2025年6月13日金曜日

JPOPはクソという記事のコメント欄がクソ面白い

 この記事 が個人的にめっちゃ好みだった。

本当は今年の上半期に見た面白かった映画3作品についてかなり熱を込めて書いていたのだが、
保存されてなくて全部吹っ飛んでしまい、書く気持ちがなくなったから他の記事。

公式ページに驚くほど情報の少ない、日本製のギターとか楽器について検索していたところ
たまたま行き当たったので開いてみたら面白かった。

ふだんは個人のブログ記事なんて、自分が書いたものくらいしか読まないけれど、
上記のブログはコメント欄がものすごく熱気を帯びていて羨ましく感じたくらい。

たいていのSNS のコメント欄って地獄。
特に救いようのないミュージックビデオのコメント欄で

「明日から入院で〜」とか「70のじじいだけど」とか「2025年でも聴いてる人!」とかに
大量のいいねがついているのどうにかなんねぇのかなって思う。

アーティストの作品発表の場なのに、他人の自己承認欲求だか不幸自慢だかを見せられると真顔になるよね。

あ、でもMVコメントでポエム発表してるのは一周回って好き。






話が逸れた。

上記ブログ記事の内容は、J-POPという業界というかジャンルというか、
芸能や教育、歴史を絡めてアートとしてどう見るかという論考を交えた
ブログ著者の個人的な意見書なのだがそれに同調、反論、読者やコメントした人同士でもやりあっていて、
「なんだか頼もしいな」なんて思ってしまった。

自分が歳を重ねてしまってきているからか、何だか好きなものを好きということと
嫌いなものは嫌いと恐れず言い切ってしまうことに対して熱くなれずにいる。

攻撃性のある情熱なのか、情熱を帯びた攻撃性なのかは紙一重ではあるものの、
少なくとも3年くらい前の自分の書いた記事はもう少しアグレッシブだった気もする。


今でもふつうに嫌いなもの、気に食わないやつ、ムカつく対象なんていくらでもあるが、
それについて考えることさえマジでもうどうでもよくなってきてしまった。

それと同時に、自分が何としてでも貫きたい信念や信条だとか、手放しで絶賛したいものだとかについても
どっちでもいいという気にさえなってきてしまった。

ずっと熱心に所有していた趣味のツールやアイテム、コレクションなどを売ってしまって
その気持ちもさらに拍車がかかったようにも思う。

秘めたる思いはそれなりに燃えてはいるものの、
あえてそれをどこかにぶつけたいとか昇華させたいとかも思わなくなった。

それはそれでいいじゃないか、とある意味で距離を取るのが巧妙になってきてしまった。


念の為記事のコメント欄に見られる大まかな流れに沿って意見を述べると、
小室ファミリー系は小っ恥ずかしくなるし、エグザイルとかジャニーズとかアイドルも耳汚しで、洋楽パクリバンドもどきはダサくて、
ボカロやアニソンはハイレベルで独特で、近年のYOASOBIや米津は実にナイスという流れについては概ね同意するかも。

どういう人たちが支持しているか、という大雑把な層が異なって
個人レベルまで突き詰めたらきっと皆いい人たちなんだろうけど、
「こういう音楽聴いてる人って、そっち系だよね」という議論は昔からあったし、今もあるし、これからもあると思う。

もっと抽象的に、音楽を業界的な文脈やルックス、歌詞と切り離して
コード展開やアレンジ、メロディや楽器隊ごとで捉えてその良し悪しを愉しむ
(という聞き方を誰にも求めるのはやや酷なものの)
自らリスナーレベルを上げることでひいては業界全体のレベルアップにつながっていくというのは本当にそうだな、と思う。

念の為いっておくと私は音楽的な教育も素養も皆無で、楽譜も読めないし楽典や理論もほとんど知らない。
しかも上の記事で出てきた日本のポピュラー音楽のミュージシャンの名前が半分もわからなかった。

教養も雑学もないから記事にコメントさえできない自分にがっかり。



たまたま1週間くらい前に日本版のビルボードチャートの月間ランキングを遡って全てチェックしていた。

たしかに明確に2010年代の前半は特に変だった。
中国バブルと震災など経済的な背景もありつつ、握手券商法やフェス文化が台頭し、ガラケーの着うたとiPodという聞き方から、
スマホとアプリというインスタントな聴き方に移行してきたタイミングだった。

アメリカでのポピュラー音楽はこの時期が隆盛を極めたといってもいいくらい群雄割拠だったけど、
ニッポンでは同じアイドルの同タイトルが席巻してしまい、音楽的な停滞感は否めないと正直思った。



それでまたタイムリーなことに




今日、リカレントルールなるものの導入についての解説動画をたまたまフル尺で視聴していた。

「サブスクで聴かれる曲はもっと聴かれる、というアルゴリズムになっているせいで
公平性を欠いている現状を鑑みて、レギュレーションを少し改訂するよ」って話だった。


こうやってみてみると、大衆音楽は時代という文脈にしっかりと根付いていて不可分なことのように思える。

何が正解とか良し悪しだとかはもはやなくて、いろんな人のいろんな思惑や感情がごっちゃになっているので
客観的に見ればJPOPなるものもそうでないものも、それなりに面白いんじゃない?とは思う。

逆にクラシックとかピュアオーディオが至上なのかというと、それはそれで結構な界隈なので迂闊に手を出すと大火傷をしそうだ。



チャートや売上や再生数などの客観的な指標に頼る。
自らアングラなレコード店でディグって悦に入る。
あるいはひたすらにピュアで至上な絶対的価値を希求する。
アカデミックで論理的に要素分解して、分析的に理解する。

ひとことで音楽っていっても色々な聞き方があって奥が深いなとおもう。
しかもプレイヤー視点ではなく、あくまでリスナーに限ってもそうなのだから尚更奥深い。

いちおう贔屓のミュージシャンは何十組かいる。
しかも好きな音楽家:平沢進って書いてはいるので、裏を返せば嫌いな音楽は相対的にかなりの数に登るのかもしれない。

平沢さんが音楽のジャンルとか好き嫌いの議論に上がっているのみたことないけど。


いっそそういう論争に入ってこない、独自のことをやっている人だけを細く長く応援すれば
「自分の好きな人を攻撃されて傷ついた」みたいな的外れなコメントする人にはならないかもしれないよな。


そんなに嫌いな音楽って気になったことないな。
(そもそもそんなに他人に興味がないのか??!)

ガキの頃は湘南乃嵐とかGReeeNとかを大々的に嫌っていた時期もあったけど、
音楽的に嫌いというよりはそれらを好んで聴いている層が嫌いだっただけだな。
でも音楽そのものにヘイトを覚えたことってそんなにないな。

ブランキージェットシティは本当に格好いいと思っているけど、知ったときには解散していた。
だから架空の再結成ライブレポートを書いたこともあった。


何かを徹底的に嫌いになれるほど、自分はその反対に位置するものが好きなんだと言い切れるような生き方って憧れちまうよな。

年々こだわりが減っていく自分に対して、久々にいい刺激をもらったコメント欄だった。
そしてやっぱ個人ブログっていいな。

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