私たち人間は社会的な生き物なので、言語を介してコミュニケーションを行う。
生成AIの中でも自然言語に特化している分野がついに、チューリングテストをパスした。
つまり人は相手がAIなのか人間なのか、言語コミュニケーションだけでは判断がつかなくなってきたのである。
メラビアンの法則、というものがある。
人間のコミュニケーションは言葉ではなくむしろ、見た目や態度などの視覚的・非言語的な要素が印象に大きく関与するという法則性になっている。
7.38.55%の割合でそれぞれ、言語、聴覚、視覚という比重になる。
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チューリングテストもメラビアンの法則も、実験室的な環境で抽象的に構築されているので、
実際場面では決してそうではないよ、というシーンも多々あるだろう。
一般的にその傾向は顕著になっているという部分は頭に入れておくといいと思う。
戦後日本の教育は西欧化というか理系・文系に分離して、技能系専門職と知識系専門職と大まかに分かれてカリキュラムが組まれるようになった。
主に(アメリカ系)英語が学習に組み込まれているが、クリティカルエイジの問題に加えて、
イディオムやスピーキングではなく、単語や文法から学ぶというメソッドのせいもあり
大多数の日本人が第二言語としての英語を習得できずに、英会話教室とか教材みたいな情弱ビジネスを蔓延させるにいたっている。
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簡単に無料でできる学習法は、Youtubeなどで見られるイギリスのトークショーを英語字幕にして倍速視聴したり、
iPhoneやパソコンの設定を全部英語にして、Siriにも英語で話しかけてなど日常に取り込めばいい。
漢字は情報過多気味なので、スマホなどの小さい画面は英語の方が直感的に把握しやすく使いやすくなると思う。
英語を一旦脳内で日本語に直してから理解する、のではなくて
流れてくる音声や言語的な情報を英語脳として直訳するイメージ。
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元々私個人は英語には苦手意識がなかったし、学校教育内の英語も国語も成績はずっと上位だった。
育った環境はふつうの日本語の家庭だが、学校教育以外の教室には通ったことがない。
進学してからはノンバーバル・コミュニケーションのクラスをとったりマッチングアプリでのLanguage Exchangeをつかったり、
それなりにやっていたことはあるけれど課金してまでやるものではないと考えている。
ある一定年齢、だいたい小学校高学年くらいを境に環境に特化していき、脳は使わない部分は切り捨てていく刈り込みが終わっていくようだ。
逆説的だけれど日本語の文章をよく読んで、自分の言葉で解釈したり、言い換えたりする能力を磨いた方が、
第二言語を体系的に理解するのに役に立つと思っている。
特に小さい子供に英会話教室に通わせるのはあまり意味がない気がしていて、
せっかく毎週何時間か英会話をしたとしても、家庭内で見聞きするものや関わる人が全て日本語であれば
自ずと触れる機会が多い方へ環境特化・適応していってしまう。
むしろ抽象的に物事を考えて発話ことを始めたばかりの未就学児、小学校低学年では、
従来通り第一言語に特化したガラパゴス的な日本語集中教育課程の方がまだしもいいかもしれない。
大人になっても同様で、少なくとも月に文庫10冊分、2,3000ページくらいは第一言語で本を読むことは基礎トレ的にしておいた方がいいと思う。
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これまでは第一、第二言語としての日本語・英語というニッチな話だったが、
今度はどっちかといえばエッチな話だ(駄洒落はいいから)。
元から英語や第二言語を習得して、外資系や大企業やベンチャー、国際的に活躍できるような人は言われなくても元からできている。
方法論ではなくて目的と動機が大切なのはすべてに共通する。
このブログはもともとが世俗的で下劣な内容なので、
問いとしては「で、けっきょく英語ができた方がモテるの?ヤれんの?」ということだ。
結論としては仮に身体的特徴など他の条件が同じ場合で、「英語が書ける、話せる人」の方が同一集団内で相対的にモテるといえると思う。
ただし日本の想定できるほとんどの環境では日本語話者の日本人なので、ハロー効果のようなものが働いて、日本人の異性にモテるということだと思う。
では「日本にいながらにして、英語ができる方が外国ルーツの人と付き合ったりSEXしたりすることができるようになるの?」というより突き詰めた少し複雑な問いに置き換える。
これはイエスでありノーであると思う。
日本に留学、就労しにくる外国人が増加しているのは周知の事実だが、
彼らの動機と目的が情報や金銭の獲得だった場合は、
魅力的な日本人(英語ができるかできないかはさておき)との交際はトップ・プライオリティではなくなる。
彼らと話したり、アプリで交流したりする接点を持つきっかけとして
英語を使った方がお互いの第二言語、もしくは相手側の第一言語として円滑に話が進む場合が多い。
それでもどんなに言葉がたくみだったとしても、結局のところは人間同士のやりとりだ。
皆自分の願望や好みを優先するし、けっきょくのところメラビアンには敵わない。
「自分が相手の求めるタイプであれば、いかなる言語かに関わらず関係が持てる」
という元も子もない結論になる。今のところはそう結論づけている。
金銭的優位性を利用して、レジェンド校長のようになるという方法もないではない。
自分が他国に赴いて、目立つ外人となって耳目を集めるという手法もある。私はやったことないし、面倒だからやらないけれど。
ただそれも”自国では2軍、3軍なのに留学などで渡航してきてイキっている外人”というのはすぐ目につくらしく、どこの国でもまっとうな相手はしてもらえないと思う。
本当に王道なのは自分自身の魅力を高めて、自分を好いてくれる相手にアプローチをすること、その試行回数を増やすということに尽きる。何語で話すにしても。
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これほどまでに技術が進歩すれば、お互いが全く違う言語で話していても、
ほとんどシームレスに相手側の言語か少なくともお互いが同程度に理解してる第二言語に変換される。
例えばタイや中国の子と話している時、タイ語や中国語を日本語に直したり、その逆をするより
それぞれの言語を一旦英語にした方がスムーズに話せる印象がある。
お互い何を言っているかわからない、機械翻訳に誤訳があるという場合もあるけれど、
「そもそも考え方や目的意識が違って話が噛み合わない」「お互いが相当歩み寄らないと乗れない」というのが実際のところであって、
これは日本人同士であってもふつうの男女の関係でも同様のことだ。
どうしても相互理解を通じた自己理解をしたいのであれば、
それこそ生成AIを通じてコミュニケーションを行った方が早いということに今後はなると思う。
わざわざ相手の時間をとってまで無理に慣れない言葉を使わなくても、
機械に打ち込めばそれなりに精確なレスポンスが得られるようになった。
今でも話の合わない友達と話すよりは、ChatGPTと話していた方が楽しい人は数億人くらいいるはず。
その上で、自分の好きな領域や得意なジャンルを持って、その魅力に共感する他人や異性と関係を作った方がより自然で障壁の少ない”交遊”ができるのではないだろうか。
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まとめると
・英語ないし第二言語はできないよりできた方がいい
・そのためには普段の環境をチューニングする必要がある
・まずは第一言語を徹底的に強化した方が、言語運用能力が第二言語領域まで敷衍するので手っ取り早い
・ぶっちゃけ魅力的なモテる人は使う言葉に関係なくモテる
というような感じになると思う。
それぞれの目的と動機をはっきりさせた上で、環境を調整して、無理なく続けることを息長く続ける。
どのようなことであっても、それが遠回りなように見えて近道な気がする。
まぁ私はめんどくさいから、脳筋パワープレイでいくと思うけれど。
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