いま断捨離の真っ只中で、以下のカテゴリに分けながら箱を振り分けている。
書籍、CD、DVDは保管の都合上分けてあるが、あとは自分なりのカテゴリで分類しないと全部ゴミに見えてきてしまうのでABC分類にした。
A.望まずに手に入れたもの
B.望んで手に入れたもの
C.まだ手に入れていないもの
Aは卒アルとか寄せ書きみたいないただきものがメイン。
自然発生的に手に入れた割には再現不可能なので、捨てることができない。
完全に忘れ去っていたのだが、アルバムや卒業写真のほかに賞状や卒業生代表の言葉(?)の原稿などがあった。
他人が評価するような内容で成果をそれなりに残していたのかもしれないが、
当の本人はほとんど覚えてなかったし、それを見てもさっぱり思い出せないことが多い。
通信簿のコメント欄に「asくんはムードメーカーでクラスの輪の中心で」というような決まりきった文言が書いてあったのには驚いた。
テンプレとはいえ、私はそんな陽キャなつもりはなく、スクールカースト圏外だった自覚しかない。
”認識変更によって過去が変わった”みたいなオカルト量子論な解釈を持ち出さなくても、
「自己認識と他人から見た印象が丸きり違っていた」と考えればいいのかもしれない。
他人から見れば陽キャっぽいのに、話してみたら自信なさげな陰キャだったら
なんか気持ち悪いしモテるわけないよなとふつうにおもった。
個人的に面白いのは後に仲良くなる人が数年前に同じクラスにいたこと。
あとは修学旅行の写真の中ではとても仲がよさそうに写っているのに、その後の卒業シーズンではまったく絡んでないように見えることも多々あることだ。
関係性の不確かさと脈絡のなさ、あとから振り返れば伏線回収的なものが見られて面白い。
面白くない人にとってはとことんどうでもいいはずなので、卒アルなんて嵩張るだけのものは速攻で捨ててるのかもしれないな。
たまに開いて眺めると思わぬ発見があるので、読み物としてひじょうに面白くて個人的には好き。
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Bは子供の頃に買って捨てられない小さいおもちゃなど。
いちおう過去の夢日記はここに分類してある。
ある程度は意図的に、金銭と手間を惜しまなければ同等のものを手に入れられる可能性はある。
望んで手に入れたものがゴミに見えることほど悲惨なことはないので、
断捨離されるものが一番多いカテゴリながら、買ったものはできるだけBの箱に残れるように選別したい。
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Cは意味不明ではありながら、主に趣味の活動に関するものが入っている。
まだ成し遂げていない現在進行形のこともここに入る。
これから書こうと思っていたり、取得しようと思っている資格試験だったりなど。
対価はともかくやりがいとか目標みたいなものは未来志向なので
Cカテゴリに関連するところから出てくる傾向にある。
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Dカテゴリを作って、消耗品やストック品の枠をつくるとキリがなくなるので全部処分。
使うかわからないけどとっておいてあるUSBケーブルとか予備のボールペンとか。
そういうのが溜まると場所ばかり取るので全て捨てる。
季節ものや洋服、衛生品などの必需品はとりあえず別枠。大した量じゃない。
使ってない食器も大量に処分する。
割り箸やストローなどは(もらうことはほとんどないにしても)あっても邪魔なので全て捨てる。
同一カテゴリのジャンル違いは上限数を決める。
靴は3足。時計はフォーマルと普段使いの二つ。眼鏡は一つ。
カバンは旅行、フォーマル、カジュアルの3つ。
イヤホンは各バッグにひとつ入れていたけど、スマホで有線が使えなくなったし捨てるかな・・・
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もう10年以上も前にかなり熱心に夢を記録していた。
なぜかスマホのメモだと鮮明に浮かばないので、仕方なく手書きをしていた。
その時の夢の記録の間のページに、何十回か記録した間で見られた傾向から
夢の設定について書き出してあったので箇条書き。
ー
・夢でスマホを使うことがない
・楽器、コンタクトはある
・メガネがない
・財布はないがコインはよく見る
・空を飛ぶのはグライダー
・パソコンはよく見かける
・音楽は聴く
・食べる、飲む
・触れることはよくある
・英語を少し話せる
・アルファベットは想起できて揺らぎにくい
・数字も揺らぎにくい
・靴を履くシーンがない
・足元はほとんど見ないが、鏡はよく見かける(実像を反映していない)
・アナログ時計は見かけない
・デジタル時計はよく見るが、見るたび表記が揺らぐ
・重要度が低い懐かしい人が、いきなり仲良し設定で現れる(小、中、高の人間)
・女性は知らない人が50%くらい
・背景設定に夜、海、水、空が多い
・ナイフ、ライトセーバー、バットなどを多用する(自分にも他人にも致命傷は与えない)
・小さいものを飛ばしたり、簡単な破損を直したりできる
・ヨガ、マッサージ、カフェなど(当時よく習慣的に利用していた)場面は意外と出てこない
ー
へぇと思いながら振り返ってみると今も夢でスマホを使って何かを調べたり、写真を撮ったりするようなシーンってないなと思った。
日常生活では毎日何時間も手にしていて慣れ親しんだ動作のはずなのに、考えてみると不思議だ。
夢の中でできないことは現実でもできないような気がしてる。
逆に現実でできることは夢でもたぶんできるし、物理的制約がない分自由度が高い。
これはイメージングなども同様で、イメージトレーニングを繰り返すことで
現実で体を使って動かすときに精度や確率が上がるということは理にかなっていると思う。
ものを整理したり捨てたりすることと、夢で見たことはほとんど関係ないように見える。
だけど引きで見た場合
「実現可能性と物理的制約」、「自分で設定している目標達成と不要なもの」、「忘れているけど実現したこと」
などほとんど同じテーマなのではないかと思える。
引き続き、現実的な設定を物理的に操作しながら思索していきたい。
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