2025年5月20日火曜日

※※CLUB

米の価格が高騰しているとはいえ、仮に1日3回の主食を全て食パンに置き換えた場合、
米の方がまだコストパフォーマンスに優れていると思った。
全てパスタに置き換えた場合はもしかしたら米より安いかもしれないけれど、
満腹感の継続という点ではやはり米の方が上回ると思った。


ほとんど食べないか断食期間の方が体の調子はいいけれど、
一生食べないというのは無理だし、楽しみとしての食も嗜みたい。
だから一生パンやパスタなどを食べないということでもない。

自炊で米プラス魚菜食が一番財布にも体にも優しいだろうという今の所の結論。
外食も和食がいいので各牛丼チェーン店、大戸屋ややよい軒、譲歩してサイゼリヤのハンバーグかドリアのランチなどが無理なく続けるにはよさそうだ。

できれば無農薬の玄米を数日寝かせて発芽玄米にするといいが、かなりハードルが高くなったと感じる。
残留農薬のこともそうだし、酸性に傾きやすく消化不良になりやすいので常食には向かない。
一定期間集中してデトックスするにはいいが、トータルで見ると胚芽米が長く続けるにはバランスがよさそう。


「和食中心になると性欲が下がり、欲求がコントロールしやすくなる」という通説は半分は当たっていて、半分は外れているという体感がある。

エロ漫画やアダルトビデオに見られる激しい運動の末、男女が咆哮あげて射精で終わるというストーリーラインは、
ファストフードやジャンクフードと強く関連づいている。

それは延々とショート動画をスクロールする、もしくはクソみたいなパズルゲームをやっている指の動きと、
クリトリスや亀頭を中心に自慰行為する姿がリンクしているのと似ている。
刺激が強くてピーキーな反面、短期的で最大瞬間風速的な快楽。

和食はどちらかといえば静謐で穏やかになる傾向にあるが、性欲は依然として強く存在する。
居合や茶道のように、禅的で最小限で最大の美を表現したいという欲求が強化される。
形式や型そのものに意味があるとする姿勢であり、神社の鳥居から参道を女性器になぞらえているように
”参拝する”という非日常感を大切にする、という感覚。

誰もがそうかはわからない。
毎朝秋刀魚の蒲焼と納豆ご飯で激しい3Pで5回射精する人もいれば、ビッグマックとコカコーラでタントリックSEXを嗜む紳士もいるかもしれない。

あくまでイメージとして、質としての性エネルギーの変化が
食生活よってもたらされるというのは実感して確かにある。



食生活を決めてしまうと非常に楽だなと気づいた。
スーパーへ買い物へ行っても「今日はなににしようかな」という漠然としたマインドセットにならない。

「これは食べないから買わないでいい」というものがお店の80%くらいを占めるようになった。

パスタを買わなければパスタソースはいらないので関連する棚も見なくなる。
小麦が使われているスナック菓子類などはほぼ全滅するので、せんべいかポテトチップス、チョコレートくらいしか見る棚がない。
基本的に米と魚と野菜で満腹になるので、それもたまにしか買わない。

よく心理的盲点、スコトーマという原理で

「自分にとって重要な情報しか見ない。物理的に存在していたとしても無意識が知覚をシャットアウトする」

という説明がなされているが、まさにその通りで自分にとって重要度が変わると
普段通っているスーパーやコンビニ、街並みでも見え方がまるきり変わってしまう。


今のゴールは「できるだけ金銭的なコストをかけず、自力で短期間で筋肉によって増量する」というもので、
それに沿って動いている人の世界線になってくる。具体的な数値目標もその中に入ってくる。

そこから逆算するとどうしてもトレーニーっぽい思考になるし、逆にスコトーマが生まれてくる。
図書館で定期的に本を読んだり、好きな音楽を聴いたりする時間を削らないでおきたい。
そこに性的な遊び、セクシーな浪費が入り込む余地は全くない。


たぶん3ヶ月くらい(誤差は多分あり)で目標に達するので、次は同様に経済的な目標も設定していきたいと思う。
例えば「1年以内に収入XXX万円で、支出の内訳は項目ごとにそれぞれXX万円」みたいに。
実際には月ベースで目標設定に落とし込むと思う。
”年収”という臨場感は確定申告か年間契約しているものでしか個人的には体感できない。
Google oneなどの契約も年間契約だけど月毎に引き落としがあった気がする。違ったっけ?

事業者として申告することがあれば、年間でイメージをつくるかもしれない。
それでも按分して、月毎に支出やプールの比率を決めていくと思う。


普段から記録として支出のログはとってあるので、体感と絡めて目標を設定するのはそれほど難しくない。
達成するプロセスは知らない。

考えてみれば学生時代のアルバイトで「年収120万円達成する」みたいな目標ベースで動いてなかったので、単にそうしてないから見えていないことがたくさんあったというだけかもしれない。

大学時代で親類やパトロンや不労所得などで月々8万とか10万円ある人はけっこういた。
当時頑張ってシフトを詰め込んで、いろいろな条件が重なってもせいぜい月に13−15万円程度の収入にしかならず

「どうして何もしないのに(特別な血縁や資格やスキルなどないのに)お金が入るのだろう」

と不思議で仕方がなかった。
”月に12日シフトを入れて10万円稼ぐ学生”という役柄の世界線だと、”不労所得で8万円”という現実は全く見えなくなってしまう。
ほとんどおとぎ話や映画の世界に近い臨場感まで離れてしまう。

その人からすれば当然見えてるものが現実としてあるだけなので、不思議でも神秘でもなんでもなかったのだろうと今なら想像がつく。



この構造は今のWebマーケティング的な広告戦略ととても似ている。
検索履歴を反映した広告がページに出てくる、というようなものだ。

twitterはもうやっていないので詳しくないが、
多分フォローした人のツイートが時系列で並んでくるのでなくて、
ユーザーが関心のある項目が一定のアルゴリズムで表示されているのではないだろうか?

その人が見たいと思う情報だけがピックアップされ目の前に現れてきて、
その情報をまとめたものが現実としてその人の認知を形作っていく。

中央集権的な支配構造によるディストピア論を語りたいのではなくて、
その知覚の構造はそもそも人間の認知のデフォルトで機械的にそれを模倣したのだと思う。

あるいは宇宙情報としてそういう機能”本人が見たいと思う世界を創造する”が含まれていて、
逆に人間に有機的に、機械にはやや無機質に実装されたにすぎないのかもしれない。



0 件のコメント:

コメントを投稿