に基づいているとはいえ好き勝手に脚色しまくったストーリーラインをいくつも書いたところ、
ほとんどの実際的な温度や匂い、手触りや眼差しみたいな記憶は色褪せていった。
それが時系列的に比較的直近なのか10年も前のことなのかとは無関係に。

”カテゴライズできないからとりあえずその他”としてまとめておいたデータファイルは、
一定期間が経過するとデフラグされて廃棄されていってしまうらしい。



実際的な問題(?)として健康増進を目的とした房中術的なアプローチとして、
男性から見て「女性が若いほど、健康なほど、多いほどいい」みたいな記述があるが
その点にはかなり懐疑的。

かなりいいSEXを射精なしで終えて、しっかりと交わった気を吸収できた場合と、
プライベートを充実させて、ふつうに健康に気をつけてストレスを少なく、精を温存しながら還精補脳で自己還元した後との感覚ってさほど違わない。

主に近代以前の中国皇帝にまつわる房中術、性エネ活用に関しての書物を最近読んだ。

けっきょくのところ古代の(わりと近代まで続いてる記録はあるらしいが)為政者や権力者が
「若く美しく、たくさんの女性とチョメチョメ(死語)できるんだぜ、すげーだろ」的な
男子特有の新しいおもちゃ買ってもらった的なマウント・ポジショントークだったと思わざるを得ない。


記録によれば、還精補脳などの技術は為政者や皇帝が自力で発見したわけではなく、
タオのマスター、老師のような存在に教えを仰いでいるはずだ。

「女性を質や量に換算して、得られる効果がそれと正比例する」という異常性欲気味の権力者向けトークでうまいこと立ち回っていただけで、
インチキおじさん性エネマスターは陰で「こいつほんと何もわかってねぇな」と嗤っていたような気さえする。

道、タオとは全てに通じていて、それを見ようとさえすればあらゆる場所、タイミングからアクセス可能だ。
当然身分の貴賤や交接相手の若さや人数などとはまったく無関係で、
人体の生理的な機能であるナニが絶低的な長寿や健康、幸福感などとをそこまで左右するようには思えない。

子孫を残すためにたくさんの異性と交わらないといけないため
「頻繁に射精しているようでは寿命が縮まるから出さない方が健康のためでっせ」
という房衛術としての房中術を指南された権力者もいただろうが、それが一番妥当だっただけな気がする。

割と誰でも考えつくような結論に、蓄精15年以上かかって辿り着いたような。


それでも「抜かず、出さず、出させず(だっけ?)の非マスかく三原則」は有効性が高いんだよな。

成人の大人同士が楽しめる範囲で性交を楽しむのは全然OKで、行為自体が目的なら健全だと思える。

総和として見た場合に男性が射精せず、女性のエクスタシーのクオリティを高めた方が質の高いSEXであることは経験上も理論上も間違っていないだろうとおもう。
回数や人数とはあまり関係ない。

子孫を残す以外に、それに付加価値をつける必要はまったく見出せない。
金銭的なやりとりや政治的な思惑はもちろん、被害者・加害者の関係性になるとか、
誰と誰がいつどこでプレイしたとか、ひじょうにどうでもいい。マジで。

「自分の好みの相手と楽しいことできて楽しかった」程度の話、動物なら秒で完結してるような話題に、
わざわざ複雑な修行体系を進めていく必要性も今は感じない。


あくまで生理機能の維持向上の次元として、接して漏らさず、蓄精生活をするのが妥当で、
蓄精そのものが目的になったり、何らかの対価とトレードしたり、過剰になりすぎてカルト信条みたいになってもつまらない。

せっかく地球に生まれてきたわけだし(ふつうに生きていること自体が激レアな体験)楽しんでいきたい。



2025年4月22日火曜日

依存と禁断症状

本人が色々と語っている動画をちょっと拝見したけれど、前後関係や背景などが支離滅裂でよくわからなかった。

上記の件を部外者として自分ごととして捉えるとすると「クスリはダメ絶対」ということに尽きる。

上の記事は多分個人のブログだが、タイに駐在している人のTwitterの投稿引用をされている部分が印象的だった。

要約すると、
覚醒剤が日本で生成され、医療用から軍事使用に転用されてから戦後民間に流れ、
ミャンマー経由でタイに流入してきた経緯が書かれている。

ちゃんと情報源を追ったわけではないけれど、薬物にも歴史的な背景があり、
何らかの意図で需要と供給がマッチしたビジネスとして成り立っていることを忘れてはならないと思った。

上記の著名人はとても極端な例で、情報商材やFX、不動産投資などで成り上がってきた経緯に
家族や交友関係、土地柄など複雑な要因で現在自白するに至っているようだ。

まったくの人ごとではなく「私たちは何らかの依存症なのではないか」と疑ってみたい。




かの公明正大なる機関、厚生労働省が定義を簡易的に説明している。
「特定の何かに心を奪われ”やめたくてもやめられない状態”にあること」が依存症だとされている。

続けて「物質的な依存」「プロセスへの依存」という大きく2種類があり、
「誰かが困ること」が問題だとされている。


薬物であれば、例えば覚醒剤などを摂取したことがトリガーとなり脳内の報酬系がハックされ、
「自分の心身の健康」「家族など近しい人間への影響」「次の薬物を欲する」というスリーカードなのでわかりやすい。

薬物のようにわかりやすくNGなものだけではなく、現代社会には確実に依存症が蔓延っている。

このブログ的にいえば、
オナニー・異性との射精行為、食品(加工品、米、小麦、化学調味料など含む)、
SNSや大手メディアを含む情報、お金・資本主義という共通幻想など。

物質、プロセス、洗脳的手法を絡めてかなりがんじがらめになっているといえる。

「生きる上では必要なこと」とか「程度問題だ」とか「みんなやってるから」とか騙し騙し続けてきているだけで、
自身の健康を害したり、他人に不利益を被らせたり、次から次へと欲するという連鎖構造になっているという意味では立派な依存症だ。

いじめや殺傷行為・紛争などの暴力行為、ブラック企業や低賃金労働、性や小児に対する虐待や搾取など
諸問題の根底には歪な構造の問題と自己に対する認識の誤りがあり、
それぞれの悪い部分がクロスしているところにわかりやすく問題として顕在化している。


完全に全ての依存症と洗脳から抜け出ることは容易ではない。
しかし少なくとも自分が何に対して快を感じて、それを繰り返しているのか、
制御はどの程度可能なのか、そもそも依存症という構造に気がついているのかなど
各人が問い直していかないと思う。


「環境が大切」とも指摘されるが、外部の環境はそのままイコール自分でもある。
情報空間に対する認知が自己意識とほとんど同じになりつつあるが、
それを疑うのはもちろん、目の前に展開している物質的な現実に対しても疑っていきたい。

わかりやすいのは”指差し実験”を行うことで、自分と他者や物質との分離を言語的に生み出しているということ自体に気づくことだ。

分離という概念は所有という幻想になり、欲する・失うことを恐れるという空想へとシームレスに展開していく。

その思考が進むのと同時並行的に、身体的にアンカリングされている依存構造が大脳の神経系で発火して、
禁断症状のような状態で次へ次へとドライブされていく。


”美味しいものを食べすぎてしまう”とか”異性に好意的に見られること”とかもかなりプリミティブな依存系なので、私も完全に抜け切れている自信はない。
いつでもフラッシュバックでループに飲み込まれてしまう可能性はある。

おそらくスマホを日常的に使用している人間は情報中毒になっている。
スマホという端末自体に依存性があるのではなく、とめどなく見ることができる情報を得るというプロセス自体に依存している。

知人には抑うつなどの症状と関連して薬品を摂取していたり、為替や投機、仕事のストレスなどから同様にアルコール依存になり、薬を飲んでいる人間がいる。
こうなるともうどうにもならない。
原因ではなく結果に対する対症療法でしかない薬物(あえて過激な表現をする)と上手に付き合っていくしかない。

性エネルギーのコントロール、あるいは逆に性行為に対する不全感なども
ストレスやアルコール、薬の摂取とも密接に関係してくる。


成人男性全員が少なくとも月に1,2度までの性行為による射精にとどめ、
それ以外は小周天、射精の伴わないスローなSEXで還精補脳していく以外道がない気がする。

”古代中国から伝わる皇帝術”みたいな怪しげな密教みたいにせずに、
ホットヨガとかピラティスみたいな当たり前の健康法として(単修法にしろ双修法にしろ)性エネルギーのコントロールを体得していくしかない。

(追記)

==

ここは論理的な飛躍があるかもしれない。
別に成人男性が全員性エネルギーを制御できても、完全なる調和になるかどうかはわからない。

私はミニマリストでもマキシマイザーでもないけれど、
極端に偏った思考はあまり碌なことにならないような気もする。

性に関しては明らかに誤った考え方が意図的に植え付けられてはいるけれど、
それが外れたからといって何もかもがいきなり解決するわけでもない。

だからこそ、

==

すぐに性エネルギーを完全コントロールするなど無理な話なので、
少しずつオーガニックで依存性の低い行為に置き換えていく必要がある。
例えば自転車で走ったり散歩をしたり、温泉に浸かったり、呼吸法を行ったりするなど。

物質、プロセスへの依存度を低めて、思考と認知を監視しながら、自己完結できる方法を模索していきたい。



2025年4月21日月曜日

夢精を克服する

筆者が10代後半に差し掛かる頃、1週間から10日に一回ペースの夢精に悩まされていた。
心理的なストレスによるところが大きい。
万全に環境を整えて「しっかりと寝て休息し、気分よく目覚めたい」と思って翌朝鬱々と後片付けをする。

禁欲日数、何ターム目かの120日を超えたあたりから負荷がかかるようになり、30日夢精なしで過ごせることはなかった。

今でこそ「夢の中で性的行為をしても射精しない」「挿入行為なしで断る」など意志を持つことができるし、
小周天の意念周天に乗せて下丹田の陽気を散らすというテクニカルな技法を修練するに至ったのだが。

結局のところ「いかに夢精しないか」に拘泥している間は夢精に対して重要度が高まっており、
強力に握りしめている状態なので「別に夢精してしまっても構わない」と開き直る心境まで持っていけるかどうかだと思う。

精神論による部分が大きいかもしれないが「夢で性交しない」とか小周天で気を巡らすとか
オカルトじみたメソッドに取り組むのはけっこう根気がいる。

開き直ってしまった方が近道だと今なら思える。
そもそも日数を何十日と積み重ねたからといって、正比例してなんらかの”効果”が得られるわけではない。


精通後から10代後半、20代くらいにかけては陽気・精気が盛んになるため制御が難しい。
だから仕方ないと割り切って開き直ってしまう方が、かえって心理的ストレスがなくなって夢精しなくなるかもしれない。
(※オナニーしてしまうのは仕方なくない。環境の調整、意志と習慣によってやめることができる。
 ※パートナーと性行為で定期的に射精している場合は夢精はそれほど高頻度で起こらないはず。)

10代とか20代で何か目標があって着実にチャージ日数を積んでいる人はそもそも少数派なのかもしれないが、
そういう人たちにとって予期せぬ夢精がもたらす心理的なダメージは計り知れないくらい大きい。
「あんま気にするなよ」とメモ程度に書き記しておく。


心理的なストレスは環境に起因するものも大きいかもしれないが、捉え方を変えることで対応できる範囲が広がる。

身の回りには(特に30代に入ってから)
外部に流されて自分で思考・判断できなくなってしまったり、
世間的な耳目に集中するあまり人間関係が希薄になったり、
医療や製薬に頼らざるを得なくなったりしてしまった人間ばかり目につく。
10代、20代の当時の彼らの姿を知る私の目から見れば、悲惨としか言いようがない。

40代、50代になってから蓄精、夢精克服、気功や房中術による養生を行ったとしても
本来持ち得た能力やエネルギーに比べると補いきれない気がする。

20代後半から30前後がけっこう分かれ目だったと思うけれど、その下地は10代から20代にかけて着実に作られていたとも思う。

人それぞれの道があるので、私のやり方や考え方などが絶対正解だとは微塵にも思わないが、
少なくとも自らの可能性を信じ、エネルギーの無駄な漏出を避けて、生命に忠実に生きようとする若い世代に対してはできるだけ
必要な情報が必要なタイミングで届くようにと願っている。


30代、40代以降の人間は自身の限界を認識しつつもそれを突破する意志の継続は怠らずに、
自分ができないことができる人間の足を引っ張るようなことはしないように努めてほしいし、私もそうしたい。




2025年4月17日木曜日

最近の取り組み



1.見た目からセルフイメージを変える
 ヘアカラーやパーマ、服装などから自分のイメージを意識的に変えていく。
 美容室に通うのではなく、セルフカットにした理由も節約だけではなく、一つには自分でいつでもセルフイメージを変えられるからという理由がある。

 「高校デビュー」「大学デビュー」のような環境が変わるタイミングで、見た目を含めたせるイメージを意識的に変えることがあると思う。
 これはかなり有効な手段だと考えている。
 自分が持っている自己像と他人が抱いた印象との乖離が大きすぎると「デビュー失敗」ということになってしまうが、
 特に我々のような学生とは違う大人は環境の変化が大きくないのでより積極的に取り入れたい。

 特に思考法や観念、あるいは食生活や腸内環境・精液の温存などといった、
 精神や肉体の内面的な部分にフォーカスしがちな人間にとっては意外と盲点だ。

 私は今シーズン夏頃にはもっと派手めの髪色になっているはず。


2.小麦粉抜きの生活
 そもそも週の20-30%ほどは食べない時間を作っているが、
 食べているものは特に制限をしていなかった。

 昨年末から咀嚼回数を増やした(大体一口最低で30から50回ほど)ので、大便が水に浮くくらいにはなっていた。
 しかし特にピザやパン、麺類を食べたときにお腹が張る感覚があった。しかもその割に満腹感が低い。
 肌荒れや消化の疲労感、季節の変わり目のアレルギー症状など断食や咀嚼回数だけでは除去しきれないことにも気がついた。

 (もしかしたら普通は逆で、糖質やグルテンを制限して、食べるものを選んで、徐々に断食へと移行するのかもしれない。)

 なので基本は雑穀、胚芽米、そして白米、芋類などを中心とした平たくいえば和食生活にシフト。
 以下、グルテンフリーについてのAI記述をコピペ。

ーー

グルテンフリーの生活を2週間続けてみると、体調や生活リズムの変化を実感する人がいます。

変化
消化器症状
お腹がスッキリする、お通じが良くなる

体調
鼻の通りが良くなる、目覚めがよくなる、頭がすっきりする

生活リズム
生活のリズムが整ってくる、就寝時刻が安定する

肌の糖化を防ぎ、水分量アップやくすみを防ぐ

食生活
小麦粉が含まれている食べ物に気づくようになる

グルテンフリーの生活は、小麦に含まれるタンパク質「グルテン」を排除する食事法です。グルテンは腸内環境を悪化させるため、グルテンフリーの食事法が効果的です。
2週間のグルテンフリー生活を始めるには、次のような点に注意しましょう。
小麦粉を使ったパンやうどん、ラーメン、パスタ、ピザ、カレー、揚げ物系などの食事を避ける
間食にも注意する

醤油にも小麦が使われている可能性があるため、調理の段階で使用されている場合は問題ないと自分でルールを決める
グルテンフリーの生活を続けることで、体調や心の状態を観察することで、より長期的に続けるきっかけにもなります。

ーー

 Google検索で勝手に出てくる鬱陶しい文章を初めてコピペしてみたけれど、
SEOで上位に出てくる記事をいくつかまとめただけっぽい。そのうち「小麦禁止スレ」が多分あるので、ログから大量にコピペ引用しようと思います。

 蓄精者あるあるだと思うが、

 「性的欲求という一番キツい部分を制御してきたから、他の◯◯禁はイージーモードになる」

 ということがまことしやかに囁かれている。
 本当にその通りで、外食や買い食いをやめる。
 具体的にはラーメン、パスタ、パンなどを主食とするファストフードやスナック菓子を選ばないようにするだけなので、めちゃくちゃわかりやすくイージーと言える。

 買い食いや食事を禁止しているわけではないから、例えばすき家の牛丼、おにぎりやチョコレート、ポテトチップスなどはOK。
 パンや粉物が食べたければ米粉から作ればいいだけなので、めっちゃ楽。
 断食は文字通り食べないので、それと比べても一般的に考えれば非常に楽勝。

 1、2週間継続すると小麦製品の消化吸収で体に負荷をかけていたことが身に染みてわかるので、ラーメンとかパンを食べたいなどとは思わなくなってくる。
 たまにならいいのかもしれないが、私の体質的には常食(毎朝パン、昼食はパスタなど)はダメだなと思った。
 醤油なども加工した際に小麦粉が使われているようだが、細かい成分表の記載事項に関しては一旦無視することにした。

 パン、お好み焼き、うどん、ラーメン、パスタ、ケーキなどの焼き菓子類を全部避けるだけでいいのだから誰でも今日からできると思った。
 続けてみるとわかるが、パンや麺類がないだけで化学調味料系の味付けやこってりとした肉類、
 砂糖やハイカロリーな食事とは次第に遠ざかるので自然と減量効果も見込める。

 個人的に小麦が合わないからといって、米=日本食絶対主義というわけでもない。
 日本という広い土地のどこかで生まれ育ったからといって、その気候風土が全て自分に合っていると考えるのは短絡的すぎると思う。

 幼少期の環境が物の見方や考え方などの習慣と結びついて一種のノスタルジーをそれぞれ形成するが、
 今の自分にとって最善なのかどうかは常に自問自答を繰り返す必要がある。

 そもそも食事回数・量、品目もできるだけ食べない方が体にはいいと考えていて、これは射精に関してと共通している考え方。

 なんでもわかった気にならないで、自分の体を使って実験してトライアンドエラーを繰り返した方がいいっすね。


3.一般医療機器としての衣類
 身体の機能回復を促進するインナーなどを導入。
 遠赤外線などで筋肉や神経系の回復を補助するアイテム。
 即効性は感じられないかもしれないが、長い目で見て導入した場合としない場合で差が出ると思っている。

 着ているだけで回復するので非常に導入が簡単。
 運動といっても競技やスポーツなどではなく、ウォーキングやシンプルな筋トレを行なっている。
 クエン酸などを使ってもそれなりに疲労が溜まるので、できるだけ早く楽に回復したい。

 心身相関、脳と腸の関係などさまざまな観点からみて、瞑想や自律訓練法などの精神面からのアプローチだけではなく、
 食生活やエクササイズなどを並行して行った方が断然パフォーマンスが高く、狙った効果も早く出せると思っている。
 それと同様に物理的・身体的な面から積極的に回復を狙えるのであれば、なんでも利用したい。

 たぶん近い将来はGANTZのボディスーツみたいな格好でいることが増えると思う。


4.メモやタスク管理にNotionアプリ導入
 NevernoteことEvernoteが改悪で使い物にならなくなり、使いづらいでお馴染みのGoogleサービス(といいつつBloggerで書いているが)の
 Keepもまったく使わなくなった。

 代わりにChatGPTで作ったCSVをNotionにぶち込んで使うことで、Webとアプリ両方から行動指針を確認できるように調整していっている。

 個人的には目標を決めて業務日誌的なものを書いていかないと漫然としてしまう。
 たぶん集中力がつづかない散漫な性格なんだろうな。
 得られた結果が(よくても悪くても)直前のアクションと目標が合っているかどうか振り返ることが肝心だというのは、長年の禁欲・蓄精生活の恩恵でもある。




・全体的にはゆるめ
 断食や食品の制限、自重トレーニングなど取り組んではいるがストイックになりすぎないように気をつけている。
 パイプ喫煙など一部解禁して、断食などを楽におこなえるようにしている(悪習慣的なドーパミン回路が空腹感を上回るのを利用する)。

 食べたければ肉系も魚系も食べるし、サボりたければ筋トレしないでゴロゴロ映画を見たりもする。
 心身ともにストレス値を低く保つことを前提においている。






2025年4月16日水曜日

性の魔術に対する房衛術

房中術は主に男性が女性がエクスタシーに達するときに精気を吸い取るという、積極的な文脈で語られることが多い。

広義の健康法、病に臥している人が健康的な異性と交わることで精気が満たされて回復するという方法としても語られている。

方法ではなく目的としての防衛術・房中術すなわち「房衛術」という仮説を好き勝手に展開します。


自慰ないし性行為で無駄な精液を放出せず、生命力に還元することとを還精補脳的と呼ぶ。
積極的な健康・長寿を目指すものとして古来より行われてきた方法だ。

陰茎を刺激に耐えやすく鍛錬したり、肛門から湧泉に気を通す呼吸法などさまざまな鍛え方があるが、
実際のところ男性機能を強化するというよりは守備力を増強することにに徹している印象がある。

これを応用して誰もがディフェンシブに活用していく方法はないだろうか?

特に昨今の事情を踏まえ、広義のいわゆるハニートラップ対策としての房衛術について、思索をめぐらせていく。


フェーズ1:オナ禁止
もっとも初歩的な段階で、習慣的な自慰行為による射精から脱する。
これができなければ話にならないと思うが、悪習慣を脱するという意識とそれを可能にする環境づくりは後々に役立ってくる。


フェーズ2:エロ禁止
これはフェーズ1とも関連するが、視覚的・聴覚的・触覚的な刺激をシャットアウトして、
徐々に射精そのものへの執着と商業的に作られたエロ情報との関連を断ち切っていく。
意識的に「シャドウボクシング」として活用することはできるが、それはもっと後の段階に入ってから。

ーーー

フェーズ3:意識的な欲求コントロール
意識的に勃起を強化したり、逆に望まない行為を避ける。
自分と相手どちらかが望んでいない状況で交接してはならないのは初歩の初歩であるが、
自分の生理的欲求を認識してコントロールするという意味においては高次のスキルに属する。

その場は「スッキリ」できても、金銭などの対価によって射精行為(性行為とも呼べない)を行うことで、時間差で何らかの対価を支払う可能性もありうる。


フェーズ4:無意識的な射精コントロール
特に男性側において、性行為の際に相手の女性が心身ともに深く満足することを前提に置くことを心がける。

この段階までくれば自分の射精欲求はある程度コントロールできており、且つ他方が望まない関係性は持たないようになっている。

自分の射精という短期的な快楽ではなく、無射精でゆっくりと交わることで女性の大きな波のようなエクスタシーと同調していくような行為へと進化させていく。

「また交わりたい」と思われるような魅力的な男性、思いやりのある深いエクスタシーの伴う行為ができさえすればあとから「あれは本意ではなかった」などと言われることはないだろう。

フェーズ5:物理的な行動コントロール
例えば魅力的な異性が誘惑してきた場合、なんらかの対価が生じないかを常に念頭においておく。

この段階まで来れば「習慣的な自慰、射精」や「エロコンテンツに主導権を奪われる」ということはない。

射精の短期的快楽や魅力的異性を想定してそれに抗う、完全に意識を逸らすことが難しければ必要に応じて、気を他の方へ向けるなどの訓練を行う。

有名な話では修行僧が「女体を糞尿の入った袋や朽ちて骸になるものと思え」というものがあるらしいが、
そういうすり替え論理ではなくて、対象をしっかりと認識しながら自分の欲望も自覚して
心技体が一体となった正しい行動へと動機づけられていくという段階である。

実際の誘惑を前にして抗わないといけない場合は最悪、
三指法などで速攻で一時的に「元気」を漏らして、物理的に交われない状態にすることも辞さない。


たった今思いつきでフェーズのレベルを設定してみた。
厄介なことに年齢や社会的地位が上がるに従って勝手にこのレベルを上がっていけるわけではない。
意識的にたゆまずコントロールする覚悟が必要だ。

例えば夢の中でタイプの女性が現れても射精行為しない、など。
無意識レベルでの統御が必要となってくる。起きている間常に心を見張っていれば、夢の中でも意識や行動をコントロールすることは可能になってくる。

逆に意識的に必要とあれば「自ら気を抜く」「物理的・精神的な快感の向こう側までいく」
ということも必要になってくる。


上級レベルの話と書いたが、与太話半分、真面目半分といったところ。
昨今では性エネルギー乱用・誤用によるトラブルが後を絶たない。というか昔からあったが表沙汰になってきている。

たいていは自分本位な射精欲求によるものだ。
その多くの場合は幼少期から続くコンプレックスやストレスの発散として、傍若無人に振る舞ったことのツケが回ってきただけかもしれない。

しかし時には明らかにターゲットとして隙をつかれてしまい、無防備なため下半身から精気のみならず色々と抜かれてしまう人が多いのも事実だ。

相手は男性のツボを押さえて意識的に精気を搾り取ろうとしてくる。
SEXについては日頃からマインドコントロールが行われている上、身体の構造的にも赤子の手をひねるより簡単に性的な誘惑で虜にしてくる。男って単純だからね。

そしてその先には金銭や社会的な立ち位置など、いっときの快楽とはまるで見合わない対価を突きつけられるのだ。


それを防衛するためにも

・日頃から自らの願望とウィークポイントをよく把握しておく
・望んだ相手をちゃんと快楽の頂点へといざなう男性的な絶対的自信
・魅力的異性からの怪しい誘いを断る胆力・意志の強さ
・必要ならあっけなく尻尾を巻いて敵前逃亡する潔さ

これらを意識と無意識、そして行動の3つのレベルに落とし込んでおきたい。

得られる望ましい結果

・関係を持った相手に「最高の一夜」という深い印象と感慨をもってもらい、後になって「不本意だった」とは言わせない、脳裏にも浮かばせない
・そもそも対価と引き換えるになるような関係性を持たないように未然に防げる
・自分本位ではない「奉仕の精神」というのも大切だが、相手が自分本位でしかない場合もあると知り、日頃からの自己認識と取捨選択に気を配ることができるようになる
・いざというときは精神的な損切り、物理的に引いたり折れたりできるようになる


2025年4月8日火曜日

エナジードリンクを自作する

エナジードリンクを自作して試験的に導入し、一定の効果が見込めたので公開する。

味はまったく美味しくない。
しかし市販の清涼飲料水(香料や人工甘味料と炭酸、なにより広告とパッケージでイメージを作っている)よりも
格段に安価で強力なエナジードリンクが自作できる。

まだ人体実験の途中だが、かなりの集中力と覚醒を持続することができ、デスクワークやトレーニングなどにも有用だと思われる。

期待される効果としてはおそらく以下の通り。

・習熟した反復をともなう認知、動作
・同じ作業時間で比較した場合、それらをより速く、正確に、多く行える
・逆に言えば自由に発想をしたり、予測が効かない初めて行う行動には向かない

⚫︎レシピ
・コーヒーまたは紅茶または緑茶・・・カップ一杯
・Lアルギニン・・・6g
・クエン酸・・・4.5g
・天然糖・・・3g
・天然塩・・・適量

以下、補足事項。

※Lアルギニン、クエン酸は粉末のまま混ぜておいてビルダー飲みがいいかも。

※Lアルギニンとクエン酸の比率は最低でも2:1になるように。
 アルギニンは回に5g以上、1日に10g以内程度で調節する。少なすぎは効果が実感できず、多すぎは過剰摂取になる。
 カフェイン量もエスプレッソや玉露、アイスティーなど使い分けて適宜調整する。

※他のアミノ酸、ビタミンやミネラル系を追加したい場合は各自、適宜追加する。
 空腹時、午前中に摂取することを推奨する。
 個人的な体感では最低でも5時間の集中力の向上が見られた。

※できるだけ反動の少ない形で使えるように、日頃から意識と体の使い方に習熟しておく。
 自立訓練法や呼吸などのオーガニックな方法論を推奨する。

※普段はカフェイン飲料は飲まないか、アルギニンとは30分以上、できれば4時間空けて時間をずらして飲み、組み合わせないようにする。

※2日に1回までなどリミットを設ける。
 自作エナジードリンクを飲用した日はいつもより多めに水を飲む。(目安は3リットルくらい)。

※バッファをとって反動の対策しておく。
 次の日は休み、メラトニン・サプリで睡眠導入など。

※目標設定とそのために必要な具体的な行動がワンセットになっているときに使用する。
 試験のために3時間連続で勉強する、ウェイトトレーニングのために30分ハードワークする、
 ホテルのショートステイで一戦交える予定がある、時間内に掃除をしなければならない、
 東京から名古屋まで高速であまり休憩なしで走る必要があるなど。


特に最後の項目が重要。
特定のターゲット、目標に対して明確な行動指針が立てられた時にのみ併用することで、
意識的に脳に”エナジードリンク回路”を学習させていく。

たとえば「疲れているからシャキッとしたい」などといった時は1日8時間ほど眠る、ウォーキングやストレッチを行うなど自発的な行動習慣で解消するように心がける。
外部に依存する学習を強化してはならない。

ドリンクで疲労回復を狙うのであれば、クエン酸に食塩をプラスしたすっぱいドリンクで十分で、カフェインやアルギニンは追加してはいけない。
日頃の咀嚼回数や適度な運動で、腸内環境を最適化していおくことが前提となる。




2025年4月1日火曜日

才能の原石

久しぶりにブログらしいブログを更新。
2ヶ月半くらいに渡って書き溜めていた内容を放出します。

ーー

カクヨムに投稿しているチャイエスの舞台になっている水道橋。
主人公が足繁く通った幸楽ビル(仮名)があるんですが、Googleストリートビューで巡回していたらビルのテナントがごっそりなくなっていて驚きましたね。
周辺も建て替えや新しいおしゃれな飲食店ができており、時代の流れを感じた。

カジュアルにマッサージや会話、ちょっと期待してしまう展開を楽しめるチャイエスが廃れ気味なのは一抹の寂しさがある。


違法風俗店に関しては、私は一切ノータッチ。
入店後それとわかった瞬間に撤退するようにしてきていた。
”自由恋愛”が法に触れるかどうかとか、不法滞在の温床であるとか以前に、
手っ取り早く確実に”スッキリ”したいという男性達がいかに多いかという根の方が問題だと感じる。

一種の様式美である不純な異性交遊を費用対効果という経済的なロジックに当てはめてしまうと、色々と破綻してくる。

私が蓄精系ブログを書いたり、風俗・非風俗を絡めた碌でもないフィクションを書いたりするのはそういった根底の部分に根差した問題にスポットを当てたいからだと思う。
性を売買する男女に対する厭悪ではなくて、自分ごととしてシンパシーを覚えるからこそ。

性に関して根本的な意識を変えないといけないタイミングになってきていると感じる。


向きを変えれば向いた方が見えるという明確な原理がある以前に、
人は向いている方しか見えないわけで、前後左右は相対的な概念に過ぎない。

向きを変えれば景色は変わるのは当然として「向きを変える必要がある」というのは”何かをする必要があるゲーム”の思い込みを強化することになる。

そもそも我々は前しか向けないので、今向いている方が向きであり何かを変える必要すらない。
相対化されないその絶対的なポイントに気づけたなら、欠乏そのものだけでなく不足から逆算された願望は一瞬で全てなくなる。

要は視点と対象との相対的な距離の問題であり、
視点自体を転々とさせることができること自体がこの世界で生きているダイナミズムである。


毎日できるだけ歩くように心がけた結果、週間20-40km(天候により差があり)は歩いていると思う。
継続的なトレーニングで自重トレに進展が出てきている。
若干の小休止を挟んだ連続回数で下記の目標値を達成。

・ピストル・スクワット片脚150回ずつ
・レッグ・レイズ120回
・プッシュ・アップ700回

ここから段階的に上げていきたい。
SEASIDE MINDのブログ著者をリスペクトして連続1000回でスーパーサイヤ人化するのが2025上半期の目標です。
2、3日程度の断食も断続的に行っていて、胃腸や脳の疲労回復に一役買っているはずで
間接的に筋力のアップにも効果的に作用しているのではないかと推測している。


ふと思い立って最新のiPhoneに新調した。
デジタル・ガジェットは最新機種を新品で買うという選択がもっとも無難かもしれない。

機能とかデザインとかのカタログスペックとは別に、その個体との関係値というものが隠し要素としてある気がしている。
ここ3年ほどは中古品・新古品を使っていたがどうにも「肌が合わない」と感じることがあった。

自動車や楽器や洋服なども新品と中古とでは、見た目や機能とは別にフィーリングの違いが確かにあるが
毎日使用するスマートフォンはかなり顕著にある気がする。

少なくとも自動車、楽器、洋服などは”クラシック”や”ヴィンテージ、オールド”といった付加価値的な文脈になりうるけれど、
今のところデジタル機器に関しては癖や劣化のような形として出てくるので、ソフトに合わせてハードを乗り換えていくしかない。


お金を得ることは気持ちいいしテンションが上がるのだが、実際には自分にとって有効に使うとき(想像するだけでも)気持ちよさを感じている。

射精のプロセスが気持ちよく感じるように学習されているのと同じように、
それは習慣化によってコントロール可能な領域にある。


我々は生まれながらにして”引き寄せの達人”であり”潜在意識のマスター”だ。
あなたが無力で、外側に真理や力が存在するという教えは全てまやかしだと思った方がいい。
思考によって言語的に分離さえしなければ一瞬で全てシームレスにつながる。

望ましい結果を得たいのであれば、意識的に生きることが大切かもしれないし、そうでもないかもしれない。
目標設定をしてもしなくてもどちらでもいい。

どうせ生まれてきてしまったのだから、気分よく生きていきましょ。