2024年9月30日月曜日
Re:ゼロから始める蓄精性活
2024年9月23日月曜日
ぷるぷる気功
最もかんたんな氣功法は「ぷるぷる健康法」だと私は思う。
張永祥先生の非常に参考になる短い動画。
ご本人もおっしゃっているように「簡単なものは本物」ということだ。
やたらと権威を強調したり複雑な手順を要したりするもの、高額なものは偽物であることが多い。
氣功マスターの奥義に解説なんて野暮なものは要らないが、蛇足ながら要約する。
1.足でしっかりと立ってリラックスする(姿勢)
2.北斗七星と自分を氣の道でつなぐ。感謝の気持ちを送る(意念)
3.深呼吸をしたり、あくびやガスが出たりする(呼吸)
4.体が熱くなる。細かく振動する。唾は飲み込む(動作)
5.氣を体内に回して終わりの動作(収功)
短い簡単な一連の流れの中にもしっかりと氣功の基本的な要素が含まれている。
「テレビを見ながら腕振り体操をすればいい」というような簡便な健康法も世の中にはある。
いくら歳の数に掛け算して何万回腕を振っても、毎日5分ぷるぷる健康法を行うほどの効果はないだろう。
簡単だからといって適当にやっていいということではなく、リラックスしながらも真剣に取り組む必要がある。
健康は何ものにも代えがたい資産だからだ。
このぷるぷる健康法はクソ簡単なので、誰でもできる。子供でも老人でもできる。
「忙しい」とか「難しい」という甘えや言い訳はいっさい通用しない。
ちなみに私は最近忙しくて取り組むのが難しく、全然やってなかったです。
(ブーメランかよ)
自律訓練法は静功、ぷるぷる健康法は動功に分類されるだろう。
ぷるぷるした後、手足がじんじんしたりするがそれが気の感覚。
生命の原理・原則は運動・振動なので、動功の方が気を感じやすい。
書籍では水をぷるぷるさせ、意念と星の光でつくる”健康水”的なものも紹介されていた。
振動と太陽光を利用して作る気の入った水で、誰でも簡単に作成することができる。
人間が気を込めて注入する必要がなく、物理的な振動を利用するだけ。
ぷるぷる健康法と同じく極めてメカニカルな実践手段だといえる。
参考書籍
『ぷるぷる健康法』 張 永祥 たま出版
2024年9月22日日曜日
『運命の貴族となるために』より第4回 力を与える言葉
これは一種の観念の洗い出しと認識変容のトレーニングを兼ねている優れた技法だと考える。
特定のポジティブな文脈で用いられている言葉を観想(深く意識を集中)することによって、
その言葉と私との間で個人的な関係性を結び直すというような認識だ。
ジョン・マクドナルド氏は理知的でどちらかとえば客観的に、法則性のもたらす結果について誠実に記述している。
こんにち、多く愛読されているいわゆる”引き寄せの法則”や”成功哲学”にまつわる書籍は、
かなり主観に寄っていて、参考になる人とまったくそうでない人とに分かれてしまう。
『運命の貴族となるために/マスターの教え』で授かることのできる知識は至ってシンプルだ。
これまで見てきた通り
・人間の心は散漫なので、確固たる目標を立てる
・達成可能な目標を立てて、それに向かう
どんなものであれ、関心を抱いた対象に生命力が移転されるので、その対象を厳選する
・現実にリアクションするのではなく、まず自分の心に達成したときの目標を持ち、それを現実に焼き付ける
・現実的な場面で自分が何をしているかは関係ない。内的な心がどう働いているか。
最終の項で言葉そのものから力を引き出す、というような事柄を述べて単語リストを列挙して終わっている。
文字通りその人が目標を達成するのに必要なことは、あとは言葉から学ぶのである。
その意味を自分の中で反芻して内省を深めることで、その単語が生きる文脈が自ずと浮かび上がってくる。
*
本編ではマスターが次にように述べる
「私からではなく、私のことばから学んでください」
「私への先入観や印象は取り払ってください」
「私もあなたと全くおなじ人間です。ただやり方を教わってそれを使ってるだけです」
昨今の影響力のある人間とそうでない人間に分かれているように見える社会構造は、
これとはまったく真逆のメッセージを発している。
「私のことを見てください」
「成功には特殊な生まれやスキル、財産が必要」
「できる人とそうでない人がいるので、後者は前者に盲目的に従ってください」
これは宇宙的な原則とは大幅にズレている。
今までもそしてこれからも”うまくいくためにはどうするか”という方法論は無数に出てきたし、出てくるだろう。
根本的なところで履き違えてしまうと、いかに方法論が優れていてもその人が欲しているものは手に入らない。
そもそも何を欲しているかを認識するというスタート地点にすら立てないかもしれない。
かなり古い本だが私は現世的な事柄を達成するために読むべき本として、この一冊があれば十分だと思っている。
今後この切り口であたらしい本や”成功者の言葉”や方法論をあれこれ取り上げることはない。
訳文に関しては、下記のブログがかなり深く考察してリライトの提言を行なってくれている。
紙面の都合もあるが、訳者の認識によって表現にかなり差が生まれてしまう。
原文が平易なためかなり突っ込んだ訳し方をしないと難しいという面もあるようだ。
上記のリンク先と日本語訳されている書籍をあわせて読みながら、
そこで得られた知見をぜひ実生活ですぐに試していって欲しい。
付録↓
『運命の貴族となるために』より第3回 生命力の移転
引き続き『運命の貴族となるために』(ジョン・マクドナルド、飛鳥新社)から引用まとめ。
「第1回 私たちは意識」と「第2回 3つのマインド」ではそれぞれ前提となる
存在としての意識とマインドの機能による分類を紹介した。今回は実践的な内容に入っていく。
この章を理解できれば、
・気功や東洋哲学の世界観
・性エネルギーを浪費しないことで得られるメリット
・意識の主観的な体験が世界
こう言ったことが腑に落ちるはずだ。
*
もし何かをやり遂げたいと思ったら、確固たる目標を打ち立てれば良い。
マラソン走者が1マイルから徐々に2、3マイルと順次増やして
全工程を走破できるようになるのと同じように、徐々に目標を大きくしていく。
1.心の極
「内なる心」はプラスの極(positive pole)、「外なる心」はマイナスの極(negative pole)だ。
この宇宙に存在するもの全ては陽と陰があり、循環や円を完成させている。
さもなければいかなる行動も動きもない。もし暗闇がなかったら光は存在するだろうか?
私たちにとって何か一つのものを認識することは、それと比較するある対立するものがあるということだ。
法則に従っているものは通常プラスの力が支配し、マイナスの力が支える役をしている。
しかし人間においてはこれが逆になっている。
「外なる心」に確固たる指示がないために、目標もなく彷徨っている。
無目的に彷徨い、何もかも受け取ってしまう結果「争い、競争、不可能、障害」などの状況を報告する。
しかし「外なる心」に確固たる行動規範を与えると、瞬時に正道に引き戻すことができる。
「内なる心」のプラスの力が発揮されるようになる。
そして自動的にプラスの条件や人々をあなたのもとに引き寄せる。
(automatically, positive conditions and individuals are attracted to you as surely as steel particles are attracted to a magnet.
”引き寄せ”的な表現が明確に出てくるのはこのセンテンスになっている。
目標設定により「外なる心」のマイナスの力が、「内なる心」のプラスの力に対して正常に機能している、という文脈で”同じプラスのものが引き寄せられる”という解釈になっている。
”ポジティブ思考でいい結果になる”という話だとメカニズムの半分しか説明できていないと思われる。)
2.ダイヤルを合わせる
私たちを取り巻く大気には、何千万、何億という思想が飛び交っている。
これはラジオのダイヤルを特定の局に合わせることに似ている。
確固たる目標を持たない人は、あらゆるものにダイヤルを合わせて結局何も得ることができない。
何百万という矛盾する考え方になすがままにされて、彼らの人生は混乱と苦しみで満たされる。
確固たる目標を持つ人は、慎重に一つのことにダイヤルを合わせる。
お金であればお金、地位であれば地位。こうした人が定めた目標は必ず達成される。
※このパラグラフでは、質問者が言葉を発する前に、マスターが”考えを受け取り”
質問するタイミングで即座に答えるという能力を開発することができるということもサラッと書いてある。
3.生命力の移転
何かに意識を向ける時、あなたは自分の生命力の一部をそのものに移転する。
(When you set your mind on anything, you transfer a portion of life force to that thing.)
対象が大きい・小さいか、物質か・物質でないかーえんぴつ、帽子、自動車、家、富、教育、旅ーは関係ない。
そしてそのことを心の中で念じ続けている間はずっと、
その目標に栄養を送り続けている。
(And you continue to nourish it as long as you hold it in mind, )
そしてその望みの強さ(激しさ、強度)によって、生命力が注がれる力を左右する。
(ーand the intensity of desire governs the power with which the force is directed.)
※ここは日本語訳版は「あなたの望みがどれほど真剣かによって、その生命力が発せられる強さも違ってきます」
と書いてあるのだが、筆者の解釈では”真剣さ”のようなマインドセットとは微妙に異なるように思える。
①「内なる心(陽)」に「外なる心(陰)」が支えているという関係性、
②目標が設定されていないため周波数が定まらないこと、
そして③生命力の一部が対象に移転されてしまっていること、これらの無理解のせいで、
多くの人が自在に願いを叶えることができていないということが著者の主張だと思う。
欲望(desire)を特定の事物へ集中させれば、その分の生命力を惹きつけさせることができる。
全く別の書籍だが『リアリティトランサーフィン』では”スポーツの試合が始まると、
それぞれのチームを応援するサポーターのエネルギーが集まった一種のエネルギー場が形成され、
試合が終わると消えていく”と表現されている。こういったことは盛んに行われている。
このように、意図しているといないとに関わらず、対象に集中するだけで生命力を使っていると理解した方が良い。)
だから生命力を向ける先がいくつもあると、その力は分散され、それぞれの目標は弱い刺激しか受けられず
その結果反応は遅れ、時には全く何も起こらない。
小さな目標をいくつも達成して得られる、究極の目標があるだろうか?
そうであれば大部分の目標はそのまま置いておき、最も近くにある最初目標に力を向けよう。
どのように成功するかだけでなく、どのように保ち続けるかを学ばなくてはならない。
そのためには他人に話さない。秘密にする(that is secretiveness.)ということだ。
※”イメージしたことが現実になる””ポジティブな感情と臨場感をもって視覚化する”などのテクニックは枝葉だ。
”生命力が常に移転されていること””それを散逸させないこと”に重点を置いているので『マスターの教え』は信頼している。
言うほど簡単じゃないので、著作の中でも「すぐに結果が出る人と時間がかかる人がいるよ」とわざわざ書いてある。
*
読めば読むほど味わいがあるスルメのような本だ。
私が採用している気功法の根幹にある考え方や、陰陽和合の生命観と矛盾しない。
『波動の法則』の骨子である汎意識的な世界観とも整合性が取れていると考える。
自分の人生で「なんでうまくいかなかったのだろう?」と真剣に向き合って考える人ほど
こういった情報に辿り着いてくるように思う。
当ブログとしては、「何にどれだけ生命力を散逸させてしまっているか」を洗い出して潰していくスタンスが近い。
オナ禁・蓄精はその最たるもので、自慰行為の生命力や時間・労力を使わなくなるので
あらゆる面でポジティブな現象が起きやすくなっていくという自明の理だということだ。
『運命の貴族となるために』より第2回 3つのマインド
引き続き『運命の貴族となるために』より引用。
役に立つと思った情報は補足するが、
人体の仕組みを基本として個人に合わせてチューニングできる健康法などとは異なる。
あくまで”宇宙の法則”についての原則なので余計なことは極力書かない。
この法則はもちろん私が発見したものでもないし、
むしろ著者自身が発見したものですらないと本の中で名言されている。
できるだけスポイルしない形で書き写していく。
心の働きについて解説されているとても重要なチャプターだ。
「心、マインド、意識、意識する、本質」など日常で使われる表現と
”あえてここで表現したいこと”が日本語と英語でそれぞれオーバーラップしている。
英文で目にしたときと印象がけっこう異なる章でもある。
筆者asは英語が堪能でないが「えっそんなこと書いてあった?」と日本語版を見直すことが多々あった。
*
心はたった一つしかない。
いくつもの心といっても、一つの心を色々に表現しているにすぎない。
それとまったく矛盾するようだが、ここでは三つの心の形態について話さなければならない。
あなたは三つの心、マインドから成り立っている。
1.より深い心、ディーパー・マインド
体を機能させている心。
この心に関しては特に心配する必要はなく、むしろ気にしなくていいと言った方がいい。
私たちは体から意識をそらすことによって
(※原文はby keeping our thoughts off the bodyとなっている
意識:consciousnessではなく、”考えや思考”と捉えてよいと思う。)
この心と協力して、健康や体力増進を図ることができる。
この「より深い心」が正しく機能するのを邪魔さえしなければ、とても上手く作用する。
2.内なる心、インナー・マインド
あなたの中にあるパワーの源。
(※原文はseat of powerなのでカタカナ英語でいうリソース(resource:供給源)というよりは
”所在地、中心”など内側のポジションを指している印象)
その本質として「内なる心」には自ら判断して良し悪しを決める機能はない。
その結果、意識の迷いがない。
(※–by its very nature, has no consciousness of duality because it has no faculty of discrimination.となっている。
このあたりは複文が連続している。後ろから順番にみると
faculty: ある特定の分野の先天的または後天的な能力
discrimination:区別、識別力
consciousness:意識。これはそのまま常用の”意識”と同じでいいと思う。
duality:辞書を引くと”二元性”や”二重性”と出てくる。日本語訳は二元論的な、というニュアンス。
「(内なる心は)本質的に、識別する能力がないために二元論的な意識は持ち合わせていない」というようなニュアンスだろう。)
「内なる心」は不可能、失敗、障害、限界、不足というものを知らない。
「外なる心」が行けという方向に向けて、制限のないすごい力を発揮することができる。
(※It depends upon the guidance of the Outer Mind and throws its great, unlimited force into anything that the Outer Mind may direct it toward.となっている。
ここは慎重を要する。
前半の”It depends upon the guidance of the Outer Mind”は
「「内なる心」は「外なる心」の誘導に依存している」
後半の”throws its great, unlimited force into anything~”
「「内なる心」はその偉大で無制限な力を何にでも投じる。「外なる心」の示す方へ。」
こう訳すと「本来は無限の力を発揮できる「内なる心」が「外なる心」に対して
隷属的な立ち位置になってしまっており、力を散逸してしまっている状態」が理解できると思う。)
3.外なる心、アウター・マインド
五官という媒体を通じて外部と繋がっている。
希望を「内なる心」に伝えることが役割。
(※—is to transmit its desires to the Inner Mind,となっているので「欲望を伝達する」くらいのニュアンスも感じられる。
個人的には煩悩とか雑念もOuter Mindの働きによると解釈できると考えている)
従って「内なる心」と「外なる心」が協力していれば、
人間は状況の奴隷になる代わりに状況を司るマスターとなるだろう。
ではなぜ人は人生で状況を司る者になれないのか?
「外なる心」が欲望を作り、「内なる心」に自動的に取り上げられる。
しかし「内なる心」は十分に力を発揮することができない。
「外なる心」が次々欲望を見つける。
またはありもしない障害を作り出したりするからだ。
(※最後のセンテンスは”conjured up illusionary obstacles to the desire”となっていて、
「欲望、希望に対する幻の障害を(呪文を唱えたかのように)あっという間に呼びだす」というようなニュアンスだ。)
「内なる心」は外部との接点がないので「外なる心」の意のままになるしかなく、本来の力を発揮できない。
人々は”日々外の世界での体験を写真に撮ってから、それを自分の中に焼き付けている”。
この過程を全く逆にするべきである。
私たちは望ましい絵をまず心の中に描き、
自動的に周りの世界に焼き付ける力と能力を持っている。
※原文前半は”We have capacity and the power to create desirable pictures within,
ここで”心の中に描く”としてしまうと「内なる心」と混同してしまい非常にわかりづらい。
「私たちは望んだ映像を内側に作り上げる能力(capacity:伸ばせる容量や才覚といったニュアンス)と力がある。
※後半”and to find them automatically printed in the outer world of our surroundings.”
それを自動的に外の世界へ焼き付けているということを知る」という訳でいいと思う。
マスターはあくまで
「「内なる心」が「外なる心」と協力しあい望んだことを滞りなく達成しているのが正常ですよ、努力はいらないですよ。
私たちは元々それができます。順序が逆転して振り回されているから、疲弊しているんですよ。」
という立場で法則について説いている。
後でわかると思うが、これは実に簡単なことだ。
これができればあなたはマスターで、できないうちはまだマスターとは言えない。
(※When we can do this, we have mastery.And not before.となっているので、
「これができれば私たちは支配権を習得したといえるが、そうできないうちはまだだ。」
というようなニュアンスになるだろう。
主語がWeになっているのは私(マスター)とあなた(読者)に本質的に差はない、と強調されている感じがする)
*
かなり補足が入りすぎてしまった。
Deeper Mind/Inner Mind/Outer Mindという区分は非常に独特だ。他では見たことがない。
願望実現系で”心の働き”は、超意識・顕在意識・潜在意識や無意識、
エゴ、インナーチャイルド、ペインボディ、守護天使やハイヤーセルフなどさまざまな表現でなされている。
仏教の唯識では五識、末那識、阿頼耶識など細かく心の働きを分けて厳密に定義している。
(誤解を恐れながら)願望系を参照してざっくりと言えば
・ディーパーマインドは体の呼吸や鼓動を司る無意識としてみんなノータッチな部分。
・インナーマインドはみんな大好き万能な潜在意識、別の領域などの打出の小槌。
・アウターマインドはみんなの嫌われものエゴ、自意識、顕在意識などだろう。
私が『運命の貴族となるために』流こころの三分類法を気に入っていて採用するのは、
仙道や氣功を採用するのと同じような理由からだ。
あくまで原理・原則だけ、機能・メカニズムついて語っていて、自己内で完結できる定義だからだ。
働きだけに着目すれば、対象や状況が変わっても応用して考察することができる。
潜在意識とかエゴとか持ち出してしまうと
「思いの強い方が勝つ」という脳筋プレイヤー的発想や
「願望なんて全部エゴ。丸投げでおk」とか
「とりあえず南無阿弥陀って唱えればいいんすよ」的な親鸞スタイルになってしまう。
集合意識とか持ち出された日には「インフレバトルマンガかよ」みたいな感想しか出てこない。
どれもそれぞれの世界観では間違ってはいないが、法則性は感じられない。
あくまで法則であってルールなので「解釈によって多少異なるよね」とか
「丸投げしておけば大丈夫」みたいな個人差ガン無視なスタンスは一旦排除した方がいい。
ちなみにマスターの教えでは一度も「引き寄せの法則」とは言っていないのもポイントだ。
その上で次回以降の章に繋がるのだが、意外と現実的で堅実な論調が展開されていく。