2025年6月28日土曜日

メタファーの海





今後の方法、方向性がひとまず固まったので一旦旅に出ます。

2025年6月27日金曜日

*Dear Reader

+当ブログについて
比較的まじめなものから、どう考えても眉唾っぽいものまで幅広く取り扱っております。
筆者はただの陰キャの一般人です。
自称オルタナティブ・タオイスト。
書きたい時に、書きたいことを、書きたいように書いてます。


+参考にさせていただいている書籍
・『運命の貴族となるために』 ジョン・マクドナルド(1996) 株式会社飛鳥新社.
・『気功革命 癒す力を呼び覚ます』 盛鶴延(2004)(有)コスモスライブラリー.
・『生命を支配する陰陽の法則』内海康満(2010) 徳間書店.
・『タオ性科学 自然治癒力を高める陰陽和合の秘訣』 謝明徳(第7版,2022)  産学社エンタプライズ.
・『実践 自律訓練法』 佐々木雄二(2014) ごま書房新社.
・『波動の法則 宇宙からのメッセージ』足立育朗(2007) ナチュラルスピリット.


+知覚に基づいた自己の捉え方について
「あなたの本質は受容能力です。」ダグラス・ハーディング FacelessJapanFilms (YouTube動画)

2025年6月26日木曜日

神経生物学者だけど「感情」について質問ある?| Tech Support | WIRED Japan

 

不純なアイ

 






(だから淫夢ネタは詳しくないんだって)


NLSという大手のアダルトグッズサイトがある。
ここのメルマガNLS通信が本当に面白くて長年購読している。

人々の深層(あるいは表層)意識にあるエロティシズム、性的嗜好性と真っ向から取り組んでおり、
風俗産業の歴史的背景まで造詣が深く、最新のテクノロジーまで幅広くキャッチアップしており、短いながらも(こんなブログより遥かに)読み応えがある。

最新のナンバーではAIを用いてそれぞれが性的なフェチシズムを掘り下げることで、
ネクストレベルのオーダーメイドな快楽へと進化していく様に的確にスポットを当てていた。

「生身の行為があってナンボやろ」

そういうふうに、どちらかといえば昭和に近い私なぞはどうしても考えてしまうが、
多かれ少なかれ男女は自分の中の欠落を埋めるべく、理想を異性に投影しているのは間違いがない。

”これからの時代、AI活用は必須のスキルとなっていくといわれています。デジタルツールのリテラシーが低くても、エロ目的ならやる気になる人も多いでしょうから、まずは不純な動機でAI活用をはじめてみるのもいいかもしれません。”

素晴らしい提案だと思う。
自在に姿形を変え、自分でも気が付かなかった嗜好性を試すのに生成AIを利用しない手はないよねというわけだ。


現実のラリー(があくまで続く範囲内で)を通じて、私個人の弱みとかこういうものを異性に求めている、というのは傾向として把握しているが
それをさらに深めて物理現実を凌駕するまで突き詰めようとは考えたことがなかった。

際限なく分化するジャンルには歯止めが効かないように思え、
(多くの中年男性がおそらくそうであるように)
少年誌の表紙を飾れる程度の眩しい健康的な太もも、布面積の大きなビキニ、
挑発的ではない表情と黒髪ストレートに美意識を見出すところに着地しそうにすらなっていた。

いやいや、これじゃいかんなと(なんでだよ)

上段のリンク先はAIを用いて淫夢ネタをオマージュ、パロディした演歌でコメント欄を含めて非常にハイレベル。
YAJU & Uがバズり倒して最も有名らしいのだが、直接的表現がなく演歌というフォーマットを使っている点において
「阿久城よ」はさらに芸術点が高いように思える。

『お金2.0』や『世界2.0』などの著書がある実業家の佐藤航陽氏は、
その特殊な生い立ちとラディカルな思考、洗練された佇まいのナイスガイ(死語)。
近年は都市伝説界隈でも頭角を現してきていて、もっとも注目度の高い人物のひとりだと思う。

このブログ的にあえて触れるとすると性エネルギーに関してもおそらく研究熱心だと感じる。
彼の発言の端々でセックスや人間の持つ原始的な快楽について(恥ずかしげもなく当然のように)触れているのを見て、
精悍な雰囲気の奥にある泥臭さみたいな精神性が垣間見えたりもする。

日本の強みは文化遺産でありストーリーを作り出す能力とその元ネタ宝庫である国土そのものにある、
IP立国を目指していくべきという動画の対談には深く同意する。

しかしそれすらも頭脳明晰な起業家や国家プロジェクトみたいなものは不要なのかもしれない。
勝手に放っておけばホモビデオxAIxネットミームで、異常な作品ができてきている現状。


考えてみれば、ミスチル、スピッツ、サザン、B'z、ラルク以降の00年代のロキノン世代で
もっとも知名度が高くスターダムに上り詰めたと思われるBUMP OF CHICKENは
元々2ちゃんねるのフラッシュ動画サイトで大量に二次創作が出てきて流行った経緯がある。

フラッシュはニコニコ動画の走りで、その後2010年代に台頭したボーカロイド楽曲群のルーツにも当たると思う。
その界隈ではボカロP、ハチ・米津玄師やYOASOBIのAyaseがおり、彼らは間違いなく当世を代表するアーティストだということ考えると流れ的にすごく腑に落ちる。

トップダウン的にアートを支援するかというより、IPに関する知的財産権の規制を緩和して
いろんな才能をのびのびと自由勝手に遊ばせるのが一番いいのかもしれない。

放っておいてもギリギリ怒られないラインを攻めて(つま先くらいはボーダーを越えながら)
様々な表現がこれからも出てくるだろうと思う。

彼らは元々天才なのかもしれないし、好きなことへの努力を惜しまないのもあるかもしれない。
偏執狂的な執着、追求が半端なく突き抜けている。つまりど変態なのだと思う。

「俺の好きなものってけっきょくこの程度のもの」と勝手に線を引いて言語化して収めてしまうと、それ以上のものには絶対出会えなくなってしまう。

認識できるものしか認識しないというスコトーマの原理によって、自ら未来を閉ざしてしまう。


今すぐにでもできることからはじめられる。
どんな些細なことでもいい。

そうだ。
自分の性的嗜好性を突き詰めるために、NLSでディルドやTENGAを買おう(ダイレクトマーケティング)


こんなこと書いてる時点でGoogleから広告許可なんて一生下りない気がする。


2025年6月25日水曜日

美人は得するのか

 美人っていうのはものすごいざっくりいうと容姿がいいと他人に評される人のこと。

男も同じで、だからイケメンは得するのかとしてもいい。


何をもってして”容姿がいい”んだよと思われたら、とても的確な指摘です。

まさにこの話の核になる部分だけれど一旦無視する。


まず「美人が得をする」という現象は相対的に形作られている。

すなわち実際はもっと残酷で、「ブスが損をする」というのが実際のところだろうと思う。

”得をする”という定義は難しいが、いい思いをするみたいなことだろうか。


ブスが嫌な思いをする、と字面で書くとパンチが強いが美人は得するの対義語というよりは、

現象を別の角度から眺めた単なる文字列だと思えばいい。



前提として、以前書いた記事「0736は社会に迷惑」という記事を参照されたい。

これはベッチーこと苫米地博士がメディアのインタビューに答えたものをまとめたのが元ネタ。

元々のタイトルは「ブスは社会に迷惑」という切れ味バツグンのタイトル。


ブスの定義は簡単でエフィカシーが低い、つまり”自己の能力に対する評価の低い人”と定義づけられている。

能力の高さではなく、自己の能力に対する評価なのが決定的なポイント。


つまり本記事の最初に出てきた”何をもってしてよしとするか”の部分はここで解決する。

「自分がいいと思ったらいい」で終了となる。



ブスが嫌な思いをする、というのはやや強烈なフレーズだが

「嫌な思いをしたくない」がマインドセットになっていることだと考えれば、かなりの人が当てはまるはずだ。


対して美人はどうかというと、容姿が相対的にポジティブに目立っていることで

人生の早い段階から役割を与えられることが多い。


例えば幼稚園や他のお子さんの親御さん、親戚などの他人から話しかけられたり、

学校へ入ったら学級委員を任されることになったりなど相対的な経験値が増える。


美人がスポーツや学業の成績がいいというのは単なるハロー効果やピグマリオン効果が働くかどうか以前に、

試行回数の圧倒的な違いが差となって現れているだけだといえる。

裏を返せばあれこれと(自分が思っているセルフイメージとは違う)社会的にいい振る舞いを求められて嫌になる、と考える美人も多いだろうと思う。


ブス側の心理として私が代弁すると、

「他人の理想を求められて嫌になる」というイケメンな悩みというよりも

「期待に応えられる自信がない」「適応的に振る舞えない自分が嫌になる」という根暗っぽい発想に向きがちになる。



「可愛いは作れる」が「ブスは隠せる」の言い換えだと聞いた時、なるほどと合点がいった。


ただ化粧や声色やファッションで上辺だけ取り繕っても、マジもんの美人には到底及ばない。

前述のように幼い頃から社会的洗礼とも呼べる英才教育を無意識に施されている。

無意識的反射的に、筋肉に電気信号を伝えよと脳が指令を出す前でもなく、最適な姿勢と表情筋をコーディネートできるように訓練されている。


すっぴんで負けている上に化粧も上手いから敵わないね。

ルッキズムなどを引き合いに出すまでもなく、社会がそれを後押ししている。


ここまで美人だのイケメンだの書いてきたが、顔面の美醜は相対的に規定される。

目鼻立ちが理想的な黄金比に近いなどの法則性はあるかもしれないが、

たとえば無人島に人間が一人しかいない、それが橋本環奈とか新田真剣佑だったとしても

美醜の比較対象がなければ美しいかどうかの判断材料さえないということになる。



ここまでをまとめると


・美人は得するのではなく、試行回数が相対的に多いだけ

・翻ってブスが損しているのは、試行回数が少なく、

 ポジティブな結果に挑戦するというよりネガティブな結果を避ける思考になりがちな部分

・ブスの定義は”自己能力に対する評価”が低いこと

・美醜は他者が勝手に、経験に基づく比較材料をもとに判断する相対的なもの


結論としては、

他者評価に基づいて比較した上で自己能力に対する評価を変えなければブスのスパイラル

略してブスパイラルから抜けることはできない。


逆に言えば、自分の能力に対する評価を意識的に肯定的に上げていけば、

即座にその下降スパイラルを止めることができる。


おきまりのポジティブシンキングではなく、ポジティブアクションなので行動ベースで考える。

全然思いつかないんだけど、例えばコンビニでお茶を買った時に笑顔で店員さんに「ありがとう」と言ってみる。


ボソボソとした声で聞き取れないし、笑顔は引き攣っているしで

「なんだこいつ」という顔をされたり「はい?」とか怪訝に聞き返されるかもしれない。


「あぁやっぱダメだ」と思ってしまってもいい。

ひとつトライして、何かのフィードバックを得られたことには変わりないので「よくできました」スタンプを自分に押す。


実際に買ってきて、スタンプカードを作ってみてもいいかもしれないね(まじで思いつきで書いてるだろ)

「今日も声に出せた」とか「言おうとして逃しちゃったけど、ナイストライだった」とか

小さな経験値を無数に積み上げていくことに意味がある。


これは高評価しかつかないVlogみたいなもので、行動しようとするマインドセットさえできてしまえば

否が応でもプラスに作用しつづける。


いま燦然と輝いてる美人やイケメンも、これに類するトライやネガティブなフィードバックは無数に受けてきており、

しかもより高いレベルで今日も絶えず批評に晒されている。

いい練習だと思えばいい。



そんなところだろうか。


私はどちらかと言わずともインドアな陰キャでコミュ障だったけれど、

それこそオナ禁を始めたときくらいから本当にいろいろな面で自己改善をしてきた。


もっとも長く苦心しながら試行錯誤したのが対人コミュニケーション。

当時はたぶんコミュ力という言葉すらあまり一般的ではなかった。

だからマインドセットがよくわからず、とにかく自分の描く理想像とのギャップを埋める作業だった。


別にそんなに人によく思われたいわけでもないし、

今でも他人とどうでもいい話をするなんて楽しいとも思わない。


ただ社会的な生き物として生活する上でそれなりに楽しくやっていくには、

ハッタリでも作り物でも美人イケメンコミュ強の方がおもしろい部分が増える。


「何も賭けずに損する一方より、ベットする機会を増やしてワンチャンプラスなればいいよね」


という酷く打算的な思考でやっているにすぎないけれど、

まあまあ、自分が楽しくて周りにもいい感じが伝播すりゃそれに越したことはない。


世界平和だとか争いのない世界だとか大上段に構えるつもりはまったくないが、

意外と卑近で世俗的な積み重ねの先にそれが実現されているんじゃねぇのかなと

よく考えている今日この頃ではある。


この世界は俺のパラレルで俺が主人公で全てが俺のものじゃねえか。

 260 :本当にあった怖い名無し:2008/08/17(日) 08:42:33 ID:Z6EoQHQx0


夢から覚めた。びっくりした。

108さんや他のエンティティが言うようにこの世界は俺の内面の投影なのか!?

てーことはこの世界は俺のパラレルで俺が主人公で全てが俺のものじゃねえか。

そりゃ思い通りになるよ。


この世界全てに俺が敷衍している、つーか俺の庭だと思うとなんだかあれだ、

全てが愛しいぞ!犬も鳥も石ころもなにもかもがだ!そいつらは俺だよ!


敵なんかいるわきゃねぇ!全部俺の世界じゃんか!恐いもんなんかねえよw

こんな思いでさっきコンビニに行ったんだが、店員の女の子がとてもニコニコしてんだわ。

普通以上に。なんじゃこりゃ!


ここで108さんに質問。

この論で行くと俺はこの宇宙に一人だけ存在するんだが、

見える人々はたまたまこのパラレルを選んでいる人々だってことでおk?

で、引き寄せとは結局刻々のパラレルサーフィンだってことが答えかな?


全てのバージョンがあるから俺が好きなパラレルにシフトすればいいんだ。

今まではチンケなシフトしてたんだけど、ダイナミックにシフトできるぞこりゃ。

つか完璧に好きな世界を作れるじゃん!


宇宙存在って「1」だけなのかもしれんね。

その「1」の無数の表現のひとつが俺かー。で、おまえらかー。

で、パラレルがわーーーってあんだぞ?

とんでもねええええええええw


頭が壊れたかな(;^_^A


つまりあれだ、いつも俺と一緒に居てくれる人ってその人の無数のパラレルのひとつを

選択してくれている人なんだわ。どんだけー。


261 :本当にあった怖い名無し:2008/08/17(日) 08:53:52 ID:mXRhA6w60


>>260

いいね、そんな風に思えたら争いもなくなるし平和で愛にあふれてて、なんでもうまくいくだろうね。

読んでいて涙がでそうになったよ。ありがとう。


262 :本当にあった怖い名無し:2008/08/17(日) 08:58:04 ID:Z6EoQHQx0


>>261

いや俺からもありがとう!

このパラレルを選んでくれて俺にレスくれてありがとう!


950 :108 ◆90KoxUVipw :2008/08/23(土) 00:47:50 ID:mBagMR260


>>260

そうです。真理への到達、おめでとうございます。

2025年6月23日月曜日

ラーメンに限った話ではないけれど

ラーメンだけはよせよというコピペを不勉強ながら最近はじめて知った。

そもそも私のネット歴が2ちゃんでは健康板とオカルト板、ローカルの掲示板といくつかのファンサイトのBBSに常駐していただけなので
VIPやなんJ、ニコ動や淫夢ネタなどのネットミームのメインストリームには触れる機会が少なく偏っていて疎いのかもしれない。

あんまりTVドラマや漫画も読んでないから物理現実のミームにも詳しくなく、
どっちにも居場所があまりなくてけっこう悲しい感じだけど人生楽しいから大丈夫。幸せならOKです!(ネットミーム)

話が逸れてきたから戻す。
ラーメンが基本的には有害という説について、私なりの角度で、あまり時間がないから適当に手短に。


まず食事というものは火を通すことで少なからず失われる。
たとえば野菜や果物などは加熱すると熱に弱いビタミンCが溶け出してしまう。

火食は過食に通じる、とはよく言ったものだとは思う。
しかし人類の歴史を振り返ってみれば、火を通すことで”調理”というスキルがアンロックされ、
塩による”保存食”という便利アイテムとの合わせ技をもって、栄養を効率的にとることができるようになって種が生きながらえたといえると思う。

やってみればわかるが、生の玄米やレタスを「ついつい食べ過ぎてしまう」ということは不可能だ。
だがポテチやフライドチキンなどのファストフードは比較的容易。
火を通して加熱したものは、たいてい濃い味付けをしている。


そして外食という要素。
飲食店というか資本主義の上にある全てのサービスがそうであるように、利益を出す必要がある。

ごはんは結局のところ1回食べておいしかった、終わり。
という一回生の体験だが、全ての人が一回しか来なかったら早晩その店は潰れてしまう(そういったお店は身の回りを見渡せば少なからず見つかるはずだ)。

では潰れない、利益を出すためにはどうするべきか。
リピーター、常連客を作る必要がある。

語弊はあるが”また当店に来店してもらうための一回”をひたすらコストを抑えて回す、というのが最適解になる。


そしてこれは個人的な見解だが、ラーメン業界はレッドオーシャン気味ながら、参入障壁の低さと差別化が(比較的)容易なジャンルなので誰でも始めやすい。

たとえばフレンチレストランは「有名ホテルのシェフ経験」などが肩書として並べられる。
パティシエも「欧州でX年修行」などは専門学校のカリキュラムにすら組み込まれている。
いずれも驚くほど精緻で難易度が高く、しかも汗水垂らして働いているのに薄利多売で生物で季節ものの要素すらある障壁の高さがある。
だからライバルはそれほど多くはないが価格は高い。

ラーメンは逆パティシエ、逆フレンチシェフだと言ってしまって構わないと思う。
あらゆる演出で職人感を醸し出しているけど、所詮はメディアの影響。

ささっと腹に詰めてあったまることのできるファストフード。
ジャンクフードとは言わないまでも快楽食であり、肉体労働者の昼食、よくいって地域密着のソウルフード。

ホテルのフルコース料理がムードのいいスロウセックスだとしたら、
もう一方はビデオボックスのショートコースでオナニー射精するようなものだ。
それ以上に差があるかもしれない。

スープと麺と具材にこだわって、おいしい一杯を追求してウン10年続けるのってもちろんすごいことだと思う。
でもそれがプロであって、その他のどの業界、業態でも同じことだ。


長くなってきた。

要はリピータを生み出すための快楽食、しかもあらゆる料理の中でもかなりイージーなジャンルのものが
それほど人間の栄養摂取として相応しいかというと甚だ疑問。


上記にも書いてあるように、麺類はそもそも噛まない・噛めないものなので消化吸収されにくいものだからNG。

ただ太る、太らないかどうかは咀嚼の回数や何を食べたかどうかでは決まらない。

摂取カロリー<消費カロリー

常にこの図式さえ守っていれば、健康的かどうかはさておき太るということはできない。

パスタ同様に麺だけならまだしも低GIなのだが、とんこつスープやチャーシュー、
付け合わせのビールや餃子などによって打ち消されていく。

そして最近確信に至った要素として、小麦由来の麺を使っているため
現代の品種改良されている、しかも精製された小麦粉で作られた食事はほとんど栄養を取るに適さない。

イタリアンでメインの前にオリーブ油と小さくカットされたバゲットが出てくるが、せいぜいそのようなポジションだ。

小麦を打ち伸ばしただけの麺が堂々の主役として、油の浮いたスープの底に鎮座しているのだから困る。

ジャンクフードの代名詞のハンバーガーですら、バンズはメインのハンバーグの補佐的な立ち位置だっていうのに。



それでもラーメンはうまい。時々無性に食いたくなる。
なぜなら胃腸ではなく脳や喉越しでうまいと条件付けられているからだ。

ほんとうに体にいいものは「うまい」というよりは細胞に染み渡るようなおいしさで、
素材のままでも手の込んだ料理プロセスを経たものでも、プロでもアマでも作り手によらず美味しく感じる。

現代日本は飽食の度合いが行き過ぎている。
インフルエンザー界隈では野菜食べてて偉い人とか料理研究家とかいう
アダルトビデオ同好会とかとどっこいどっこいな肩書の人間が幅を利かせている。

その辺を書いていくとまだ長くなりそうで面倒だから省略。


私なりの結論。
ラーメンに限らず、
条件付けに対する反射で、情報を食べているのは全て悪。特に視覚情報。

XX映えとかいう味はさておき写真に撮ればOKみたいな風潮は本当に馬鹿馬鹿しく、
料理や食に対する敬意や心構えを著しく損なっていると思う。

しかもインバウンドとかいう旅行客も嬉々としてそれを喜んでいる始末。味わかって食ってんのかよ。
Vlogとかストーリーズとかにそれをアップしてインプを稼いでそれで満足なのかもしれないが、
本当の意味で胃腸を満足させるには程遠いにもほどがある。

どいつもこいつも馬鹿ばかりで、なにがWeb2.0だよ(それ言いたいだけかよ)




Web1.0の残滓

唯一残していたSNSの個人アカウントを削除した(正確には30日くらい経過してから完全削除になる運びのようだ)。

一応連絡ツールも兼ねて残していたけれど、時々くるスパムとDMが鬱陶しく感じてきた。
アプリは長いこと入れていなかったし、更新もしていなかった。

知人ユーザーも全然投稿しないし、見る専になってる人が多いようなので、こんなもん入れててもなんの意味もないと感じた。
結局すでに有名なアカウントが大量にフォロワーを獲得して、マーケティングに用いるだけで
現実世界の資本主義的パワーゲーム論理をネット空間に持ち込んだだけだった。
なにがWeb2.0だよ(再)

画像検索ツールとして使っていたが、ハッシュタグというセンシティブな条件が逆に邪魔で
けっきょくPeniterestちがったPinterestの方が(健全だし)いいじゃんとなった。
Tinterestの方はTemu商品や中韓のチープなメロドラマの広告が多数出てくるし、
あからさまにチャイナ資本なのかもしれないが、まぁいいか。

画像はイメージを具体化するときにかなり有用。
行ったことのない土地や国、踏み入れることがないであろう建造物や個人が描いた世界観を気軽にイメージ素材として使えるのが最強。

生成AIによる画像がかなり出てきてしまうから、実際は異なるかもしれない。
けれどそれは雑誌だろうが画面だろうが、どんな媒体でも同じで、
本物の質感と臨場感を伴った実物3Dの方がはるかに有用。

どんなにエロゲーやAVや漫画で妄想するよりも、
1回のまぐわいの方が次のイメージ素材としてリアルな質感なのは間違いない。

完全テキストのWeb1.0の残り滓みたいな領域までダウングレードしていきたい。
一周回ってそっちの方がいい気がする。


あとはLINヨをさっさとやめたい。SMSかDiscordを連絡手段として使うというのを想像している。

某博士チームのフォートトークはマジで使えなかった。
何が使えないってアプリUIが画面に対して最適化しておらず、見切れてるボタンがタップできないクソ仕様(今はもう改善しているかもしれない)。

さりげなく『洗脳原論』を参考書籍から削除した。
特に有事において、最近では認知戦と呼ばれる広義の洗脳合戦みたいなものがデフォルトになる。

元から行われてはいたけど、2020年台に入って当然それは加速しており、
いっそ統制下にある外部情報に触れないほうがマシなのでは?と思うことすらある。

最新をキャッチアップするよりも、古本で百円になって埃を被っているようなものを読んだり、
自分なりの考えを自分の言葉と手でしたためて確認する地味な作業をコツコツとやった方がいいと思った。

テクノロジーが盛り上がったのは2022年の生成AI民主化がピークで、
あとはもう規模感の話で金があるところから順にということだろう。

なにがWeb3.0だよ、と言っている未来がすでにうっすらと浮かぶ。

技術とも他人とも最適な距離を保ちながら、
丸く強く硬く、柔らかく時に激しくありたい(ナニの話だよ)

2025年6月22日日曜日

おすすめ作業用BGM

https://coffitivity.com/

PCで音系以外の作業をするとき、なんのBGMを使うか探すのに時間をかけてしまう癖がある。

そんなとき見つけたフリーの音源が上記のCoffitivityというサイト。
動画や広告が一切ないただの雑音なのだが、これがなかなか有益。

しばらく見ない間に(使ってなかったんかい)一新されていて、アプデされていた。
フリー音源の種類が増えた。
サイト内を移動しても、ミュージックプレイヤーが別枠で開いているから再生が妨げられない。

いや、今聞いてみたら広告が入ってた。
その広告も商品ではなくCoffitivityのプレミアムプランのアナウンスなので、まだマシかな。

有料プランは年間契約で月4ドルくらいらしいので、作業系が多い人は契約を検討してもいいかもしれない。

Spotifyプレミアムでいい感じのチルアウト系の音源とかBraveで広告を抑えながらYoutubeで作業用音源を聴いて作業するのも全然あり。
民法のTV番組が鬱陶しいのって、コマーシャルがあまりにセンスがなくて下劣だからだっていうのも要因だと思うけど、
オンラインのサービスもけっきょく広告代理店とか食品とか製薬とか大手の企業がスポンサーだから、同じ構図だよね。何がWeb2.0だよ。

話がそれた。
個人的にはメロディがあったりいかにも「自然音ですよ」とか「環境音流してるよ」感があると逆に鬱陶しく感じてしまう。

Coffitivityはこの手の雑音だけでたぶん10年以上前からサイトでサービスをやっていたと思うので、
かなり研究されているのかちょうどいいレベルの雑音。


カフェで勉強すると作業が捗る、というのは実は根拠があるらしい。
ひとつは環境を変えるということ自体が、脳内をアルファからシータにチューニングするような働きがある
というような論文をどこかで見た記憶がある(ソースなし)。

もう一つはこの雑音(だから閑古鳥が鳴いているカフェじゃ効果がない)
人が出入りしたり、食器が触れ合ったりする音が入り混じっていると、
その雑多な音から意味のある文脈を見つけようとするためにフォーカスするので、
その時の脳の状態を保ったまま、勉強や仕事や読書をすると勝手に集中するという具合だ。
これは特に論文はなかったかもしれない(ソースなし)。

特定の場所、図書館やカフェじゃないと集中できないという人もいるかもしれないが、
場所を変えること自体に意味があるので外出した後自分の部屋で作業してもまた同様の効果が得られると思う。


大学2年生くらいまではカフェで小型のPC(今はなきネットブック)を使って、レポートを書いていたけれど
費用がかかりすぎることと上手くフォーカスがキマるときとキマらないときとで
パフォーマンスの差が激しいということに気がついた。

しかもお気に入りのカフェが閉店したり、席が空いてなかったりすると使えないという諸刃の剣。
なので色々と調べた結果、”環境を変えること”と”雑音”にヒントがあったと考え至った。

それからというもの、デスクトップパソコンしか購入していない。
血迷ってiPadを買ったこともあったが、自分には全く合っておらず家でアニメ見るために使っただけなので人にあげてしまった。
たぶんこれからもノートパソコンとタブレットは買わないと思う。


以前は会社から貸与されたPCで外で作業することもあったけれど、
そもそもカフェは茶菓を楽しんでリフレッシュするための場所だ。

本を持ち込んだり、ノートで簡単なメモを書くことはあるが、
本気で集中して作業したいときは向いていないという当たり前のことに気づけてよかった。
もちろんセキュリティ的な理由もある。フリーWiFi的な意味でも。
もし自分がクライアントだったら、カフェでノートPC広げている人とミーティングしたり仕事を任せたりしたいとは思わない。










2025年6月21日土曜日

フェーズ3

体重は順調に2.7kgほど増量している。

体脂肪率は11-12%で推移している。


最終的に10%程度に落とすときに、筋肉量も一緒になくならないように

高タンパク、低脂質でいかに行くかが大事になってくる気がする。それは後々気をつければいいか。


現段階は増量を目指している。どうやって維持するかはもう少し先の段階だ。

人によって、また体質によって、どういった目標が適しているかは異なっている。

私は「痩せすぎ」と言われてきたので、もう少し健康的な体格にもっていきたいのでこういう目標。


フェーズ1の消化能力、フェーズ2で吸収能力、

ようやく今はフェーズ3の摂取量を増やすに差し掛かってきたところ。


ここ1ヶ月半くらい、毎朝(壁を使った)逆立ちをしないと気持ちが悪いくらい習慣になってきた。

肩や背中の可動域を広げて、血流やリンパが流れるようにして、トレーニングそのものの効果を底上げする。


サプリメント類はとっても取らなくても、こだわらなくていい気がする。

タンパク質をできるだけ大豆と魚で補うようには心がけているが。


まずそもそも消化できなければ食べられず、吸収効率が悪ければいくら食べても意味ない。

そして食べたものが、ある程度は適切に使われるようにトレーニングしたとしても、

鍛え方のフォームや姿勢が偏っていたり、十分に効かせられていなかったり、

生活で使うことのない筋肉ばかり使っていても効果がでない。


結構やり込み要素が多くてやりがいがあるけれど、一旦好循環に入っていけば

そもそもの伸び代が大きい分、比較的簡単に5キロ、7キロと増やせる気がしている。


ただなんとなくがむしゃらにやるのではなく、

仮説を立てて検証しながら、狙ったところに落とすようにイメージをして、

結果を振り返りながら改善していきたい。



気温が高くなってきたが冷たいものをとりすぎたり、胃が疲れたりしてはよくないので

常温の水を飲んだり、16時間程度の食間をあけたりしながら調整している。


今までの自己改善で培ってきたノウハウを組み合わせれば対応できそう。

1週間断食とかの方が全然辛い。


先日動画を貼った、指の形だけで腹式呼吸に切り替える方法はかなり即効性が高い。

これは気功法や房中術にも応用できそうで、可能性が広がる。


「いかに楽して最短で狙った効果を出せるか」というところが焦点なので、

方法論やベースの理論に関して節操がないが、まあいいだろう。



追記

このブログを投下するときにもそうだったが、いちいち更新するたびにWiFi接続が切断される現象が

マジで鬱陶しくなってきた。Safariから書き込んでいるが、ブラウザとの相性が悪いのだろうか?




2025年6月19日木曜日

情報王ヤマザキ

別タイトルでカクヨムにも投稿しました。

ーー

ヤマザキ(仮名)くんというクラスメートがいた。
たしか小学校低学年の頃だったと思う。僕は仲は良くも悪くもなかった。

彼は誰より情報通で、いち早く新しいニュースを仕入れていた。
コロコロコミック、週刊少年ジャンプだとか少年ガンガン、サンデーなどが情報源だったのだと思う。

今でこそネットに誰もがアクセスできる時代で、公共性の高い情報に対しては実質的な格差はほとんどないといっていい。
当時はパソコン自体が珍しく、通信速度も遅くてネット上の情報はオフィシャルも含めて充実していなかった。

そんな時にあってヤマザキくんは何かと重宝されていた。
ヤンキー、陽キャ、カースト上位系、ぼっち系など分け隔てなく誰とでも同じような距離感をキープできる立ち位置。

やがて成長するに連れてどの層が覇権を握るかがハッキリとしてくる。
当然(ガチではなくファッション寄りの)ヤンキーが一番目立って、それと対になるように一軍系女子がカップリングする。

われわれ陰キャの間では暗黒時代と呼ばれるローティーン期だ(勝手にいっしょにカテゴライズするな)


だがヤマザキくんは身の振り方もわきまえていた。
するりと上位層に入り込み、いち早くガルフィのパーカーなどの
イケてるヤンキーファッションのアイテム情報源という彼らにとって欠かせない存在となった。

auで一番流行っている二つ折りのカメラ付きケータイに、大きすぎる派手なストラップ。
鮮やかなカラーのベルトと緩めたワイシャツをオーバーサイズ気味に着こなす。

正直大してイケてない顔面の彼が(失礼すぎ)
ダサすぎる田舎ファッションを身に纏ってどうしようというのか謎だった。

もちろん私のその感覚が間違っていた(歴史の常として、勝者こそが正義なのだ)。
ヤマザキくんの隣には学年で最もチャーミングなうるわしい彼女がいた。仮にJとしよう。
ファッション誌のモデルにもなったことのあるという、少女漫画にでも出てきそうな女子学生だ。

そのカップリングは最初から色々な人から祝福されていた。
おそらくヤマザキくんのことだから、周到な根回しが済んでおり、
ヤンキーのイケてる男子からも、Jの取り巻きの一軍女子からも支持を得てから交際を申し込んだのかもしれない。
けっきょく知れ渡っている範囲では、同学年で一番続いた安定したカップルだったらしい。

それだけ目立った女子生徒がいれば先輩、後輩や同学年の男子からそれなりに注目されてもいい気がする。
でもなぜか我々の間では、Jの名前や話題が上がることはほとんどなかった。
良くも悪くも彼女はひとりだけ別枠といった形で。

Jはど底辺の学校にしては優秀で、先生からも気に入られており、何かと人前に立つ機会が多かったようなイメージがある。
卒業アルバムを開いても探さないと見つけられないくらい存在感がない。
名簿と照らし合わせて見つけると「どうして目に入らなかったのだろう」というくらいの美人だが、
どうにも印象に残らないというべきか、よく描けてはいるが特徴のない風景画のようで現実味がないのだ。

情報通のヤマザキくんとうるわしき模範的なJ。
卒業したあと彼らがどうなったのか風の便りにも聞かない。

一度だけ、地元のお祭りの神輿担ぎをやっている派手なヤンキーファッションのヤマザキくんを見かけた。
彼はいまでもその持ち前の情報力を駆使して、社会的に確たるポジションを抜け目なく確保しているのかもしれない。

ーーー

こんなことを思い出しながら適当に書いてみた。
理由はYoutuberなる人たち、特に都市伝説界隈の演者たちを見るといっつもヤマザキ君のことを思い出すからだ。

情報の質と量をもって、優位性のある立ち位置へとつく。
これはもう古今東西にまたがる立派な処世術だ。

情報を持つ元にはまた別の角度からちがった情報が集まる。
そこには一種の駆け引きがあり、”情報を持つ人”というブランディングが成り立つ。

個人の意思や主張などはなくてもいい。
いや、むしろない方がいいのかもしれない。

どんな角度からも、極力幅広い人間に対してYesと答える。
有益性のある情報をまた新規に聞き出して共有して小出しにしていく感じ。

もしかしたらヤマザキくんはどこかで情報商材とか動画演者の裏方とかやってるのかもしれないな。
それか政財界とまではいかないまでも、地方の有力な市議会とか地主と蜜月な関係性を築いているのかもしれない。

そうやって当てどない妄想にも似た世界線を想像しているだけで、
無駄に2000字も書き連ねているのだから何かに活かせるのかもしれない(まったく処世術として使えないから)


2025年6月17日火曜日

年々悪化していくBlogger(引用)


上記より引用3

本日ちょっと自分のブログをチェックしたら、リンクが切れまくっている・・・ とくにgoogleドライブへのリンクは全滅のようだ。音関係を多く扱っているので、音サンプル全滅は痛い。 これが一時的な不具合なのか、大きな仕様変更なのか、Bloggerサービスの切り捨てなのかは不明だが、 どちらにしても、そろそろ今後の方針を決める時期に来ている。

2010年からBloggerを使っているが、徐々に使い勝手が悪くなっていくという状態が10年以上続いている。 良くなった点がひとつもないというのがすごい! じわじわといじめられている感じだ。 特に画像のアップと管理、音声のアップと管理が大きな問題となっていて、たまに大きな修正を強いられる。

googleからしたら、bloggerサービスは明らかに廃止したいサービスのひとつだろう。 他ブログサービスがほぼ壊滅状態であることからも、 もはや収益の役に立っていないお荷物サービスなのは明らか。 ユーザーが自ら離れてくれるのを願っているのだろう。 そうでなければ、こんな対応にはならないはず。

さらにgoogleの登録問題が出るようになって、この1年でgoogleに登録されなくなっている。 google検索も広告主優先なのか、まともに検索が出来なくなり、金儲け、詐欺などの、うざい広告しか引っかからない。 もはや検索エンジンという広告にしか見えないので、半年前からgoogle検索は一切使わなくなった。 ネットも既存メディアと同じ流れで、情報統制が著しくなった。 特にコロナ以降加速が止まらない。個人の情報発進力を弱めているのは明らか。闇しか感じない。 こういう時代は、テレビ、新聞の情報は一切信じない方が良い。 既存支配組織の暴走と終焉の時代の真っただ中。

ほかブログも似たような状況なので、残された道はサーバを借りるしかないのかな? 2000年代から始まった各種無料サービスの終焉が見えてきたようだ。 再び1990年代のような基本有料という時代に突入するような気がする。 そして検索エンジンが満足に機能しない数年間は、直接リンクという1990年代のネット流儀に戻ったほうがよさそうだ。 情報統制に逆らっているのはXだけとなってしまった。 希望としてイーロン・マスクが他サービスも買収してくれればよいのだが・・・ 特にYoutubeは健全化してもらいたい。 また近いうちにスターリンクしかネット接続できなくなるかもしれない。

サービスに合わせてコンテンツの作り直しとか面倒なので、自由度が高い古典的なhtmlベースの、いにしえのホームページでも作ろうかな。 PHPなど動的な仕掛けもなしにして、ローカル環境でも機能するぐらい原始的にしておくと、引っ越しなどの手間が激減するのでいいかも。 なるべく早くBloggerと決別して新しいホームページへ移行しようと思う。 現在1000近い記事があり、一部は残すつもりだけど、ほとんどは削除するか、引っ越しする予定。 数年後にはBloggerサービス廃止で自動消滅すると思われる。


これは本当にそうで、ブログは衰退している傾向が年々強まっている。
ほとんど突然といってもいいくらいサービス終了してしまうことすらあり、
国内の大手ブログサービスは軒並み閉鎖している印象。

個人ブログを長年愛読しているので、たまにブックマークからアクセスすると消えているということはよくある。


そして一番いま気になっているのは、Bloggerの編集画面を開くだけでなぜかWiFiが切断されることが激増することだ。
ひどいときは数分おき、1時間に10回以上のペースで切断と再接続が繰り替えされる。

一定のデータ容量を超えると一時制限されることはあるが、
通信技術について詳しくないが、たかがブログ記事を書いているだけで容量オーバーなんて聞いたことない。

また移動するのめんどくさ過ぎワロタ。
引用にもある通り、画像や動的な情報を絡めるとめちゃくちゃに面倒になる。
最初のFC2ブログで画像を多用していたのは全部ダメになったし(めんどうで)、
TwitterXも埋め込みが機能しなくなったりで面倒すぎてやめてしまった。

完全テキストベースのhtmlが最強なのかも。SEO対策?どうでもいい

レンタルサーバをつかった完全手打ちのマニュアルホームページが一番いいのかもしれないな。




姿勢、呼吸、意念

 正しい姿勢、正しい呼吸が正しいイメージを送り届けてくれる。

あとは何を考えていても、何をしていても大差ない。

できるだけ心を自由に開いておくようにしておく。


2025年6月16日月曜日

一瞬で惹きつける声を出す方法(Shigemitsu Hayashi)

 


これは今日から試せる画期的な方法だ。

・薬指と小指を折り曲げる
・好きなものをイメージする

キネシオロジー、古武術や気功法でも似たようなことをやったことがある。
意念と丹田が力点になるようなポーズをとることで、体が倒されなくなったり、軽い力で人を起き上がらせることができるっていうやつ。



これはそれを応用して発声にまで展開していて「なるほど」とおもった。
早速今日から使ってみたい。

2025年6月14日土曜日

2ヶ月目

筋肥大に向けて取り組み始めて2ヶ月目をちょうど跨いだくらい。

まずは食習慣や姿勢、フォームを見直して、次にちゃんと下地を整えて、継続していくという段階を踏んでいく。

それぞれもちろん最初の段階から取り組んで入るけれど、実際に目に見えて効果が出てくるのはもう少し後になってからだろう。


現段階では「鏡で見て、ようやく少し筋肥大してきたか?」という程度で、写真ではほぼわからない。
体重計でも2kgプラス程度なので、あとプラス2、3kgしてから実感が伴ってきそう。

正しい姿勢をキープするにも腹筋や背筋がつかなければダメだし、
正しく筋肉をつけるにも、正しい姿勢ができていないと無駄になるしで
最初がやっぱり一番きついのかもしれない。

一昨日くらいに小麦を食べて腹を下した以外は、あとは米と魚と鶏肉を中心としていて、
野菜をコンスタントにたくさん食べている。

菓子類も食べる気がほとんど起きなくなって、コンビニに立ち寄ったとしても
プロテインバーにするなど、気休め程度ながら体づくりにフォーカスした意識づくりを心がけている。


断捨離も同様で、

・まずは持っているものを把握する
・いらないものを取捨して、手放す
・本当に必要なものとぜひ欲しいものを見極める

これについてもだいたい3ヶ月くらいはかかり、何タームも回しながら尖らせて行った方がよさそう。

これをしないと「あれもこれも欲しい(と思わされていることに気づけない)」という負のループにハマりっぱなしになってしまう。

たまに思い出したかのように一気に捨てても、
そもそもなぜいらないものが身の回りに溢れてしまうのか根本解決に至らなくなる。

ものが多いかどうかは人それぞれの判断基準なので、
他人の生活風景(冷蔵庫と寝袋一つとiPhoneだけみたいな)は当てにしないほうがいい。

見栄えがいいシンプルな生活がよければ、ビジネスホテルにスーツケース一つで何日か泊まってみて、
それが合っていれば地方を転々とする職業に転職するのもありだと思う。

人生観とまではいわないまでも、生活観や価値観を洗い出して、
実際の行動ベースで変化を起こす。そしてできれば行動半径や人間関係ごと変化させる。
そうしなければ、何をどれだけ捨てても今まで通りだと思った。

それも当然で、今までと同じ部屋に住んで、同じ職場へ通って、同じようなものを食べて、
同じような服を着て、同じような人たちと過ごすということを繰り返すだけならば
本棚やCDや着古した服を処分したくらいでは生活は劇的に変わるはずもない。

自戒の意を込めて書いておく。


今の所、自身の生活スタイル自体はけっこう理想に近づいている。
食生活はもう少し、新鮮な魚からタンパク質と脂質とを得られればと思う。

なので立地を含めて、部屋の間取りなどを変えるように動いていく。
そこを最適化してから、ルーティンにやりたいことをいくつか盛り込んだり、資格や新規の知識を盛り込んでもいいかもしれない。
それに伴って、新しい人間関係が付随してくればいいかな、という程度。

・収入アップや転職のために資格を取る
・新しい友達をつくる
・そのほかなにかやりたいことをやる

という”気持ちの問題”みたいな解決法では、できたりできなかったりして再現性がなかった。

「そうせざるをえない」という状況を意識的に作ることで、結果自然と行動していたという
流れがもっとも楽で結果もすぐについてくる気がする。



どうでもいいけどこのブログを書いているときにめちゃくちゃWiFiが途切れる。
Youtubeを見ていてもそうなので、Google系のサービスに何度も上り下りを繰り返すと
すぐに繋ぎ直しになってしまうのかもしれない。

めちゃくちゃ面倒で仕方ないけど、今度からはオフラインで書いてからアップしようかな。










食管理

現在蓄精が2週間以上、20日未満という一番いいタイミングの一つ。
ものすごく久しぶりに小麦製品を食べた。
今川焼きというあんことかカスタードクリームが入っている焼き菓子。

しかし翌日に腹を下してしまった。
原因はいくつかあるとは思うけど、主な原因の一つにふだん食べずにいた食材を食べたことがあるのは間違いない。

食あたりの腹痛というより、単純に消化しきれない感じ。
やはり体質的に小麦を使った食品は受け付けないのかもしれない。


小麦断ちして、米粉と胚芽米食に切り替えてからというもの
便の質がかなり改善してしっかりとしたものになった。
尿のキレ具合も違ったものとなり、ひとまわり太くて最後まで勢いが強くなった。

もしかしたら小麦を多くとっていることでかなり栄養素の吸収が阻害されていて、
しかもそこにアルコールやカフェインが重なっていた時は腸内コンディション最悪だったのではないかと思うと恐ろしくなる。

やはり健康を真に考えるのであれば、自分で選んだ食材を自身で調理する以外は考えられない。


在宅勤務のメリットは通勤時間が0分なことだけではなく、
食事の量や質を全て自分でコントロールしやすいところにもある。

ついコンビニに立ち寄って買ってしまったり、外食をして腹が膨れてしまったりすることがない。

昼には仮眠を取ったり、休憩を挟んだりなど自己裁量が効くことも多い。

その分自己管理能力の高さが求められるかもしれないが、
それでもお釣りがくるくらいに食事や睡眠を重要視する人にとってはおすすめのやり方。


10年前は電車で1時間以上通い、カフェイン飲料を飲み、
昼には外食、飲み会の後には締めのラーメンなどほんとにめちゃくちゃだったな。

それら全ての習慣を捨て去ることで得られる恩恵は計り知れない。

2025年6月13日金曜日

JPOPはクソという記事のコメント欄がクソ面白い

 この記事 が個人的にめっちゃ好みだった。

本当は今年の上半期に見た面白かった映画3作品についてかなり熱を込めて書いていたのだが、
保存されてなくて全部吹っ飛んでしまい、書く気持ちがなくなったから他の記事。

公式ページに驚くほど情報の少ない、日本製のギターとか楽器について検索していたところ
たまたま行き当たったので開いてみたら面白かった。

ふだんは個人のブログ記事なんて、自分が書いたものくらいしか読まないけれど、
上記のブログはコメント欄がものすごく熱気を帯びていて羨ましく感じたくらい。

たいていのSNS のコメント欄って地獄。
特に救いようのないミュージックビデオのコメント欄で

「明日から入院で〜」とか「70のじじいだけど」とか「2025年でも聴いてる人!」とかに
大量のいいねがついているのどうにかなんねぇのかなって思う。

アーティストの作品発表の場なのに、他人の自己承認欲求だか不幸自慢だかを見せられると真顔になるよね。

あ、でもMVコメントでポエム発表してるのは一周回って好き。






話が逸れた。

上記ブログ記事の内容は、J-POPという業界というかジャンルというか、
芸能や教育、歴史を絡めてアートとしてどう見るかという論考を交えた
ブログ著者の個人的な意見書なのだがそれに同調、反論、読者やコメントした人同士でもやりあっていて、
「なんだか頼もしいな」なんて思ってしまった。

自分が歳を重ねてしまってきているからか、何だか好きなものを好きということと
嫌いなものは嫌いと恐れず言い切ってしまうことに対して熱くなれずにいる。

攻撃性のある情熱なのか、情熱を帯びた攻撃性なのかは紙一重ではあるものの、
少なくとも3年くらい前の自分の書いた記事はもう少しアグレッシブだった気もする。


今でもふつうに嫌いなもの、気に食わないやつ、ムカつく対象なんていくらでもあるが、
それについて考えることさえマジでもうどうでもよくなってきてしまった。

それと同時に、自分が何としてでも貫きたい信念や信条だとか、手放しで絶賛したいものだとかについても
どっちでもいいという気にさえなってきてしまった。

ずっと熱心に所有していた趣味のツールやアイテム、コレクションなどを売ってしまって
その気持ちもさらに拍車がかかったようにも思う。

秘めたる思いはそれなりに燃えてはいるものの、
あえてそれをどこかにぶつけたいとか昇華させたいとかも思わなくなった。

それはそれでいいじゃないか、とある意味で距離を取るのが巧妙になってきてしまった。


念の為記事のコメント欄に見られる大まかな流れに沿って意見を述べると、
小室ファミリー系は小っ恥ずかしくなるし、エグザイルとかジャニーズとかアイドルも耳汚しで、洋楽パクリバンドもどきはダサくて、
ボカロやアニソンはハイレベルで独特で、近年のYOASOBIや米津は実にナイスという流れについては概ね同意するかも。

どういう人たちが支持しているか、という大雑把な層が異なって
個人レベルまで突き詰めたらきっと皆いい人たちなんだろうけど、
「こういう音楽聴いてる人って、そっち系だよね」という議論は昔からあったし、今もあるし、これからもあると思う。

もっと抽象的に、音楽を業界的な文脈やルックス、歌詞と切り離して
コード展開やアレンジ、メロディや楽器隊ごとで捉えてその良し悪しを愉しむ
(という聞き方を誰にも求めるのはやや酷なものの)
自らリスナーレベルを上げることでひいては業界全体のレベルアップにつながっていくというのは本当にそうだな、と思う。

念の為いっておくと私は音楽的な教育も素養も皆無で、楽譜も読めないし楽典や理論もほとんど知らない。
しかも上の記事で出てきた日本のポピュラー音楽のミュージシャンの名前が半分もわからなかった。

教養も雑学もないから記事にコメントさえできない自分にがっかり。



たまたま1週間くらい前に日本版のビルボードチャートの月間ランキングを遡って全てチェックしていた。

たしかに明確に2010年代の前半は特に変だった。
中国バブルと震災など経済的な背景もありつつ、握手券商法やフェス文化が台頭し、ガラケーの着うたとiPodという聞き方から、
スマホとアプリというインスタントな聴き方に移行してきたタイミングだった。

アメリカでのポピュラー音楽はこの時期が隆盛を極めたといってもいいくらい群雄割拠だったけど、
ニッポンでは同じアイドルの同タイトルが席巻してしまい、音楽的な停滞感は否めないと正直思った。



それでまたタイムリーなことに




今日、リカレントルールなるものの導入についての解説動画をたまたまフル尺で視聴していた。

「サブスクで聴かれる曲はもっと聴かれる、というアルゴリズムになっているせいで
公平性を欠いている現状を鑑みて、レギュレーションを少し改訂するよ」って話だった。


こうやってみてみると、大衆音楽は時代という文脈にしっかりと根付いていて不可分なことのように思える。

何が正解とか良し悪しだとかはもはやなくて、いろんな人のいろんな思惑や感情がごっちゃになっているので
客観的に見ればJPOPなるものもそうでないものも、それなりに面白いんじゃない?とは思う。

逆にクラシックとかピュアオーディオが至上なのかというと、それはそれで結構な界隈なので迂闊に手を出すと大火傷をしそうだ。



チャートや売上や再生数などの客観的な指標に頼る。
自らアングラなレコード店でディグって悦に入る。
あるいはひたすらにピュアで至上な絶対的価値を希求する。
アカデミックで論理的に要素分解して、分析的に理解する。

ひとことで音楽っていっても色々な聞き方があって奥が深いなとおもう。
しかもプレイヤー視点ではなく、あくまでリスナーに限ってもそうなのだから尚更奥深い。

いちおう贔屓のミュージシャンは何十組かいる。
しかも好きな音楽家:平沢進って書いてはいるので、裏を返せば嫌いな音楽は相対的にかなりの数に登るのかもしれない。

平沢さんが音楽のジャンルとか好き嫌いの議論に上がっているのみたことないけど。


いっそそういう論争に入ってこない、独自のことをやっている人だけを細く長く応援すれば
「自分の好きな人を攻撃されて傷ついた」みたいな的外れなコメントする人にはならないかもしれないよな。


そんなに嫌いな音楽って気になったことないな。
(そもそもそんなに他人に興味がないのか??!)

ガキの頃は湘南乃嵐とかGReeeNとかを大々的に嫌っていた時期もあったけど、
音楽的に嫌いというよりはそれらを好んで聴いている層が嫌いだっただけだな。
でも音楽そのものにヘイトを覚えたことってそんなにないな。

ブランキージェットシティは本当に格好いいと思っているけど、知ったときには解散していた。
だから架空の再結成ライブレポートを書いたこともあった。


何かを徹底的に嫌いになれるほど、自分はその反対に位置するものが好きなんだと言い切れるような生き方って憧れちまうよな。

年々こだわりが減っていく自分に対して、久々にいい刺激をもらったコメント欄だった。
そしてやっぱ個人ブログっていいな。