最近、季節的に安定していて寝心地がいい日が多いからかけっこうたくさん寝てしまう。
昼寝と合わせたら9時間くらい、土日は11時間は寝ている気がする。
あまりに蓄精ベースの生活が長すぎて、7時間以下の睡眠が普通だったけれど
もしかして筆者は元々はロングスリーパーなのだろうか?
このページによれば、ショートは6時間で十分で社会適応が良好という傾向らしい。
ロングの人は9時間以上の睡眠が必要で、やや抑うつ的、社会的に引きこもりがちという傾向らしい。
ロングスリーパー、ひどい言われようやな(笑)
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一旦話は逸れるが、通学や通勤に使われる時間って実はかなり大きい。
都内では電車で通勤1時間は平均的だったが、出発の準備や電車遅延のバッファをとると
9時始業に対して遅くとも6時30分までには起きている必要があった。
それが(業務内容にもよるが)在宅勤務がメインとなると、
9時始業に対して8時50分に起きても間に合う。
帰宅時間に関しても、たとえ残業したとしても通勤0分と1時間の差は大きい。
休み時間に家のベッドで昼寝をすることもできる。
オフィス街の混雑したコンビニに買い物にいくより、住宅街の人が少ないコンビニで買い物がてら散歩をすれば毎日決まった距離(2−4km)を歩くのも苦ではなかった。
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人と接する機会みたいなものが極端に減るからなのか、
確かに知り合いでも抑うつ的な傾向が出てきた人がいる。
在宅勤務が増えて誰にも相談できず鬱になって自殺する人まで出てきた、というニュースがあった。
これは非常に痛ましい事件であり、心から残念に思うのだけれど、
在宅だろうが出勤だろうが今までも同様にうつ病や自殺者はいたのだと思う。
やりたくもない仕事を毎日毎日やらされて、出口のない中でずっと家にいたらそりゃ鬱にもなる。
「試験ダルいし、あの教師ムカつくよな」と言ってられた学生時代が恵まれていたのかもしれない。
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いかにして特に戦後の日本で無批判に体制に従う人が量産されていったかを書き始めると長くなるので省略して、
睡眠時間について話を戻す。
「何歳だったらこれくらいが適正の睡眠時間」とか「短眠の人はよくて、ロングはよくない」みたいなデータってかなり信憑性が低い。
同様でXX時間以上の昼寝は死亡率が高い、というデータもかなり信頼性が低いと思っている。
ちゃんと全ての研究の元を辿ったわけではないけれど、まぁそこはこんな適当なブログだからいいだろう。
睡眠外来に相談に来るのはおそらく学生かサラリーマンがほとんどであり、
長時間の昼寝、仮眠が取れる成人は老後の生活者でおそらく介護施設にいる人たちだ。
そりゃ(長く寝過ぎて仕事に支障を来たすんですけどという相談者は)そう(鬱傾向で社会的不適応に)なるし、
当然(70代80代の身体の活動レベルが低い人たちは)そう(近く亡くなる可能性が高い)なるだろう。
中には無自覚のナルコレプシーの人も含まれているかもしれないし。
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「最近けっこう長く寝ているけど自分はどう感じているだろう」というより本質的な問い。
「たくさん寝られれば気分が良くていいなと思った」という感じだ。
けっきょく自分がどう感じるかで判断するしかない。
自身がデータ群に含まれていない研究結果を参照して、相対的に自分の位置を定めるのは無理がある。
そのとき体が求めていることをした方が、社会規範に迎合するより遥かに”適応的”だと経験上わかっている。
筆者と同じような環境で育ち、経済状況や社会スキル近く(なんなら私よりも高い)人たちが
軒並み鬱病・あるいはその傾向を示すのに、「逆にどうして私はこんなにお気楽で精神的にダメージが少ないのだろう」と考えるくらいだ。
それについてはいくつか要因があるが、ひとつには性エネルギーが圧倒的に大きい。
睡眠時間の長さはそこまで関係ない気がする。元も子もねぇな。
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最近取り組んでいるとことでもっとも大きなファクターは”グルテンフリー”こと小麦製品抜き。
それによって胃腸の働きが正常化されたり、満腹中枢など視床下部の中枢神経に変異をきたしたりしていると思うので、
その過程で無意識の働きがもっと必要とされているのかもしれない。
起きているときに行う身体活動や意識活動とは別に、眠っている間は体も精神もふだんはできない処理を行なっている。
正しく消化器官が働いていると、よく噛んで飲み込んだ食事をしっかり吸収して栄養を体に運べるようになって
体に今は負荷がかかっている状態なのだろうと予測している。
この状態で1日1食、2食や断食をしたら睡眠時間はかなり短く抑えられるんだろうな。
寝る間も惜しんでまでやりたいことは特にないが。
試行回数を増やすほどチャンスが増えるのは間違いがないが、
たくさん、長い時間活動をすればするほど望ましい、という行動に正比例して結果が出せるというのも思い込みに過ぎないので適当にやってこうとおもう。
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たぶん誰もが経験したことがあるとおもう「ビギナーズラック」という現象。思い出せるだろうか?
あれは意識、意図、身体性が伴っているにも関わらず自我がほとんど介在しないからこそ出てくる。
肩肘に力がまったく入っていない感じ。
全ての行動を”ビギナーズラック化”させるのが一番いいメンタリティだとおもっているので、
「そのタイミング、その場所にいれば手を伸ばすだけでいい」
というような状態へと導いていければいいなとおもう。
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