2025年6月28日土曜日

メタファーの海





今後の方法、方向性がひとまず固まったので一旦旅に出ます。

2025年6月25日水曜日

リアリティ・トランサーフィン 要点まとめ(人生攻略法)

 http://gorich.jp/blog-entry-1348.html

1巻

P64
思考エネルギーの放射パラメーターが変化すると、別の人生ラインへの移動が起こる。
あなたはシナリオを変更することはできないが、ほかのシナリオを選択することはできる。


P117
もしそうあって欲しくない何かについてあなたが強く思っているならば、それがあなたの人生に現れる。

振り子から解放されるということは、振り子を自分の人生から放り出すことである。
人生から放り出すということは、敬遠すること(逃れようとすること)ではなく、無視すること(反応を示さないこと)である。


P141
幸運の波はバリアントの空間における好ましいラインが集まったものである。
最初の幸運であなたが喜びに満たされた場合に限り、幸運が滝のように続く。


P209
大金持ちになることができるのは、自分の目的について考えている人だけであって、富めることについて考えている人ではない。


P232
罪悪感や正当化する義務感とは縁を切ろう。


P276
ネガティブなことがらに対する反応は、ネガティブな人生ラインへと誘導する。
自分の世界の層にはどんなネガティブな情報も入れてはならない。
入れてはならない、ということは、敬遠する(逃れようとする)ということではなく、意図的に無視する、関心を示さない、ということである。


2巻

P114
目的に向かって自分が進んでいく過程に注意を集中する。


P167
目的に向かってあなたを動かすのは、結果についての想念ではなく、目的に向かって進むプロセスの視覚化である。


P275
自分自身の人生ラインでは人は最小限の障害にしか遭遇せず、すべての状況が自分に有利になるよう展開する。


P334
もしあなたが自分の夢を親しい者たちへの援助と関係づけているとしたら、おそらく何も得られないだろう。魂は本質的にエゴイストである。魂はそうでなくても、欲しいもののうちのほんの少ししか受け取ることができない。その際、他人の幸せを考えるなど不可能なのだ。

あなたがまだ目的達成の途上にいる間は、自分の幸せだけを考える必要があるのだ。あなたの魂には自分のことだけ考えてもらうようにしよう。目的が達成された後で、どのような対象にでも支援の手を差し伸べるようにしたらよいだろう。


3巻

P67
意図とは意気込むことではなく、注意を集中することである。


P132
他者を変えようとしてはならず、また自分を変えることもしてはならない。


P215
ゲームで負けるときは平然と負けるべきで、「これで最後だ!」と自分に最後通告を突きつけてはならない。


P300
振り子があなたのポテンシャルのエネルギーを感じ取り、あなたが苛立つようなふるまいをするよう人々を仕向けるのです。あなたは苛立ち、道化役はますます盛んにのさばり、はびこります。振り子はあなたの苛立たしさからエネルギーをもらい、道化を演じる人形遣いたちに勢いをつけているのです。


P358
このように外部から加わる圧力は、苛立ちが増すにつれて一層強まってきます。緊張が高まれば高まるほど、周りの人々はあなたをもっと激しく苛立たせてくれます。ところで、興味深いことに、周囲の人々は決してわざとそのようにふるまっているわけではありません。そうふるまうことが誰かの邪魔になっているということなど、彼らにとっては思いも寄りません。無意識に行動に駆り立てている原動力は、人間の精神心理の内部にあるのではなく、外部にあるのです。
振り子からの影響にどうやって抵抗すべきか、という疑問が起こります。そのためには、どんな刺激にもネガティブに反応するカキ貝のようになることをやめる必要があります。言い換えると、高い意識性を維持し、挑発に乗ってはならないということです。刺激に対して反応することは、意識してやめましょう。そうすれば、周囲の人々があなたを苛立たせることはなくなるでしょう。
世界には、振り子が原因となっているずっと大規模で恐ろしいことが起こっています。戦争、テロなどは、氷山の一角にすぎません。まさしく振り子たちこそが、ほぼすべての紛争状況をあおり立てているのです。なぜなら、振り子たちは紛争のエネルギーを栄養源としているからです。


4巻

P31
隣人たちからの騒音でバランスを崩したあなたは、彼らを静かに憎む。あなたの腹立たしさこそが、エネルギーの源泉なのだ。依存関係が生じ、分極化を引き起こす。「あんなに騒々しい奴らなんか大きらいだ!」という激しい感情が強力な磁石を作りだし、それがあらゆる新たな苛立ちの素をあなたのほうへと引き寄せる。すべてはあなたが強い不快感を覚える傾向を持っているということにある。


P43
あなたが何かに腹を立てると、事態はさらに深刻化する。そのような場合、道化役が苛立たせてくれるお陰で、遂には神経の高ぶりを抑えられなくなってしまう。通常、これは、振り子があなたの注意を乗っ取りの罠にはめたことを意味する。振り子から解放されるには、無関心状態になる必要がある。あなたがなすべきなのは、どんな方法でもよいから振り子との「結びつきを断ち切る」ことだ。だが、自分が刺激に反応しないようにすることは、実際上、不可能だ。感情をおし殺すことは無駄である。その代わりに、何かほかのことに注意をそらすべきだ。

もし「道化役がのさばる」ならば、それは、振り子があなたの注意を乗っ取りの罠にはめたということだ。あなたは振り子のゲームに引きずり込まれたのだ。このゲームの目的は、争いのエネルギーを増大させるという点にある。乗っ取りの罠から抜け出すには、注意を向ける先を切り替えればよいのだ。


P238
まるで目的がすでに達成されたかのようにして、注意を最終目的に固定しなくてはならない。
スライドを物質化させるためには、それを思考上で定期的に十分長い時間をかけて再生する必要がある。

この世界は俺のパラレルで俺が主人公で全てが俺のものじゃねえか。

 260 :本当にあった怖い名無し:2008/08/17(日) 08:42:33 ID:Z6EoQHQx0


夢から覚めた。びっくりした。

108さんや他のエンティティが言うようにこの世界は俺の内面の投影なのか!?

てーことはこの世界は俺のパラレルで俺が主人公で全てが俺のものじゃねえか。

そりゃ思い通りになるよ。


この世界全てに俺が敷衍している、つーか俺の庭だと思うとなんだかあれだ、

全てが愛しいぞ!犬も鳥も石ころもなにもかもがだ!そいつらは俺だよ!


敵なんかいるわきゃねぇ!全部俺の世界じゃんか!恐いもんなんかねえよw

こんな思いでさっきコンビニに行ったんだが、店員の女の子がとてもニコニコしてんだわ。

普通以上に。なんじゃこりゃ!


ここで108さんに質問。

この論で行くと俺はこの宇宙に一人だけ存在するんだが、

見える人々はたまたまこのパラレルを選んでいる人々だってことでおk?

で、引き寄せとは結局刻々のパラレルサーフィンだってことが答えかな?


全てのバージョンがあるから俺が好きなパラレルにシフトすればいいんだ。

今まではチンケなシフトしてたんだけど、ダイナミックにシフトできるぞこりゃ。

つか完璧に好きな世界を作れるじゃん!


宇宙存在って「1」だけなのかもしれんね。

その「1」の無数の表現のひとつが俺かー。で、おまえらかー。

で、パラレルがわーーーってあんだぞ?

とんでもねええええええええw


頭が壊れたかな(;^_^A


つまりあれだ、いつも俺と一緒に居てくれる人ってその人の無数のパラレルのひとつを

選択してくれている人なんだわ。どんだけー。


261 :本当にあった怖い名無し:2008/08/17(日) 08:53:52 ID:mXRhA6w60


>>260

いいね、そんな風に思えたら争いもなくなるし平和で愛にあふれてて、なんでもうまくいくだろうね。

読んでいて涙がでそうになったよ。ありがとう。


262 :本当にあった怖い名無し:2008/08/17(日) 08:58:04 ID:Z6EoQHQx0


>>261

いや俺からもありがとう!

このパラレルを選んでくれて俺にレスくれてありがとう!


950 :108 ◆90KoxUVipw :2008/08/23(土) 00:47:50 ID:mBagMR260


>>260

そうです。真理への到達、おめでとうございます。

2025年6月24日火曜日

【われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまうのだ】

 新たな情報環境がわれわれを作り直しつつあると論じている点で、この書き

  手たち(筆者注:この前記において「われわれは、より機敏にデータの消費者

  へと『進化』するのだ」、「脳の配線は、より多くの情報をより効率よく処理

  出来るよう必然的に変化するだろう」と述べられている)は確かに正しい。脳

  の深部に組みこまれている、われわれの精神の適応能力は、知性の歴史の基調

  を成している。だが、この書き手たちの保証が安心感を与えてくれるとしても、

  その安心感はきわめて冷たい種類のものだ。適応によってわれわれは環境にマ

  ッチした存在になるが、この適応プロセスは質的には中立である。最終的に重

  要なのは、われわれが変化する過程ではなく、何にわれわれが変化するかだ。

  1950年代、マルティン・ハイデガーは次のように述べた。前方に立ちはだかる

 「テクノロジー革命の波」は、「人間を非常に魅惑し、魅了し、惑わせ、欺く

  ものであるので、いつの日か、計算的思考だけが唯一の思考方法として、受け

  入れられ、実践されるようになるかもしれない」。「瞑想的思考」に従事する

  能力を、ハイデガーは人間性のまさに本質と見なしているのだが、脇目もふら

  ぬ進歩の犠牲に、これはなってしまうかもしれないと彼は言う。テクノロジー

  の騒々しい進歩は・・・(一部略)・・・思索と考察からのみ生まれる洗練さ

  れた認識や思考、感情を、かき消してしまうかもしれない。「テクノロジーの

  狂乱」は、「あらゆる場に定着する」恐れがあるとハイデガーは述べる。

  われわれはいまや、この定着の最終段階に至ろうとしているのかもしれない。

  狂乱を、魂のなかへと迎え入れようとしているのだ。

               ・・・(中略)・・・

  テクノロジーの誘惑は抗しがたいものであり、スピードと効率性が純粋な恩

  恵であるかのように見えるこの即時情報時代において、これらは議論の余地な

  く望ましいものであるかのように見えている。だがわたしは、コンピュータ・

  エンジニアとソフトウェア・プログラマーたちがわれわれのために脚本を書い

  てくれている未来へ、われわれは大人しく入って行きはしないだろうという希

  望をいまだ持ちつづけている。ワイゼンバウムの言葉[筆者注:ワイゼンバウ

  ム著『コンピュータ・パワー』(1976年、サイマル出版会)より。その要旨は

  「コンピュータは規則に従うのであって判断は行わない。主観性の代わりにコ

  ンピュータが提示するのは定式である。・・・能力のなさゆえにではなく、特

  別な才能のひらめきゆえに、決まりごとから逸脱した考えや書き方をする希少

  な人物を、”人工知能を基盤とした小論文自動採点システム”はどうやって見

  分けるのだろうか。ーー見分けられまい」]を心に留めてはいないとしても、

  われわれはみずからこれを考察し、何を失いそうになっているかに注意を払う

  責任がある。「人間的要素」は時代遅れで無用なものだという考えを、疑うこ

  となしに受け入れてしまったとしたら、とりわけ、子どもたちの精神の育成と

  いうことを考えた場合、それは何と悲しいことであるだろうか。

               ・・・(中略)・・・

  わたしは、『2001年宇宙の旅』の、あのシーンについての記憶を再び呼び起

  こす。アナログな少年時代のまっただなかだった1970年代に、初めてこの映画

  を観たとき以来、ずっととり憑いて離れないシーンだ。このシーンをかくも痛

  烈で、かくも奇妙なものにしているのは、精神が解体していくことに対する、

  コンピュータの感情的なレスボンスだろう。回路が次々閉じていくことへの絶

  望、宇宙飛行士に対する子どもじみた懇願ーー「わかるんだ。ぼくにはわかる

  んだ。こわいよ」ーーそして最終的に、無垢としか言いようのない状態へとそ

  れは戻っていく。 HALの感情の吐露は、この映画に登場する人間たちが、ほと

  んどロボットのような効率性をもって作業を行なう、感情を持っていないかの

  ような存在であることと対照をなしている。ここでの人間たちの思考と行動は

  脚本にのっとっているかのようであり、あたかもアルゴリズムの手順に従って

  いるかのようだ。『2001年宇宙の旅』の世界では、人間はきわめて機械的にな

  っていて、登場人物のほとんどは機械も同然になっている。それこそが、キュ

  ーブリックの暗い予言の核心であるーーコンピュータに頼って世界を理解する

  ようになれば、われわれの知能のほうこそが、人工知能になってしまうのだ。


引用元

これが正論だ!!

2025年6月19日木曜日

情報王ヤマザキ

別タイトルでカクヨムにも投稿しました。

ーー

ヤマザキ(仮名)くんというクラスメートがいた。
たしか小学校低学年の頃だったと思う。僕は仲は良くも悪くもなかった。

彼は誰より情報通で、いち早く新しいニュースを仕入れていた。
コロコロコミック、週刊少年ジャンプだとか少年ガンガン、サンデーなどが情報源だったのだと思う。

今でこそネットに誰もがアクセスできる時代で、公共性の高い情報に対しては実質的な格差はほとんどないといっていい。
当時はパソコン自体が珍しく、通信速度も遅くてネット上の情報はオフィシャルも含めて充実していなかった。

そんな時にあってヤマザキくんは何かと重宝されていた。
ヤンキー、陽キャ、カースト上位系、ぼっち系など分け隔てなく誰とでも同じような距離感をキープできる立ち位置。

やがて成長するに連れてどの層が覇権を握るかがハッキリとしてくる。
当然(ガチではなくファッション寄りの)ヤンキーが一番目立って、それと対になるように一軍系女子がカップリングする。

われわれ陰キャの間では暗黒時代と呼ばれるローティーン期だ(勝手にいっしょにカテゴライズするな)


だがヤマザキくんは身の振り方もわきまえていた。
するりと上位層に入り込み、いち早くガルフィのパーカーなどの
イケてるヤンキーファッションのアイテム情報源という彼らにとって欠かせない存在となった。

auで一番流行っている二つ折りのカメラ付きケータイに、大きすぎる派手なストラップ。
鮮やかなカラーのベルトと緩めたワイシャツをオーバーサイズ気味に着こなす。

正直大してイケてない顔面の彼が(失礼すぎ)
ダサすぎる田舎ファッションを身に纏ってどうしようというのか謎だった。

もちろん私のその感覚が間違っていた(歴史の常として、勝者こそが正義なのだ)。
ヤマザキくんの隣には学年で最もチャーミングなうるわしい彼女がいた。仮にJとしよう。
ファッション誌のモデルにもなったことのあるという、少女漫画にでも出てきそうな女子学生だ。

そのカップリングは最初から色々な人から祝福されていた。
おそらくヤマザキくんのことだから、周到な根回しが済んでおり、
ヤンキーのイケてる男子からも、Jの取り巻きの一軍女子からも支持を得てから交際を申し込んだのかもしれない。
けっきょく知れ渡っている範囲では、同学年で一番続いた安定したカップルだったらしい。

それだけ目立った女子生徒がいれば先輩、後輩や同学年の男子からそれなりに注目されてもいい気がする。
でもなぜか我々の間では、Jの名前や話題が上がることはほとんどなかった。
良くも悪くも彼女はひとりだけ別枠といった形で。

Jはど底辺の学校にしては優秀で、先生からも気に入られており、何かと人前に立つ機会が多かったようなイメージがある。
卒業アルバムを開いても探さないと見つけられないくらい存在感がない。
名簿と照らし合わせて見つけると「どうして目に入らなかったのだろう」というくらいの美人だが、
どうにも印象に残らないというべきか、よく描けてはいるが特徴のない風景画のようで現実味がないのだ。

情報通のヤマザキくんとうるわしき模範的なJ。
卒業したあと彼らがどうなったのか風の便りにも聞かない。

一度だけ、地元のお祭りの神輿担ぎをやっている派手なヤンキーファッションのヤマザキくんを見かけた。
彼はいまでもその持ち前の情報力を駆使して、社会的に確たるポジションを抜け目なく確保しているのかもしれない。

ーーー

こんなことを思い出しながら適当に書いてみた。
理由はYoutuberなる人たち、特に都市伝説界隈の演者たちを見るといっつもヤマザキ君のことを思い出すからだ。

情報の質と量をもって、優位性のある立ち位置へとつく。
これはもう古今東西にまたがる立派な処世術だ。

情報を持つ元にはまた別の角度からちがった情報が集まる。
そこには一種の駆け引きがあり、”情報を持つ人”というブランディングが成り立つ。

個人の意思や主張などはなくてもいい。
いや、むしろない方がいいのかもしれない。

どんな角度からも、極力幅広い人間に対してYesと答える。
有益性のある情報をまた新規に聞き出して共有して小出しにしていく感じ。

もしかしたらヤマザキくんはどこかで情報商材とか動画演者の裏方とかやってるのかもしれないな。
それか政財界とまではいかないまでも、地方の有力な市議会とか地主と蜜月な関係性を築いているのかもしれない。

そうやって当てどない妄想にも似た世界線を想像しているだけで、
無駄に2000字も書き連ねているのだから何かに活かせるのかもしれない(まったく処世術として使えないから)


2025年6月17日火曜日

姿勢、呼吸、意念

 正しい姿勢、正しい呼吸が正しいイメージを送り届けてくれる。

あとは何を考えていても、何をしていても大差ない。

できるだけ心を自由に開いておくようにしておく。


2025年6月11日水曜日

【有用性の低いコンテンツ】

こんにちは!

こちらの記事をご覧の方は「オナ禁の効果は知ってるけど、なかなか長く続けられない」とお悩みではないでしょうか?

そういったお悩みを感じてらっしゃる方に朗報です!
この記事では「ゼッタイ続く禁欲メソッド5選」を紹介させていただきます。
ちょっとしたコツを活用すればどなたでも1週間から1ヶ月の持続を実感できます!


・エロ動画を見ない
・ちん◯こを触らない
・Hなことを考えない
・夜更かしをしない
・般若心経を唱える


・・・・・

このまま続けば「いかがでしたか?」
という文言で締められるクソ記事テンプレだろうけど、今時こんな記事誰も読まんやろ。
検索のサジェストに無駄に出てくる、AI要約で納得して終わらせる人が大半じゃないかな?

とりあえずこのブログをGアドセンスに申請だけしてみたら案の定「有用性低」と判断をいただいた。
賢明なジャッジだと思う。

不特定多数の人間に役立つ、あるいは特定の問題解決に有効という視点からすると
たいていの人にとって、不要な記事ばかりを羅列している。

80億分の1の自分自身のためにまずは書いている。
その自分でさえ「こんな記事何の役にも立たん」と半分思って書いているのだから、
80億分の0.5人くらいにしか最低でも響いてないんだもんな。

逆に有用性が低くて安心したといえる。




2025年6月8日日曜日

与える=受け取る

前述のように(どの部分だよ)外部環境を含めて、目の前に展開する全てが自己を相対的に定義する要素なので
自分=外部といってしまってもいいくらいだ。

現実的には、他人に毛髪を引っ張られれば痛いし傷害罪として訴えるかもしれないが、
床屋や美容室だったらカットやスタイリングの動作の一部になるかもしれない、
切り取られた髪の毛を床から履いて捨てられても、不快に思うどころか感謝さえするかもしれない。

状況によって自分という定義はシームレスに変わっていくが、
変わっていく状況そのものが自己の定義に内包されているとしてしまった方がむしろ現実に則している。


大人になるに連れて視点が固着していってしまい、肉体という個体だけがイコール自分となり、
それが社会的な肩書や地位にまで及、それらをできるだけ無傷に延命することがトップ・プライオリティになってしまう。

体も地位も肩書も所有物ももちろん自分の一部だけど、順列・並べ替えがバグるとおかしくなっていく。

ある程度は理にかなった並べ方やセオリーみたいなものはあるだろうけど、それはそれでいい。

「そもそも自分や他人や世界を正しく捉える」「そのために構造的に組成を見直していく」ということも
自発的に動機づけられた人が勝手にやればいい。


便宜上、丹田の位置を体内に存在する器官と照らし合わせている。
下丹田は小腸、中丹田は胸腺、上丹田は松果体と符合させる。
それらの器官に代表される機能はいわゆる免疫のことで、生体の恒常維持に深く関わっている。

正しい姿勢でいると呼吸が整う。
呼吸と姿勢にイメージが伴えばそれだけで気功法になる。

息を吸う時に気が入ってきて、吐くとともに邪気を体から出すと書いてあるテキストは多い。
私はその部分は若干アレンジしている。


・物理空間はエントロピー増大、物質は崩壊に向かうが抽象的なイメージ空間では統合へと向かう
・願望を抱くことはエネルギーを蓄えることであり、受け取ることはエネルギーを解放することである


こういった物理と抽象のやりとりで切り替わる特性を踏まえると、
息を吐き出す時に気のエネルギーが任意のツボや経絡に流入して、
息を吸い込む時には同様に体内の気が外部へと流れていくと想像する。

これを癖にすると物事の捉え方が変わってくる。
「邪気をもらってしまった」とか「エネルギーが奪われてしまった」というエナジーバンパイア的な現象が激減する。

”邪気”とか”とられる”という発想は、自らを被害者の位置に固定する思考なので、
これではいくら気のトレーニングをして心身が丈夫になっても、有限をすり減らすことには変わりない。


確かに物質的には目減りする。
例えば所持金が1000円で、500円を払ってカフェでコーヒーを頼めば、物理的に手元のお金は1000−500で500円になる。

これをスピリチュアル的な解釈で「お金は使えば使うほど増える」という捉え方をすると辻褄が合わなくなる。

物理現象は減っているように見える。財布から渡したなら減ってないとおかしい。
しかし”コーヒーを飲む”という体験と500円を交換できた。
そして手元にはお釣りか残高の500円が残り、
レジスターには1000円札だか100円玉5枚だかはわからないが差し引きで500円残ることになる。
トータルで価値自体は増えている、ということに。

(人件費とかテナント料とかコーヒーの原価は一旦置いておいて)体験という抽象的な現象、
いわばイメージ空間のエネルギー現象としての部分は増え続ける。


金銭授受に関わらず、SEXや対人関係などでも同様で何かを受け取る時は、与える側の豊かさが存在して
自ら差し出して与えるときは受け取る人が存在する。

双方が「受け取りたい、損したくない」というような、有限が目減りする思考だと
やがて離反していくというのはわかりきっている。

双方があたえるGiverの思考になったときに初めて円環が完成する。


かなり道徳的な話運びになってしまった。
言い古されたことだが、基本に忠実にあればあらゆる実践はめちゃくちゃシンプルになると思う。

禁欲、蓄精、気功やその他の知識や実践を始めた頃は
「これをやれば(やっていない他人より)有利になる」という思考だった。

いや、始めた頃というのは嘘かもしれない。
参聖記というブログを書き始めた3年くらいまでは間違いなくそうだった。

性エネルギーを正しくロスなく高めてぶち上げて、突出した存在となることで、
既存の強力なコミュニティに参画、あるいは風穴を開けるというスタンスだった。

完全な誤りだといまではわかる。
うまくいかなくなるカップルの話と同じで、”奪うもの”という思考そのものだった。

あと、そもそも「大多数はどうせできないだろう」と自分だけが秘技を習得・実践できているという驕りもあったと思う。

情報源の書籍や先人が存在するということは、すでに実践してマスターして教え伝える人がいるということだ。
世の中のたいていの情報は全てそう。
自力で正解に辿り着く人もいるし、実践するまでもなく正しく強くエネルギーを回せている人もいる(知人にはいた)。

たどり着いた先にも性エネマスターがゴロゴロいて、
何なら独自の房中術などの流派ですらあるかもしれないという当たり前のことが盲点になっていた。

何らかの道を極めた人は同じ境地なので、異質な存在(この場合は奪うだけことを考えている人)である
自己利益の追求者は排斥されるだろう。


けっきょくどのように遠回りに見えても、自分の正しさを立脚して、試行錯誤の上に研磨していき
人格的にも相応しい器であると本心から振る舞えるように生きることが、
一番まともな道なのだと思うに至る。








2025年6月4日水曜日

側座核

 大脳辺縁系のおはなし

私が個人的によく参照している脳の部位の説明。
さらに専門的になってくるとよく理解できず、このサイトは一般人にもやさしい。

”やる気”伝達物質GABA産生の部位
側坐核の位置図
側坐核(そくざかく)は、約95%は、GABAの産生が最も主要なもので、快感を司っています。

(中略)

側坐核への主な入力としては、前頭前野、扁桃体、海馬、腹側被蓋野。

側坐核は皮質-線条体-視床-皮質回路の一部としてみなされています。

腹側被蓋野からのドーパミン分泌量を抑制する事により幻覚・妄想を抑制できます。
下垂体からオキシドシンが分泌すると扁桃体では警戒心が緩和され、側坐核では、快感が生まれ愛着の情動が出現すると考えられています。


ドーパミン快楽は行動を動機づけるための物質で、予測誤差に対して分泌されるというのが通説だ。


こちらの論文によれば

「研究の背景(要約)」
また、ドーパミン細胞の一過性の発火活動は、予測通りに報酬をもらえたか、もらえなかったかという「報酬予測誤差」の情報を有し、これが報酬を獲得できた行為をより強化する「強化学習」の成立に重要な教師信号になっているとされています。

しかし、このような、VTAからNAcに至る経路が動機付け行動や強化学習に関与するという知見の多くは齧歯類において比較的単純な行動課題を用いて明らかにされたもので、霊長類が経験に基づいて多様な選択肢から行動を決定していく過程でどのように機能しているかはよくわかっていませんでした。

「研究の結果(抜粋)」
2)動機付け行動選択課題において「より我慢強く待ってより多くの報酬がもらうことを好む」行動特性が、「より短い待ち時間で少ない報酬を得る」ような傾向に変化する(図3)

3)一方で、報酬がより高い確率で得られるゴールを選択するという強化学習課題における学習速度には変化が見られない
ということが明らかになりました。

「結果に対する考察」

2)はVTAからNAcに至る経路が「努力によって多くの報酬を得る動機付け行動」に重要であるということを明確に示した点で画期的です。

3)は、この経路の強化学習への関与を完全に否定するものではありませんが、これまでのげっ歯類での研究を覆す結果です。霊長類が経験から確率的に判断して行動選択を行う場合には前頭葉も含めた別の経路がより重要なのかもしれません。



何を長々とコピペしているのかというと、このブログのテーマに沿ってあることが気になった。
「禁欲(蓄精)して運が良くなる、というのは本当なのか?」についての参考になる基礎研究がないかどうかを調べていた。

記憶が定かではないが2004年頃のギャンブルかパチンコ板のオナ禁マラソンスレか何かで、
「禁欲している方が(していないときよりも)運が良くなる」という旨の発言がまとめに入っていたような気がする。

当時は「嘘クセェな」と思ったけれど、運という要素を分解していくと
”タイミング、環境要因を含めたその個体が取る行動の最適化”因子のようなものだといえる。


上記の基礎研究論文だけだとなんとも言えないが
(他にもいくつか見たけれど、畜産系雑誌で食肉の重要性に帰結するような”息のかかった”論文が多くて参考にならない)

・オナ禁すると運が良くなる、勘が優れる
・断食によって運が良くなる、直感が鋭くなる

こういった因果関係が見出せないような記述もいくつか妥当性のある研究と紐づけることができるのかもしれない。

個人的には、目標を設定してある行動をするときに短い断食で空腹状態かつ
中長期の蓄精で精気が充足しているときの方が”運が良くなる”と感じている。

むしろネガティブな要因が気にならない程度に、行動・挑戦するように特化しているモードの方が正確なのかもしれない。

めちゃくちゃ噛み砕いていくと、

「腹が減っていてムラムラしているのに目の前に獲物やターゲットがなければ、
ありそうな場所にいくし、積極的に狙うし、多少の失敗やミスはいちいち悩まないよね」

というようなスタンスが、結果として運を掴み取るような行動へとつながっているのかもしれない。

オナ禁初心者30日目でめっちゃムラムラしている群と
毎日シコってぐったりしている群とをそれぞれ成人男性で50名ずつくらい用意して、
「お金・食・性行動」の変化を観察するみたいな対照実験があればわかりやすいのにな。

一定期間経過後、次は被験者の行動を入れ替えて、
オナ禁群をシコらせて、シコ群をオナ禁させて結果を測定する。

そうすると性エネルギーがもたらす行動の変化が、それなりに実感がともなって観測できそうだ。

倫理的にも実験デザイン的にも完全にアウトなので、
近い将来は仮想空間に人工的にデザインされた対象群を用意して動かすのが面白そう。

「オナ禁した男はモテるのか、稼ぐのか、健康になるのか実験してみた」的な。


ここまで書いて、この世界がまさにそのバーチャルリアリティそのもので
自分も被験者として参加しているに過ぎないというSF妄想に囚われたところで終わります。

2025年6月3日火曜日

強みと運

誰にでも(本人はそれと気がついていなくても)得意なことは一つや二つある。
他の人は大変努力がいることでも労せずできてしまったり、自然とこなせることがある。

前記事で触れた元友人のMももちろん同様。
私では到底真似できないようなスキルがあった。
性格と嗜好が異なるから友人として合わないというだけの話。


経済的に圧倒的なものかどうかはさておき、成功とは

得意なことx好きなことx外部要因(環境とタイミング)

という図式で表わせるようになっているとおもう。
自分が主体(でしゃばるとか主張するのではなく自主的にという意味で)となって行動することが前提にある。

性エネルギーの充足はその基礎の部分に大いに助けになってくれる。
逆に頻繁に射精すると、根源的な活力が不足するのでここぞという踏ん張りが効かないし、
そもそも行動する元気がなくなってくる。


好きなことは比較的かんたんに見つけることができるが、得意なことはなかなか難しい。
つまり嫌いなことを裏返せば好きにつながるかもしれないが、苦手なことを裏返しても得意とは限らない。

けっきょく他の人が「それってすごいですね」と言ってくれるのをピックアップするのが一番手っ取り早いと思う。

私は30代になるまで自分の強みがなんだかわからなかった。
あまり目立って主張する人間ではないし、たまたま集団で目立つことがあっても、逆に欠点を指摘されることが多かった。
自分でもできないことを人並みにできるようになろう、という意識が強かったとおもう。

それは私の親の教育方針の影響がある。
(義務教育程度のレベルの低さだけど)”得意を伸ばす”より”オールマイティ”を重視する方向だった。

例えば学年平均50点くらいだとして、英語が97点、国語が88点、数学45点をとったとする。
英語と国語については褒められず「数学をもっと伸ばせ」と個人塾に通わされた。
昨今の常識では考えられない嘘みたいな話だけど、実際にそうだった。

散々自虐しているように、理系ではなく文系なのと
「数学が苦手」という自己イメージが強くて「語学が得意」という自己認識が最近(ほんと30代に入るくらい)まで育まれなかった。

それが大学や就職の進路にも如実に反映されていて、
明らかに”得意を伸ばす”ではなく”苦手を克服する”方向に微妙にブレている。

親も教育心理学には無知だっただろうから仕方ないけど、できている部分を伸ばせばその影響が波及して、
他のジャンルのスキルも伸びていくのが今の教育では(たぶん)常識だ。

話が逸れたが、そういった経緯もあってなかなか強みが自分ではわからなかった。
蓄精ブーストが効いているときと失速したときの落差が大きく、躁鬱のような激しく乱効果するコンディションもあいまって、
20代前半くらいまではかなり”自己探求”に苦労した。

あとは「そんなの俺の強みじゃねぇ。これが俺のやりたいことだ」とかいう自我の強さも、あるいはあったのかもしれない。

素直に人の助言を考慮する心の広さは持っておいた方がいいな。


たとえば「ポップス系の歌が上手い」とか「サッカーのシュートを決めるのが上手」「棋譜を覚えて的確な一手を素早く指せる」という
誰の目にも明らかな得意分野が早期に見つかって、なおかつそうしている自分が好きならラッキーだろうなと思う。

だからと言って、それが得意な人間だれもが歌手やスポーツ選手や将棋棋士を目指すべきとはならない。



あまりnoteという媒体は好きじゃない、というか嫌い、はっきり言って気色悪いとすら思っているが、
この筆者は自らnoteを否定しているのが気に入った。ので半分くらい記事を読んだ。

物質的な価値を生み出す労働者より、付加価値的なスポーツ選手が脚光を浴びて賞賛されるのは、
そういうマーケットがあるからだということに尽きると思う。

正直言って、私はスポーツなんてあってもなくても構わないと思っている。
大の大人がタマ蹴りや短距離ダッシュを競っているのを見ても特になんとも思わない。

「暇なんだな」とは思わないけど「応援します!感動をありがとう!!」とかは1ナノメートルも思わない。
応援が生き甲斐みたいな人に対しては、「時間もエネルギーも余っていていいね」とちょっと思う。

アーティスト系に関しても、時代がそれをお金に換える仕組みを用意しているから流行るのであって、
(もちろん好きなミュージシャンはいるけど)スタジアムで何万人とかさすがにやりすぎだろ、と正直引いている。

将棋とか囲碁はよくわかんない。チェスをたまにコンピュータ相手にやるくらい。


成功の中にある、外部要因であるタイミングと環境が見過ごされがち。
だから努力とか”続けることが才能”みたいな発言が、たしか有名な野球選手や棋士から出ていたと思うけど、単なるポジショントークにしか聞こえない。

本田圭佑という元サッカー選手が「環境を変えろ」という発言をしていたが、
こちらの方がより本質を突いている気がする。

さすがに環境を変えたとて、素人がいきなりプロにはなれないが、
三流が二流に、二流が一流になる例をたくさん見たんだと思う。



”運という隠し要素”

得意なことはなんとか見つけた、それを好きで続けることもできそう
切磋琢磨したり活躍したりできる環境にも身を置いた。

できることは基本的にはここまでだと思う。

運”は降ってきてから考えたってもう遅いんだ」|【毎日投稿中】梅林太朗 Taro Umebayashi


運ということについてここ数ヶ月、わりと真剣に考えていた。
もちろん考えているだけじゃ運は降ってこない。
それでも自分の半生を振り返って「あきらかにラッキーだった」と思える状況や前後関係を振り返ってみた。

運は乱数的なランダム発生要素。自分のコントール外。だから制御不可。
そう結論づけてしまうことは簡単だ。

特に経営者に多いが「自分がここまでこれたのはラッキーだった」と発言する人は多い。

リンク先の和訳、要約を読めば少なくとも今後は
『成功するヒトがもつX個の法則』というなんちゃって成功哲学を称した自叙伝を買わずに済む。

話を戻して、才能ではなく運が大切という話。

上記の論文は「だから誰にでもチャンスはあるんだ」というポジティブな話というわけでもない。

>報酬や資源は通常、すでに高いレベルの成功に到達した者に与えられるため、誤って能力・才能の尺度として考えられているが、この結果はさらに有害な阻害要因となり、最も才能ある者に機会の欠如をもたらす。

>平均的な才能を持つ人々の成功は、「実力主義」パラダイムや、その分野で最も優れていると考えられる人々により多くの報酬、機会、栄誉、名声、資源を与えるあらゆる戦略やメカニズムに強く挑戦している [44, 45]。重要なのは、大多数の場合、誰かの才能に関するすべての評価は、その人のパフォーマンスや、スポーツ、ビジネス、金融、芸術、科学など、私たちの社会の特定の分野における到達結果だけを見て、事後的に行われるということです。

>刺激的な環境、豊富な機会、資金や資源の適切な配分戦略が、最も優秀な人材の潜在能力を引き出し、中程度の才能を持つが運の良い人材に対して、より多くの成功の機会を与える重要な要因であることを示してきた。


・そもそも報酬や資源を与える客観的な評価基準がない、もしくは機能していない
・成果を見て”才能がある”と外的な評価を与えられている
・たまたま上手くいったことを「自分は実力がある」と思い込む
・普通程度の人の方が、専門的に突出している人より色々なことをやるから当たりを引きやすい

ということだと思う。
逆説的に導き出せる結論としては、

・自分が得意とする手法
・自分が好きだとおもえるジャンル

これらをクロスする領域で、色々な角度からなんどもトライをすることで運が転がり込んでくる可能性を上げることができる。

さらに言えば成功者は運がよくなる行動を自然と取っているだけかもしれない。
少なくとも、運が良くなる行動がとれるようにモチベートしている。


最新】ブルーロック 最新話までのネタバレ考察 潔や凪などu20戦の結果や脱落したキャラクターは? | アニメレーティング


サッカーは別にそこまで興味はないが、ブルーロックの中で描かれるロジックや現実主義はけっこうためになった。

”強みを見つける”とか”ゴールの方程式”とか言いつつも、
そもそも全国の強豪フォワードとして招集されていなければ土台にも上がれない。

まずはステージに上がる、という一歩を踏み出すというのが大事でそれが何よりもの”開運行動”だと思う。

サッカーで世界一になる基準はよくわからないが、少なくともクラブチームには所属したり、SNSでテクニック動画を上げたりはするだろう。
マッチングアプリで無双する人は自分に合うマーケットで、効果的なプロフィールとトークスクリプトをもっている。
宝くじに当選する人ですら、定期的に買うという行動をとっている。

得意と好きを続けられる場所で、適切なタイミングまで動静を繰り返す。
得意なことを洗い直す、好きなことを見つめ直す、環境を変化させるのも行動の範囲だ。

私も引き続き、正しい方向への開運行動を行っていきたい。



2025年6月2日月曜日

縁切り

男女の仲だと割と簡単に縁は切れてしまうが、同性同士の離れ方の方が難しく感じる。

なんとなくフェードアウトするのではなく
「少なくともこちらからはコンタクトを取ることを今後やめます」
という意思行事を明確にするのは、別れ話を切り出すかのようで気が引けてしまう。


そもそも当初ブログを書くにあたり、ストックしたネタがいくつかあってそれを放出することから始めた。

それはある知人に向けて書いた「禁欲マニュアル」のような一連の資料であり、
微妙にニュアンスは変わりつつも今日も継続して実践している内容そのもの。

それがまさにこちらから縁切りしてしまった知人である。仮にMとする。
結果的にMは(少なくとも当時は)禁欲のスタート地点に立つこともできなかったようだった。

行動ベースに落とし込むには目標が、実践的な目標を掲げるには強い動機が必要とされるということが
かなり明確に解っているのもあり、今だったらもしかしたら勧めないかもしれない。

彼の目標が具体的には以下のようだった。

SEXではなく、付き合うこと。結婚ではなく、子供を持つこと。

この2つのセンテンスから少なからず矛盾を感じると思うが、話を紐解けば要はそういうことだった。


Mとは古い付き合いで飯や遊びに行く仲だった。
おっさんになるに連れて、理由もなく顔を合わせる友人は得難いものとなる。
では私はMと関係性を絶ったことを後悔しているだろうか?

まったく後悔していない。

誰もが少なからず願望とは矛盾した行動原理を抱えながら生きているが、
私にとってMはかなり軌道修正が難しく感じた。

男女関係でセックスについて、一切合切を避けて通るのは不可能。
たとえばMの願望”子供がほしい”に限って言えば、異性とSEXしてデキ婚するという確実なルートがある(それがいいかどうかはさておき)。

特に前述のような「えっその結果に至るにはプロセスとして含まれてるよね?」と言いたくなるような部分を避けながら、最短で結果にリーチするような手法は私には馴染まなかった。

たまに特に女性で、性的にかなり潔癖症な人がいる。
気分が乗らなかったり、興味が持てなかったり、汚いと感じてしまったり。
Mがそういうことなら、まだ話はわかる。

しかしこれをいうと完全に悪口になるけれど、Mは素人童貞なのに風俗通いは玄人だった。
一緒にデリヘルを呼んだこともある。
私は適当に喋っていたら時間が来てしまったが、Mはきっちりと口内射精を済ませたようだ。

他に学校受験は推薦、就職は紹介のような形で入社など、
とにかくできるだけ既存の行動半径で、リスクを負わない範囲で手段を構築する癖があった。

⚫︎ッキーが不倫報道で干されたときに「かつてファンだったよな」と軽く話をふると、
そのタレントはもう好きじゃなくなったとMは答えた。
私は「一度推すと決めたら自分か相手が死ぬまで推せ」というほどの過激派ではないが、
ちょっとその反応には面食らった気がする。

私は「推しが妻帯者と定期的に寝てたなんて妄想捗るじゃん」というほど変質的でもないけれど
好きなタレントなんて、あまり世間的な評価は気にしてもしょうがない気はする。

あとMはエッグTENGAユーザだったな()


もう10年早ければ、もしかしたら並走しながら共闘できたかもしれない。

その10年間は私はオナ禁はもちろん、気功法、房中術などかなり細かく知識と実践を重ねた。
素人童貞なわけないし、TENGAは買ったこともない。
実家が裕福なMの方が収入は高かったと思うが、たぶん私の方が69倍くらいは異性にモテた。

私はそのことで嫉妬したり、申し訳なくおもったり、優越感を感じたりしたことは一度もなかった。
自分が優れているといいたいわけではなくて、単にスタンスの違いが大きすぎたのが問題だ。

「その場合はこうした方がいいよ」というストックを、私なりにかなり持っているのだが
30代にもなると男性はプライドが高くなり、自分が認めた方法(たいていはネットやインフルエンサーの受け売り)しか試さなくなる。
身近な実践例、成功例を受け付けなくなり、ストコーマだらけになる。

自分が受け入れられる範囲の事柄しか目に入らなくなり、
そのような内容だけで現実が構築されていく。理解を超えた事柄は全て例外にカテゴライズされる。

Mも多分に漏れずなぜかプライドが無駄に高くなり、
いちいちあらゆる方向からマウントを取るような喋り方になっていった。


いちいちマウントをとられるくらいなら、多少は不快だが別にいくらでも耐えられる。
優位に立とうとする人間や、実際に優位な立場がゆえに横暴になる人間は山ほど見てきた。

それに比べれば素人童貞・TENGAマンMのマウントは可愛いものだった(めちゃめちゃイジってるやん)
次第にLINEのトークも支離滅裂になっていった。

具体的に表現するのが難しいな。
Mから話を振ってきたから、それについて私が反応すると、
また元の話題に戻るというようなことが何度か続いた。

レスの間に1週間とか空いてしまうことがあったが、
スクロールすれば(画面の大きさ的にはスクロールしなくても)わかる前後関係の文脈を
まるで無視したトークを繰り広げるので寒気がした。

たぶん、ニュアンス的に一番近いのが掲示板まとめサイトのなんJ系のやりとり。
あるいはツイッターのクソリプの応酬。

コメント欄含めて売り言葉に買い言葉、反射で文字を打っているから思考がめちゃくちゃ。
ヤフーニュースやインスタグラムのコメント欄の方がまだ整合性が取れている。


Mがクソリプ丸に成り果ててからだいぶ距離を置くようになっていたが、
基本的には優しいし、律儀な人間でもあるので敬意を持って接していた。

外に遊びに行くと言っても、焼肉食べ放題や脂っこいラーメン街へ行くくらいしかバリエーションがなかった。

”街ブラしながら食べ歩き”とか”カフェでちょっと休憩する”という
デートなら王道だし、同性とでもふつうにするようなことが全くなかった。

私としては非常にそれが退屈だった。だんだんと一緒にいるだけで疲れるようになった。
食の方向性がはっきりと違うとわかった場合、早めにフェードアウトするのが一番よかったのかもしれない。


だんだんと時間を割くのが惜しくなり、クソリプが面倒になり、
マウントトークが鬱陶しくなり、ダブルスタンダードというか男性視点の性への捉え方が真っ向から矛盾している部分が決定だとなり
縁切りする方向で法案が可決した(?)

私にも非があるとおもう。表裏一体の関係性だ。

Mからすれば「やたらと疑り深く、言葉尻をいちいち揚げ足取りしている、粘着質なメンヘラ野郎」と思われていても仕方ない。それはそれでいい。

これを書いていて思い出したが、忘れもしない(忘れてたけど)言葉がある。

それは私に彼女ができて、Mに「兼ねてから知り合いだった女性と付き合うことになった」と報告したときのこと

「よかったじゃん。アナル⚫︎セックスはした?」(伏せ字の場所間違ってるから)

という一言。

ふつう友達が付き合った報告をしてもセックスについてはそんなに触れない気もするけど、
悪ノリではなく「そうすることが自然と思うけど、他の人はそういう機会を多く持つのだろうか」というような真剣味があった。

回答に困り、適当に答えたと思う。
アナル挿入はもちろんしていないし、するつもりもない。なにより挿れられる側の方が、懸念すべき事項が多い。


もしかしたら潜在的にホモセクシャルな気質があったのかもしれないな。
それについては幸運なことにわからずじまいだ。

Mに対しては、今はどこかで元気にしていることを願っている。

シティヘブンで最寄りのデリヘルを”AFプレイ対応可”で絞って、オキニトークを送っていたりするんだろうか。




手っ取り早いエロティシズムではなく、真剣なまでに冗長なあざとさを求めて