要約するとぼくちんはえーごがとくいでしたとみたいなクソ記事を書いたのだけれど、
それはあくまで底辺レベル校のできごとのことなので誰も当てにしないように(まともな語学学習者はこんなブログ読まないって)。
私が奴隷養成機関、まちがえた義務教育の学校に通っていた頃の話。
ロコローションと上海ハニーが大ブレイクした。
念の為いっておくとオレンジレンジは特にインディーズになってからはもっとも好きなバンドのひとつだ。
それほど熱心なファンとはいえないけれど、一通りの楽曲は追っている。比較的最近になってLiveパフォーマンスを観に行ったこともある。
当時学校の校内放送(ってどこもあるのかな?)で死ぬほど流れまくっていた上記楽曲を嫌でも耳にしていた。
「こんな頭のわるい曲のどこがいいのだろう?」
少なくともまっとうな感想の一つだ。
しかも当時ネットではパクリだのなんだのと叩かれまくっていた記憶がある。
まぁそれはそれとして。
大人になってからわかることといえば、波長の合うものと同調しやすいという至極当たり前のことだった。
沖縄県は全国屈指の学力として有名だが、当時私が通う学区エリアは沖縄県とお隣同士だった(学力的な意味で)。
同じような時期に「金髪先生」とか「ごくせん」とかいうヤンキー更生感動押し売りドラマが流行ったわけだが、
「なんで真面目にやっていた一般人より更生したやつが評価されんだよ」という
至極真っ当な批判を受けてシリーズは沈静化していった。
「あんなヤンキーがいるのってドラマか漫画の中だけだろw」と全国のほとんどの視聴者は思って観ていたかもしれないが、
あれがリアルな日常風景としてあったのが我が愛する母校なのだ(涙)。
*
どうりでおかしいと思った。
宿題なんてやらずともテストの点は取れるし、適当に通っている学習塾(こちらも宿題なんて休み時間に適当にこなすだけ)も何もしないで一番上のクラスから落ちることがないのだ。
周囲の環境があまりにレベルが低すぎると、それに疑問を抱くことすらなくなるという恐ろしい例だ。
だからこんな学校生活でいくら何ができようが、全科目満点だろうがレベルが低すぎるから意味がないのだ。
知る範囲では東大京大はもとより早慶上理などのいわゆる難関大に進学した例はひとつも聞かない。
別に大学なんてどこでも同じようなもんだから、どうでもいいけどさ。
そんな中でよくまともな日常を取り戻せたと我ながら感慨深い。
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どうして比較的まともな日常を取り戻せたのかを述懐する前に、
よくマーケティングや転職の例えに出される砂漠の水について考えてみたい。
マクロやミクロ、貿易や地政学的な要素などを一旦置いておくとして
ものの価格は需要と供給で決まる。
コンビニのペットボトル飲料と富士山で売っている飲み物の値段が違うように。
砂漠にコンビニがあるのかどうかはしらないが、
”あなたがもし今、価値をいかせていないと感じるのであればいる場所が間違っているのです”
”周りの環境があなたの価値を決めます。希少価値を打ち出せるマーケットを選びましょう”
というような意味で「砂漠で水を売ろう」という例えが出される。
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私はこれは半分正解で、半分は否定的な気持ちでいる。
人の価値は需要と供給のような、相対的な価値基準で決定されるべきものではないからだ。
あくまで転職市場や婚活市場など
「特定の目的を持って集まった母集団に対して、適切なポジショニングをする」
という意味ならその通りだと思う。
それがそのまま人としての価値にスライドしていくことはなくて、
人は生まれてから死ぬまでそのままで価値がある。
逆に言えば何かをすれば価値が付加されて、何もしなければ無価値になるわけでもない。
価値があるっていう言い方は下品な表現かもしれない。
比較することなく、どのマーケットに身を投じるまでもなく、
そのまま完全なる自己肯定感を持つことを自分に許可してOKだ。
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そうはいってもヤンキーが一定数を占める上、頭の出来がいかんせんよろしくない
(そう信じても無理はない。教師も塾講師も「お前らはバカだ」と言葉の体罰は日常茶飯事なのだ)
環境下で生来の力を発揮する人間がいる。
それが性エネサラブレットのSだった。
彼とは長い付き合いだった。Sは私の前から姿を消した。
そのことを受け入れる(というか理性的に納得する)まで随分と長い時間が必要だった。
その経緯は一旦置いておくとしても、学生時代のSの印象についてまたここに記しておきたい。
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Sは破天荒で手がつけられない典型的な”問題児”だとレッテルを貼られていた。
休み時間以外も廊下で走り回り、授業中はめちゃくちゃな発言で周囲を困惑させた。
登下校中に喧嘩して怪我をしたり、スポーツクラブでは派手な接触プレーで攻撃的だった。
どちらかと言わずともインキャでインドアな私とは正反対で、できるだけ関わらないようにしていた。
何がきっかけだったかは思い出せないが、Sと親しく話すようになった。
彼はスポーツ万能なだけではなく、まっとうな正義感や政治的な観念を持っていたし、
洋楽やサブ・カルチャーへの造詣が深かった。
Sは小学生の長期休暇の時点でアメリカに行っていた。
「英会話スクールもスイミング・クラブもめんどうでやめたしまった」と言っていた。
登下校のハプニングについては「相手が一方的に殴ってきたので受け身をとったら、地面に顔を殴打して5針縫った」と答えた。
中学校2年の時点で”元カノ”について憂いていたので、中学に上がって最初の学期くらいには彼女のひとりや二人、できていたのかもしれない。
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彼と話していて思ったのは「こいつ、オナ猿じゃない」ということだった(当然といえば当然だ)。
溢れんばかりの生まれ持った強力なエネルギーを散逸することなく、集中させることを元から知っていた。
それを制御できていたとまでは言わない。
我々はそうはいってもティーンエイジャーであり、何も知らないローティーンだったのだ。
彼にとっては大袈裟に言えば世界は以下のように映っていたはずだ。
・バカでもわかることをバカみたいに延々と繰り返すだけのじゅぎょーなんて退屈すぎて、廊下を走っていたほうがマシ
・”えーごのがくしゅう”なんて時間の無駄。アメリカに行って、あとはエミネムを聴いて好きに学べばいいだけ。
・オーバーヘッドシュートなんて、練習すら必要ない
・パソコンくらい適当にパーツを買ってきて自分で組めばいい
・彼女なんて黙っててもできる
Sと実際に話していると謙虚で驕ったところが微塵もなく、正論で論破せず共感に徹しており、
どちらかと言えば繊細な芸術肌で、平凡な私でもわかるとおり天才肌だった。
いわゆる文系は簡単すぎたのか得意科目は物理だったらしい。
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今でこそそこそこギフテッド教育についての議論がされている気配があるが、
とくに義務教育の学校の奴隷養成システムはほんとうに優れた個性を殺すためにあるのだと思う。
「与えられた語群から正答を選ぶだけの教育なんて意味ない」と豪語する人は大勢いるが、
それすらできない想像力と知性が欠如している現場も存在してしまっている。
私の直感によれば、形式的な合理主義が蔓延した結果”自称頭いい風”の想像力も知性もない人間ばかりの声がでかくなってきている印象がある。
まぁそれはそれとして。
ネットで得た知識だけで、アスペだのガイジだの境界知能だのという人たちがたまにいるが神経が理解できない。
そういう人はウェクスラー式の知能検査などを併用して、複数回の面談でアセスメントを日常的に行う精神科医なのだろうか?
言われたひとは本当に傷つくかもしれず、専門用語をしたり顔で差別的に用いてはならない。
もちろん蔑称も同様に、リアルで面と向かって人にいわないようなこと(聾唖者や身体障害者に向かって、つんぼとかびっことかメクラとか言わないだろう)はネットでも言ってはいけない。
なお私はリアルではけっこうズバズバ言ってしまう。
差別用語は言わないまでもギリギリ笑えないレベルの皮肉を連発するから性格がよくないと思われているかもしれない(実際によくないって)。
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一種の個性が尖っていた時期の人間を理解しようとせずに、異質として排除しようとする動きは確かにある。
私たちは不良(信念があるのではなく理解力が低いだけ)と人をバカにする教師が多い環境で育ってしまった。
Sが私のことをどう評価したかは今は知る術がない。
「俺の話を聞けるくらいのレベルだな」とか「自分自身のバカさ加減を理解できるくらいのバカではあるな」と思っていたかもしれない。
しかしそうは言わなかったSのような優れた人格の人間(この際能力やスペックはどうでもいい)と出会えたことは幸いだった。
Sと友達になれた私は共感力が高くてエライ、とか言いたいのではない。
一歩間違えたら、さらなる暗い人生が待っていた可能性を思うと怖くなるというだけだ。
私のような者が彼のなにかを優れている、とか評価するのは間違っているかもしれない。
少なくともSは無意味なヒエラルキーと年功序列制の温床であるガッコーシステムとその従業者たちよりは、
比べものにならないくらい豊かな感性と知性を持っていたし、
何よりかけがえのない友だちになれたということをもう一度書いておきたい。
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Sの存在が「性エネルギーを無駄にせず有用に使うにはどうしたらいいだろうか?」と考える一つのきっかけとしてあったことは、
私の中では疑いようのないことだとこの数年間ではっきりした。
彼に恥じないような生き方をしていきたいとおもう。
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