物件情報を見るのが好きでついつい断捨離が疎かになってしまう。
土日で気合いを入れて捨てにかかっている。
人生において欲しいものや目標を定めるのは重要だけど、
いらないもの、不要なもの、必要ないもの(全部おなじ)を見定める方が遥かに重要だった。
大まかに4つにカテゴリを分ける
・1.手に入れようとして、手に入ったもの(獲得済みの願望)
・2.手に入れようとして、手に入ってないもの(願望)
・3.手に入れようとせず、手に入ったもの(意識していない願望、事実)
・4.手に入れようとせず、手に入ってないもの(視界に入っても気づかない)
3.手に入れようとせずに手に入れたものは言い換えれば
欲しいと思ったことすら忘れているもので、持っていて当然と思えるし、願望というよりはたんなる事実に近い。
今の自分を構成しているパーセンテージとしては比率デカい。
その人にとって得意な領域というのは、この3.領域に関連している比率が高そう。
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断捨離ベースの話に戻す。
2.手に入っていない願望と4.視界にも入らない部分は今回は関係ない。
身の回りの環境はほぼそのまま自分なので、
獲得したものを棚卸しする作業になってくる。
欲しいと願って狙ったものは当然思い入れがあるし、手放しづらいのはわかる。
欲しいと思ったわけではないがいただいたものや手作りのもの、卒業アルバムや文集なども手放しづらいし、売れない。
こういったものは所有し続けても問題ないと思う。
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どれもこれも大して重要じゃなく感じて、邪魔だから全部まとめて可燃ゴミで捨てたい気分だが、
それをやると後々後悔するので一旦冷静に。
身の回りのものは(観察する意識が物質を作っているという立場は一旦置いておいて)
昨日までの自分が選んだものだけで構成されている。
だから今後の未来とは関係がないのだが、所有することで自ずと関連してくる。
捨てるか売るかは思い入れとか希少価値とかは関係なく、
「今後も頻繁にそれを手に取るか」という観点からだけでジャッジしたい。
CDは聴くのか(データが損傷しても再び取り込むくらい好きなのか)
本は所有だけでなくちゃんと開いて読むのかなど。
その問いにNoになるものを片端から処分していく。
客観的な視点が入るほど「持っていた方がいいのではないか」という気になり
前後左右へと派生していくのでキリがなくなってしまう。
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私は「綺麗に全部揃えたい衝動」があるな、と子供の頃から感じているので
古い遊戯王のレアカードくらいに留めておくように心がけている。たぶんコレクター気質があるんだとおもう。
デジモンの格好いいフィギュアとか欲しいけど、一体集めたらコンプリートするまで
際限なく集め続けてしまうし、フィギュアを飾るラックやアクリルボックスも欲しくなるし、
そのための部屋とか空調管理もしたくなるし、キリがなくなってしまう。
コレクター気質と僅差で”整理整頓マン”が勝っているから、たまに断捨離するだけで済んでいる。
知り合いのかなり年上の男性で、フィギュアやカメラ・ガジェットなどをジャンルレスに買い集める人がいる。
コレクターは例えば”通し番号でフルコンプリート”とか”キャラ縛り”とか”シーズン、年代縛り”とかなんらかのコンセプトをもって、コレクションを作り上げる。
自分でものづくりはしなくても、その独自の視点とコレクションするプロセスがオリジナルでクリエイティブになる。
知り合いの男性はまったく統一性がなく、管理方法も適当なので部屋に足を踏み入れると非常に(見ている方は)混乱する。
なんでDisneyとジブリとPIXARが一緒くたになってるんだ?
同じキャラのおもちゃが何体かグレード違いであるのに、同世代の他のアイテムがないのはなぜ?
となんだか気持ち悪くなってくる。
本人にとってはなんらかの一貫性があるはずなんだけど、長年見ていてもそれがわからずにいる。
お金があるのは確かで、どれもそれなりに高価なのだろうけど、
もっと年代やシリーズのコンセプトを絞れば有名コレクターになれそうなのにもったいないなと思う。
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過去の自分が関心があったものが将来的にそうなるかはわからない。
もしまた関心が戻ってきたら、なんとしてでももう一度手に入れるはずなので
市販されているようなものは売るか処分してもほぼ問題ないと思う。
そんな感じで、今回はわりとシビアに処分を進めている。
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