2025年5月30日金曜日

経過観察

20年弱、禁欲から蓄精へと切り替えてもなお射精の反動にビビりながら生きてきた。
今のコンディショニングは現在までのところもっとも低反動の状態(俺比)。

通常(それがSEXであっても)射精して1日、2日はかなりボーッとしてしまう。
髪質、肌質、口の中や目など粘膜や皮脂について一番顕著にダメージ感が現れていた。

これは人の体質によるところが大きい。射精前後でもあまり変わらない人もいると思う。
その場合は蓄精することだけで得られる恩恵も、それほど大きくないと思われる。

たまに「1ヶ月禁欲したけど、あまり変化がないよ。よって効果なし」という人がいるが、
それはその人にとって真実なのだろう。


今回のコンディションは例えるとするなら夢精初日レベル。
これは本RST後3日目以降7日以内に相当する。

”やっちまった感”や振り出しに戻ってしまった感覚が少なく、
普通に筋トレや200kmほど運転したりと、活動ができてしまっている。


今までだったらどんなに日数を積み重ねても(あるいは積み重ねるほど)反動が大きく、
しばらく何にも手がつかない、もしくは一瞬ハイになるけどあとで落ち込むことが多かった。

以前まで(とはいっても半年とかそのレベルの直近)は射精後はすごくお腹が空いていた。
なのでよく”リカバリー”と称してタンパク質やウィダーインゼリー、精のつく食事(といいつつジャンクが多い)を食べていた。

その時は見過ごしていたのが、たいていは消化不良でお腹を下してしまったり、
食欲が食欲を呼び、ダラダラと過ごしてしまうことが多かった。


今回はその異様な空腹感がなかった。まずここが大きい。
ジャンクフードは食べた。チョコレートとポテトチップスを少し。
夕食は魚のムニエルと冷凍ライスを解凍してつくった。

その後は排便は通常通りでお腹を下していない。
皮脂や粘膜の変化は前述のとおり、夢精初日くらいの感覚。

断食は18時間ほど。
ケトン代謝に切り替わるのは72時間前後、2−3日固形物断食をしてからだが今回はそこまでしない。


日数(4ヶ月弱)やタイミング(満月新月と夜間を避ける)による要素もあるが、
射精後も呼吸を浅くすることを防ぐため、姿勢をしっかりと伸ばした。

背中と腰に力を入れて、深い呼吸を心がけた。
あとは通常通り小麦製品は控えて、食事はふつうにとって眠った。



次回、多分3ターム後くらいに精液検査をしてみて
質と量とともに変化がなければ、今の食生活および習慣で問題ないということだ。

運動率は上がって、精液量は4-6ml程度だが、精子数は増加してトータル10億超になるようにコンディションを整えていく。

精液を構成する要素のアミノ酸。

米と魚菜食を中心とした場合:
小麦、肉系を中心とした場合:

トータルのアミノ酸スコアが変わって増減する可能性がある。
精子と精液が化学的に要素分解できたとしても、要素を集めればそれがそのまま変換されて
生命の源になるとまでは考えていない。

どう考えても不必要な量の精子が大量に運動し、
それが生命活動や創造性の源になっているという神秘的なアイデアが興味を掻き立てる。

とりあえず回復の立ち上がり(意味深)が早く安定しているとわかれば、
今後の取り組み方もいろいろと変わってくる。引き続き経過観察したい。


なによりあの虚脱感や不足感がなく、ゼロからDAY1で全て必要なものは揃っていると思える感覚が心強い。

RST後1週間の期間で感じる1日と、90日、180日と超えたあとの惰性の1日とでは重さが異なって感じたが、今の段階では感覚はほぼ変わらない。

3ヶ月経っても朝立ちと性欲がしっかりとあり、DAY1でも90日以降の感覚とほぼ同じ。

普通に趣味の読書に時間を費やしたい。




今こそ断食

最近は米、米粉をメインに食している。
パンや麺類は一切なし、外食も極力控えている(週に1、2食程度)。
自分で作って食べた方がはるかに安く美味しく仕上がるのでおすすめ。

我らが(?)公式必携食の玄米ならびに米について何やらうるさい。
金額、古い米を放流など世間を賑わせているようだ。

行きつけの店と同じように、買い付けの米農家を見つけておくのは必須だが、
それとは別にそもそもそんなに食べる必要がないということに気づく良いきっかけになる。


私はいま体質改善(セリアック、グルテン不耐性、リーキーガット症候群など)のために
意図して積極的にコメを摂取して、さらに消化酵素を増やして筋肉で増量するために高タンパクな食事を心がけてはいる。

「日本人は米」と一括りにされがちだが、一旦冷静に考えた方がいいとおもう。

https://www.kubota.co.jp/kubotatanbo/history/formation/generation_01.html

上記の解説によると石器時代から自然の稲作が始まり、縄文時代に大陸から輸入され、
弥生時代に全国規模に広がったとされているらしい。

それと同時に水田を管理するための定住、富の象徴である米のストックなど
現在の中央集権的な支配構造と同じ図式が定着していって、今に至る。



食べやすく栄養も安定して摂取ができ、しかも美味しい主食であるお米。
農家の方々には頭が上がらない思いでいつもいただいている。

しかし対象が何であれ、強く依存することで自分の力より
外部の環境に左右されるという無意識の刷り込みが続いてしまう。

10日間くらい水や漬物、りんごをひとかけら食べるだけで冬でも普通に生活できた。
1日3食どころか炭水化物は生きるのに、少なくとも毎日欠かさず食べる必要がないという結論。

食べなくては力が出ない、生きられないという思い込みが自分の立場を意図せず弱めてしまう。

その気になれば雑草でも茹でで食べて、山菜の知識も増えるし、生き延びられるしいいなとすら思う。

空腹感というのは胃腸からというより脳の神経伝達物質が主導で引き起こされている、
一種のパヴロフ反射的な洗脳に近いと感じている。

射精したら倦怠感と虚脱感を感じて、ぼーっとして力が出ないというのも
学習された条件付けという側面もあると思う。



私個人としては、射精のトリガーも空腹という渇望感もまだ完全に脱することができたわけではない。
完全に脱するときは肉体的な死を意味するだろうけど。

それでも部分的に断食によって空腹感の向こう側を体感した。
姿勢の改善で呼吸を最適化、ならびに食生活の変化で内臓の炎症を減らすことにより、射精後の倦怠感があきらかに弱化するにも今まさに体感している。

なぜ10代の頃は1日に8回も10回も射精することができるのか、というのは単に成長ホルモンだけではないと思う。
若さという要素はどれだけ体内のシステムが酸化や炎症でロスしていないか、という視点で見ると自ずと取るべき手段は見えてくる。


そういえば去年の初めくらいに
「射精後のだるさと断食二日目の倦怠感をぶつけたら相殺されるか」
という実験をかました。

結果としては、
(消化器官に負荷がかからず余剰エネルギーを不足した精液の産生に回すと言う意味において)
たしかに倦怠感は逓減したという実感を得ている。たぶん科学的なエビデンスはどこにもないけど。

条件付けをしっかり確認しながら外していこうと思う。


知識と頭で理解していても、実際に生殖や内分泌、自律神経系や筋肉、胃腸などを通じて実感が伴わないと真に学習できない。

逆にどんなに常識から外れていても、体感すれば自分だけの経験値としてストックできてしまう。
それを繰り返すことで、隠しステータスがアンロックされていく。

これだから自己改善はやめらんねぇ。最高におもろい趣味と実益なので一生やるとおもう。

価格高騰も古米もどうでもいいから断食しよう。


2025年5月29日木曜日

mRST

mRSTしました(メッセンジャーRNAみたいにいうな)。
俗に言うmassageでReSeTの略称ですね。

馴染みのお店でナイスなBHS(Back Hand Shakeの略です)をキメてもらいました。
マッサージは素人でもそっちは玄人並み。
長年の経験とリサーチ力のおかげなのか、、優良撫子店を見極めるスキルはついてしまった。

週末かつ、次回の仕事のアサインまで約2週間空くこと、
季節もギリギリ春といえる範囲で(『タオ性科学』によれば)1週間に1回までの射精RSTを許容できる数すくないタイミングを狙い定めた。


前回の満月は数日連日、カーテンを開けて月光を浴びながら寝た。
太陽光を吸収するエクササイズや健康法はあるが、同じくらい月光浴も大切かもしれないと最近は夜の散歩などを意識的に行っている。

いずれにしても満月と新月の日を避けつつ、以前の記事で書いた約90日サイクルの1ターム区切りを意識して選んで放精するように心がけている。


パワーロックや三指法で抑えることもできたが、今回は完全にRST。
射精しないように普段から意識しているから、逆に出そうとすると難しい。
特に射精時に気持ちよさはない。

特に理想的な場面というわけではないが、必要十分。
会陰部を押し出すようにマッサージしてもらい、放精した。
検査キットがあれば精液検査ができたかもしれないが、まだ前回から1タームちょっとしか経過してないので見送り。

前回からは約120日空いて、2025年度でいうと2ターム目に突入していた。
咀嚼回数を増加させて2ターム以上経過し、小麦抜きは1ヶ月以上、
カリステニクスは3週目というタイミングだった。

思った通り(?)会陰部の鈍痛、尿道の炎症感は今のところ感じられない。
小麦中心とも言える食生活をしていたとき、アルコールやカフェイン飲料で会陰部と足裏のツボから
気が流出する感覚がずっとあったのだが、最近は全く感じなかった。

「もしかしたら射精時の気の流出もある程度抑制できるかもしれない」
という仮説の塗り重ねみたいな説は、もしかしたら有用かもしれない。


体幹や肛門括約筋を引き締めて気の漏洩を防ぐ。
念の為、逆立ちと気功法で背骨に沿って氷山から水が流れてるイメージと呼吸を行い、
首の後ろ、耳の下辺りを擦って血流を促進しておいた。
背骨の詰まり具合は今回はほとんど感じなかった。

ネットにある文献によっては精液が髄液を上昇して脳まで至る
それを周天法というように描写しているところもあるが、当ブログとしては


という視点を採用している。

性エネルギーは精液(精子量x運動率)のクオリティによって活性度合いが変わると考えていて、
おおまかにいえば90日くらいで1タームで新陳代謝されていると仮定している。


体の細胞は部分によって新陳代謝のスピードは異なるが、随時新しいものが作られているとはいえ、
精子に関しては70日から90日を区切りにいったん現状と照らし合わせて確認するようにしている。
濁精と呼ばれることもある。

SEXやオナニーで頻繁に射精しているようであれば気付けないが、
長期蓄精が通常運転になっているとどうしても
”過去の古い振動数”を引きずっていると感じることがある(あるよね?)

日頃無意識に、保持している性エネルギーをベースに生活しているからそこに”詰まり”を感じる。

例えば、ストイック太郎さんは基盤理論では”錆び”と表現されていて、それと似た感覚かもしれない。
なんとなく惰性で進んでいるけど手詰まりな感覚。

古くストックされた性エネルギーの残滓が、新しい習慣で入れ替わったボディ(特に小腸を中心とした下腹部・内側)と波長が合わなくなってくる。


恒常的に精液の無駄打ちをせず蓄精していると、精嚢から会陰部にかけて無意識にプレッシャーがかかり続ける。

化学的に微々たるものなので、頻繁に射精している群と100日程度チャージしている群のキンタマの重さを比較しても
ミクロンくらいしか差がないかもしれない。

常に肛門括約筋や会陰部に微妙に圧力がかかった状態が続いていると感じる。
下腹部の筋肉も引き締まっていて、常に精液を保全しておこうと筋肉が無意識に総動員されている。

その緊張感を一旦リリースするという目的でもたまにRSTするのはありかもしれない。


新しい習慣が体の組成を入れ替えていくと、古い振動数を持つ精子は排出する力学が働く。

化学的にいえば先入先出法的に、古いものが常に使われていて、新しい精子がスタンバイしているといえるのかもしれない。

精子の運動をベースにした性エネルギーは単純に循環するわけではなく、
場合によっては数年前にストックしたり、交接した相手の陽気などと影響し合っていると感じることすらある。

誰か詳細に対照実験で、精子を一定期間保持した場合の適切な還精補脳、排出のサイクルを
季節とか月のサイクルを含めてデータをとってくれないかな。

今後24時間ほとんどの人口をコネクトしたデータベースが構築されれば、
自分の中の最大値を更新する最適なタイミングと性活習慣がもっと簡単に組めるかもしれない。

いくつかぼんやりした仮説があるけれど、誰にでも適応できるようなものではないし、
自分の中でもまだまだデータが不十分だとおもう。




習慣、環境、食事などを元に形作られた性エネルギーを最大限活性化させて、
自己にフィードバックしながら新陳代謝していく。

自分にとって適切なタイミングと距離の取り方を見定めて、
小さなサイクルと中期のターム、大きなインターバルで最適な期間の作り方を編み出したい。


とりあえず今ターム(6−8月)は通常通りに進める予定。
7、8年前は行き当たりばったりすぎてメチャクチャだった。
ここ4、5年はだいたい春秋と冬の出口くらいにRSTしていてほとんど反動なしで来ていた気がする。

といいつつ3年くらい前の記録を見返したら6回くらい放精RSTしていたので、
90日で1セットとする考えからすると許容範囲を超えていた。
なので何事も予定通りに行くわけでもなく、あまり当てにならないが・・・

今期2タームは特に大きな環境の変更とフィジカルの強化を中心に取り組んでいく。





正しい姿勢

この2年ほどはけっこうやっていることがメチャクチャで、支離滅裂だったがそれなりに発見があった。
停滞は後退じゃなくてむしろ開拓に近い感覚。
本当は進歩とか躍進とか言いたいところだけど、自分なりのペースで歩みを進められればベストかなと思う。


正しい姿勢でしっかりと呼吸をすることが最も大切に思えてきた。
正しいというのは理に適っているということで、常識や権威が決めた移ろいやすい”正しさ”とはことなる。

例えばまっすぐに立つというのは地球に対して重力が働いている以上、
誰もが自分の中で意識せずとも持っている感覚で、その人ごとに正解が確実に存在する。

そのポイントを見定めてしゃんと立つことで、自ずとエネルギーラインも整うようになってくる。

逆に間違った姿勢でがむしゃらに頑張ったとしても、効果はほとんどないかマイナスのことすらあると身をもって実感できた。

自分と周囲の環境(地球の地面や重力、他人や物質など)と最適な距離と正しい姿勢をとりさえすれば
それで十分なんだと思えるようになってきた。

体を通して実感していることなので、自ずとどういう取り組みをすればいいとか何をどのように飲み食いすればいいだとかはわかってくるものなんだろうな。


まだ雑音が周りにあるし、毒素や残留物質は心身に沈澱しているだろう。
一種の夾雑物も完全に排除することはできない。

正しい姿勢でゆっくりと呼吸することで常に100%自分でありたい。



笑い飛ばす

 価値あるものを無価値なものとして扱う という記事が面白かった。

(笑)をつけることで自分が重要だと思って勝手にランクづけしているものをことごとくニュートラルに戻していくというものだ。

無意識に思い込んでいるものや条件付けられていることなどたくさんあるはずなので、
折に触れて実践していきたいなと思う。

対象を重要度が高いと思い込んでいると手に入れにくかったり、過度にありがたがったり依存したり、自分自身のエゴを肥大することにつながる。

価値があるものだからありがたいのではなく、自分自身が意味づけして価値を見出しているという視点の転換になるというわけですね。

物理的に何かが変わるわけではないかもしれないけれど、視点の移動で物事の捉え方が180度変わるような取り組みはとてもいいなとおもう。


だいぶ部屋の整理と処分が進んできた。
3回に分けてゴミ袋を出した。その中には喫煙グッズも入っている。

それなりに思い入れのあるパイプや手巻きタバコ。
普段は存在も忘れているくらい、タバコのことは意識していなかった。
持っているだけで少し嵩張るし、喫煙という行為のためだけに道具が色々と必要なのは邪魔だなとおもった。

電子タバコはやったことないけど、ただでさえ充電するものばかり溢れているのに
さらにそれを1アイテム増やすなんてめんどくさすぎてかなわん。


「持っているものを減らす」という意識ではなく、できるだけ行動を最適化する=余計な行動は減らす
という方向性で捨てるものを選んで行った。

たとえば「文字や簡単な図を描く」という行動を最適化するために、
ボールペンは1本のみ(公式な文書用には必要。複数の種類があると補充するインクが増える)、シャーペンは処分(替え芯や故障のことを考えなくてはいけない)という整理を行った。

書くために所有している主なアイテムは鉛筆が10本くらい、消しゴム3つ、鉛筆削りひとつ。
見た目上はけっこう多いからミニマルではないけれど、
替え芯やインクなどといった面倒なことは金輪際やらないでいいと思うと清々しい。

鉛筆をストックしたり、買い足したり、削ったりする手間は残るが
買い足す必要があるのはインクも芯も一緒だし、削って書くたびに鉛筆が短くなると言う
アナログな感覚はむしろ心地良さすらある。

シャーペンから鉛筆に持ち替えるだけで、アイデアの出方や文字に対する意識が変わる(と思う)のでけっこうおすすめ。

”行動を最適化する”ということを実践するために、
断捨離、整理整頓、重要性を落として中立に戻すということをやっていけばいいと思う。







2025年5月27日火曜日

イメージ素材

タイトルありきで「料理研究家の中出し日記」という記事を書き始めたけどくだらなすぎてやめた。
そういうのは小説サイトに適当に投下するのが相応しい。

あくまで視覚的なイメージがほとんどだが、検索すれば色々なインテリアや建築、ファッションなどなど。
想像力を刺激する素材がほぼ無限にほぼ無料で手に入る素晴らしい世の中。

勝手な想像だけど、たぶん漫画家とか小説家などデスクからあまり動けない職種の人は取材や雑誌からだけでなく
画像検索を参考にしている人が大多数なのではないだろうか。


ものを持たないということが精神的な豊かさに直結するわけではないこと。
むしろ絶対的な物理的な広さ、収納力が精神的なゆとりにつながっていて、
その裏付けとして経済的豊かさがあるだけだと言うような投稿をした。

個人的な趣味嗜好として、どのようなインテリアや生活空間を理想としているかを書きたい。
文字で書くとわかりづらいのでインスタグラムで保存しておいた画像をスクショ。










ぜんぜんミニマリストぽくない。
むしろモノと本に溢れており、空間的にもどちらかといえば手狭だが
不思議と居心地がよさそうという印象があるかもしれない。
そういう人とは友達になれそう。


ハニトラをわざわざ心配して、最高のシチュエーションでどう精を漏らさず対処するか、
というような投稿もしたが、何もエロティックな妄想だけにまみれているわけではない。

男女問わず、人の服装を見るのは結構好きでメモがてら保存してある。
どちらかといえばトラッドな装いが好きなので系統が偏っている。
ついでにスクショして放流。
















ちょうどタイムリーな動画が上がっていた。

可愛い女の子が年下の女の子に服を選んでいるのを見られるなんて眼福の極み。
見た目が良いって単純にすごいサブリミナルというか空間支配力だよな。
都内だともしかしたら場所を選ぶかもしれないけど、ラゾーナ川崎程度(失礼すぎ)なら
仮にまったくの無名でも歩いているだけで、あっという間に他人の意識と視線をジャックできるだろう。

これだけだとおじさんがにんまりするだけの気持ち悪い図だが、
男同士で洋服を選び合っているコンテンツもけっこう好きで見ているし、
絶対買わないファッション誌とかも暇なとき立ち読みしてしまう。

人には他人の服をコーディネートしてみたいという着せ替え人形欲求みたいなものがあるのかもしれない。

F山雅治さんも「50代になってから服の力を借りるようになった」的な発言をしていた気がする。
私の場合はもう30代になってから完全にそれを実感している。
服に着られない程度に着ないと空間に負けてしまう。

情報量のうち視覚の印象は圧倒的なのと「自分の好きな良い服を着ている」という自意識が
積極性や自信を後押ししてくれるので、おっさんこそ良い服を着るべきなのかもしれない。


人によって様々な目標設定、イメージングの方法があると思うが
私の場合はまず空間のデザインから入る。

空間のデザインとかいうと建築とか都市構想っぽいがまったくの門外漢。
まずは5W1HのWhereを想定する次にその映像に動きを持たせて大まかに
朝昼晩のWhenという光の入り方みたいなものを想像する。
基本的にはこれで終わり。

あとはそれに合うものがやってくる、ということを繰り返していると思う。

もっと細かく設定して実践できる人もいると思う。
例えば願望実現系の恋愛や復縁でよく見られる方法で、

・理想の(元)彼と
・記念日に
・赤坂のレストランでディナーを食べて
・お台場の夜景の見えるホテルに泊まる
・というお誘いの連絡が来る


と言うところまで細かく4W1Hくらい突き詰めて設定して、ディティールを言語化してアファメーションにして叶えると言う人もいると思う。
私にはとても面倒で無理だし、そんなにピンポイントで何もかも設定することができない。

ざっくりイメージ素材を拾って、漠然と「こういう感じっていいなぁ」という実例を見聞きして拾ったあとに
だいたいの場所と時間という次元を想像して放っておく。

絵を描く人ならわかるかもしれない例えでいうと、デッサンの際に補助線を引くようなイメージ。

個人的には”誰”をピンポイントで設定するとめちゃくちゃ叶いづらくなると感じる。
動画や写真などを元に「こういう体型の人と懇ろな関係になる」というイメージングも過去には何度かやったが、どうも片手落ちな結果になる気がする。

あと”How”にこだわりすぎると別のルートが見えづらくなるので、
できるだけ排除するように逆にこだわっている。

5W1Hの中のWhyに相当する理由づけ、特にもっともらしい要因とか今の自分の文脈に対する意味づけみたいなものをしがち。
最近ではこれさえ不要だと思っている。

「前職では人事部だったので、営業をサポートする管理課で働きたいです」的な相手に納得してもらうときに説明するロジックは
イメージや目標には最も不要なものだとおもった。

なぜなら時系列的には説明は常に後付けで、行動が先で結果に対する解釈、それを説明という流れなので、
先に説明するための理由を探していたらぜったいにぴったり来るものは見つからないから。

就活や転職で自己分析みたいなものをやらせて、それに合致する人材を面接する流れがあるが
それは本来の意味では適材適所にならないと考えている。
それぞれの自我が自分の都合のいい部分を切り貼りしてストーリーを語っているだけなので、
むしろ合わない部分が出てきて当然かもしれない。


そんな感じであまり参考にならないが、イメージ素材の一部を放り投げてみた。

実際に運用するときはスクラップのような形で(たまに更新しつつ)Wordに貼り付けていたり、
スクリーンセーバーのフォトフォルダに現状とイメージ素材を織り交ぜていたりする。




嬉しい・楽しい・気持ちいい・清々しい・誇らしい

最近は壁を使った倒立で、角度を持たせながら倒立腕立て伏せの練習をしている。
3ヶ月以内には完全な倒立腕立てをセットでできるように、目標へ向けてできるだけ前倒しにしている。

筋肉の強度だけではなく、背中の柔軟性も必要なので立った状態からのブリッジも日々練習する。
元から柔軟性は高い方だが、年齢とともに固くなっているので毎日ほぐしておく。


イメージング、というほどではないが「ハニートラップにかけられたらどうしよう」という妄想を
わりと真剣に考えて実践的な想像をしている。

露骨に金銭などの対価の代償としていやいやSEXした人と
なんらかの出来事で関係が拗れたりしたら後から思いもよらないしっぺ返しが来るのはある程度当然といえる。

けっきょくのところ本人の中で後ろめたさや後悔、罪悪感が1ミリもないことが条件になるのではないかと思う。


性行為そのものを悪とみなしたり、金銭を得るための道具としたり、強者が弱者を圧倒するための手段としたりするのは
そういった側面があるにしても偏見にすぎないと思う。

基本的には楽しくて気持ちがいいもので、男女双方が文字通りひとつになって得をする数少ないできごとだ。


別に体を重ね合わせる必要はないだろうし、デートや食事でお互い気分よく過ごすのも
セックス的な要素が含まれるセッションだとおもう。

そういったことを踏まえながら

「もし今仮に、めちゃくちゃタイプの女性が最高のシチュエーションで目の前で、受け入れ準備万全の体勢だとしたらどうすればいいだろう」

というセッティングで脳内シミュレーションを繰り返している。

(自称)なろう系ラノベの主人公並にモテて当然の設定なので、細かいプロセスは省略する。

妄想はいくら何をしても自由だが、そのまま実践に移すのはNGだ。
たんなる勘違い男か最悪、犯罪者になるのでその点は注意してほしい(誰も真似しないって)。



当然、結論としては無射精SEXだ。
どんなに最大限に理想的なセッション(意味深)ができても、射精で終わると罪悪感を0%にできない。

相手が疲れない程度に長く深くゆっくりと繋がりを保ち、絶頂の波からエネルギーの交流を最大化させていく。

少なくないセッション相手の記憶からもっとも最高のシチュエーションを組み合わせて記憶を合成していく。

その時感情を混ぜるのが大切。一目惚れテクニックで後頭葉に浮かべる感情とまったく同じ。

「嬉しい、楽しい、気持ちいい、清々しい、誇らしい」

という全ての要素を”好みの相手と最高のシチュエーションで無射精交接する”という設定は満たしてくれる。


実現した光景から逆算して、現在何を行うかという姿勢に意味がある。

「宝くじ当たったらいいなぁ」など漠然と未達成の思考ではなくて
「金品を購入したあと、余剰金をどこに投資しよう。車が増えるから駐車場を確保しなくてはいけないし、保険はどこにしようかなちょっと見積もりとるか」
など具体的に達成する前提で行動レベルに落とし込む必要がある。

よくLOAで成り切るとか叶った前提で思考するといわれるが、
多くの人が多かれ少なかれ無意識に行っていることだ。
たいていの場合は「よくてこれくらいだろう」とか「どうせできないから」と予防線を張ったり、あたまの中で諦めてしまう。

それをやめて、値を最大値に振り切ってセットすることから始める。


具体的な行動は極めてふつうだ。
丁寧に爪を切ったり、歯を磨いたり、必要なら髪の毛や体毛、洋服などの清潔感を保つということだ。
常識的な内容の行動の中に、求める最高のものは眠っている。

一番キーになるのは射精欲求をいかに随意筋に落とし込んでコントロールするかというところだ。

射精のときの光景を思い浮かべる。

・姿勢は前屈み気味で、
・呼吸は荒くなり、
・PC筋肉が精液を外に送り出そうと躍動する

この逆を行うようにイメージの中で、前述の感情を伴いながらトレーニングする。

・背筋に力を込めて、骨盤に力を入れて腹圧をかける
・舌は上顎につけたまま、目を閉じて鼻からゆったり呼吸する
・お尻の穴を丹田に引き込むように絞り上げて、うまく緊張を散らしていく

イメージが筋肉の動きを制御できるくらい熟達できればいいが、
パワーロック法や三指法といった精液の流出を抑える方法と同じで
特に最初は純粋に脳筋パワープレイ的な要素が強いことは否めない。

特に会陰部というか性器周りは大切だと思う。
ケツ穴をギュギュっと引き締める”肛門引き締め”PC筋トレも効果的だが、私が行うのは以下のトレーニングだ。

(うまく表現するのが難しいが)
臍下丹田あたりの内側に腹圧をかけながら、残ったうん◯こを絞り出すような筋肉の使い方が
勃起を保ったまま射精をせずに、体の中心部のエネルギーラインを大きく開く動きに
もっとも近い気がしている。

逆立ちしても、レッグレイズやプッシュアップをしても、”うんこ◯絞り出し筋”を意識することで
自ずと丹田の感覚が養われて、腸の蠕動運動や体幹のトレーニングにも一役買っていると思う。


自分の体をよく観察してみるとわかったが、
好みの相手やシチュエーション、射精してしまうときなどは会陰部の筋肉が弛緩していたり
呼吸や脈拍が正常ではなくなってコントロール圏を脱してしまっている。

逆に大して気分が乗らない時に、
「どうしても今すぐシてほしい」とか「入れなくてもいいから射精してほしい」などとせがまれていると、
頭は冷静になってちんこ◯は萎えて、さっさと身支度をして帰りたくなる。
日常的にどうでもいい男に言い寄られたり、欲情されたり女性は本当に大変だなと同情する。

いつでもどこでも誰とでも、射精せずに相手をイカすことができてこそ一人前の男だと自覚して、
日々研鑽していきたいところだ。


過去に無射精交接でうまくエネルギー交流が行えたときは、
緊張と弛緩のバランスがとてもうまくとれていた。

そのシチュエーションを何度も再現しながら、
理想的なイメージと感情、姿勢と筋肉の動きと呼吸の深さを織り交ぜて
積極的なハニートラップ対策をしていきたい。



2025年5月26日月曜日

MAKUAKE

 


引き続き処分

ひきつづき断捨離。
大きめのゴミ袋(適当)3つ分くらいにはなった。

人それぞれ適した分類方法はある。
すぐ使うもの、必要な時使うもの、使わないけど保存しておくものなど
だいたい大まかに3カテゴリに分けてそのどこにも該当しないものを機械的に処分するということができそうだ。


不思議なことに、CDや本など今後も聴いたり読んだりするだろうなと思うもの数が変わらない。
どれだけ新しいものがあったとしても、少し入れ替わる程度で絶対数はほとんど動かないように思う。

自分のルーツとも言えるものをできるだけ手放そうとするけれど、
ある程度までは削ることはできても一気に全てを捨て去ることができない。
売却や処分しようと思えば数日で片付けられるくらいの量なのに不思議だ。

今回の大きな進歩は”ハウツー”的な内容の本を大幅に捨てられたことだ。
語学の勉強系や使っていない思想、学問、メソッド系などを一気に捨てた。
普段使わないものは今後も使うことはないだろう。

「これは古典、定番だから」というような客観的な指標で触れもしないものをキープしなくていいと割り切って捨てた。
よほどジャケットが気に入っている場合を除けばCDは嵩張るので圧縮してケースは捨てた。


今の所、本が15冊、CDが20枚くらい捨てることができた。
これでも買うペースと比べると(近年ではだいぶ落ちたとはいえ)じわじわと増えていってしまう。

RPGの”持ち物”みたいに、家に持っておけるだけの絶対量を決めておいた方がいいかもしれない。


同時進行でスプレッドシートに完全ではないものの、持ち物リスト・処分したものリストを作ってあるので更新する。

これは購入年月と価格、処分(売却した場合は価格)と簡単な備考欄を設けたもので、
最初に引っ越しをしてから地味にずっと運用し続けている。

アマゾンや楽天などのWish Listも定期的に見直しつつ、
同様にスプレッドシートにほしい物リストと優先順位(購入検討でやめたものと買ったものは別シートへ移動)などを記載。

これである程度の目標の見直しと、重複した買い物を避けることができる。
一旦リストに置いて頭を冷やすことで衝動買いを極力避けることもできる。



2025年5月25日日曜日

モテて当然

モテる=不特定多数の異性から好意を向けられる状態

主に男性がただ自慰行為で射精をしない期間を数週間過ごしただけで
劇的に異性から好意を持たれるはずはないと思いきや
そのような体験談や報告は数えきれないほどある。

筋トレテストステロン理論やファッションや髪型、メイクで垢抜け、王道の金持ち戦略や知名度など
あげればキリがないが歴史上、オスはメスの気を惹くために涙ぐましい努力を重ねてきた。


結論として、モテるという自己評価があるかどうかに尽きる。

同性から見てもあきらかにモテてる人が「全然モテないよ」と発言するのはよくある。
実際に思っていることと言動が一致しているかどうかはわからないが、
少なくない他者からの評価が”モテ”でも自己評価で”非モテ”になることが可能だ。

前述の言動不一致でも構わない、という原則を踏まえて考えれば簡単な話で逆に
「俺(わたし)は異性からモテる」と定義してしまえばOK。

人と話すときは「俺モテないからなぁ〜」と話しつつ

(実際のところモテてしょうがないけど、自分で口に出すと反感を買うから謙遜しておくか・・・)

という設定で話せば言動不一致でも問題ない。


付き合ったりSEXしたりする人数がいきなり右肩上がりになるかはわからないが、それはそれとして。
少なくともモテると自己認定するだけなのでコストがまったく掛からない。

客観的に第三者が行動を逐一確認して、一定の基準を満たしている場合「あなたはモテてます」という判断を下すわけではないので、
勝手に自分で属性を決定しまえばいいだけ。

ルックスも収入も頭脳も人脈も性格もまったく関係ない。
逆にそれらをいくつか兼ね備えていても、モテてない人はいくらでもいる。

むしろ自分で自己効力感を高めて、肯定感が高い人は他人にも同様にポジティブな評価をあたえる傾向にあるので、
多少ナルシシスティックな方が性格がいいと思われるかもしれない。


試しに「今日1日はモテ男(女)になる」と決めたら、その通りに振る舞ってみる。
行動を何か特別変える必要はない。

つい脳内おしゃべりで卑屈になりそうだったら
「信じられないくらいモテてるのに、こんなどうでもいいことで悩んでる必要ないよな」
と自己肯定感を勝手に爆上げする。


「そんなことやってもどうせ現実は変わらないよ」という人はモテない人だと思うから、
せっかくノーコストで始められるのでおすすめ。
もしくは既にモテてはいるが、自分以外の人にモテてもらっては困る程度のエフィカシーしか持ってない人だと思う。
その場合は他人がどれだけモテてようが、自己評価は揺るがないということでOK
自己評価に見合った現実が展開すれば、他人のことは気にならなくなる。


15年以上前に2ちゃんのオカルト板でオナ禁マラソンスレを見つけて、
健康板とモテたい男の2箇所で日数報告に参加していたのを急に思い出した。

あの頃からだいぶ月日が経ったが、自己評価はいずれついてくるものなのだから最初から持っていても全然構わないと当時の自分に伝えたい。

そして健康板からジョセフ・マーフィの潜在意識スレなどスピリチュアル系に流れていったのはまた別の思い出話・・・



自重トレX小麦抜き「エサではなく食事を食べる」

カフェイン抜き、咀嚼や不食のときのように5chの過去ログを探したがうまく見つけることができなかった。
砂糖抜きに関してはブログ記事で実践している人を多く見かけるが、
小麦抜きはグルテンフリーが有名になっているからか、意識高い美容系()のような感じで
逆張りの逆張りみたいな意識が働いてアンダーな実践者は意外と少ないかもしれない。


シゲマロ通信というブログを発見した。
いくつか記事を拝見したところ共感するポイントが多く、実践している内容も重なる部分が多い。
餌と食事についての熱い記事を抜粋して(無断で)紹介。



>これからの世の中「食事をする人」と「餌を食べる人」に分断される
>食べ物の「質」が日常生活のパフォーマンスに大きく影響を与える

>質のいい食品は少量でもお腹も精神も満足する

>今の世の中は「奴隷を生産するための食品」「奴隷が他のものに消費をまわせるように価格を抑えた食品」で溢れている

>誰の奴隷かというと国、資本主義のシステム


>食事の定義は「食べた人を幸福感で満たし、なおかつ体がエネルギーで満ちてくる食品」

>対して餌は「腹を満たすだけ、必要な栄養を摂取できる類」
>「エネルギーを奪い体を疲れさせる食品」
>「便秘や肌荒れ、花粉症など体の機能にバグを起こす食品」

>筆者は共産主義でも社会主義でもなくリバタリアン
>>他者の身体や正当に所有された物質的、私的財産を侵害しない限り
>>各人が望むすべての行動は基本的に自由


>「餌」の代表例はパン、パスタつまり小麦

>現在の小麦は品種改良や遺伝子組み換えをおこない、人体に有害
>アヘンやヘロインなみの中毒症状がある

・抜け毛、ニキビ、偏頭痛、集中力の低下、食欲増進
・脳内麻薬による脳の活性化、ありえないレベルの血糖値上昇による内臓脂肪蓄積、軟骨の破壊、炎症による関節痛

>それらはじわじわと体を蝕むため数ヶ月、数年単位で捉える必要がある

>そうして起きた疾患を抑えるために

・抜け毛対策シャンプー、ニキビケア商品、インスリン注射、皮膚科の診察代、花粉症対策の空気清浄機

>などに支払うことになる
>製薬会社、食品会社、医療業界、化粧品会社へ支払う構造
>家畜ならぬ人畜をつくっている


>筋トレは苦手、熱い情熱など特にない
>トレーニングは「メンテ」的な要素をみたすから続けるだけ



自分の体を通して最近とくに実感していることを言語化してくれていたようで助かりましたね。

最近ちょっと避けているような過激な表現も他人の引用なら遠慮なくぶっ放せて爽快。


与えられた限りある生命時間だから、好きなように生きればいいと思うけれど
どう考えても非合理的な経緯で苦しみながら通院・投薬を続けて生活する人々をみると思うところはある。

自分の体で試して選択していくしかないが、食事や運動、休息といった人体に対する正しい姿勢を取り入れていくことで
「そもそもそんな面倒なもの必要なくない?」ということを大幅にカットできるメリットを享受したい。

私が子供の頃はフロンガスが地球温暖化の悪者だった気がするけど、
今はなぜか太陽光発電や電気自動車などと二酸化炭素排出規制が抱き合わせ商法されているなど
少し調べれば常識的にわかるレベルの話もある。

あまりに生活に深く根付いてしまっているから(1日3食や欧米化した食品など)疑うこともできない、もしくは変えることが容易ではないこともある。

「オナニー射精したら疲れてコンディションが悪くなる」みたいな精通後男性なら誰でもわかりきっていることだが、
恥や罪悪感やそれに対する開き直りなどが絡みあい、脱することができない類人猿もいる。

単に条件付けによる反射だから自己学習をし直すことで解除可能なものがほとんど。



長年染み付いてしまった姿勢や考え方を変えるのは容易いことではない。
真摯に受け止めて向き合って、正しいフォームに矯正し直すことで当たり前に受け取るべき健康や豊かさを享受するという生き方をしていきたい。

私自身も今なおその取り組みの過程。
示唆に富む生の言葉を綴った記事などあればまた引用したい。







2025年5月24日土曜日

夢の設定

いま断捨離の真っ只中で、以下のカテゴリに分けながら箱を振り分けている。
書籍、CD、DVDは保管の都合上分けてあるが、あとは自分なりのカテゴリで分類しないと全部ゴミに見えてきてしまうのでABC分類にした。

A.望まずに手に入れたもの
B.望んで手に入れたもの
C.まだ手に入れていないもの

Aは卒アルとか寄せ書きみたいないただきものがメイン。
自然発生的に手に入れた割には再現不可能なので、捨てることができない。

完全に忘れ去っていたのだが、アルバムや卒業写真のほかに賞状や卒業生代表の言葉(?)の原稿などがあった。
他人が評価するような内容で成果をそれなりに残していたのかもしれないが、
当の本人はほとんど覚えてなかったし、それを見てもさっぱり思い出せないことが多い。

通信簿のコメント欄に「asくんはムードメーカーでクラスの輪の中心で」というような決まりきった文言が書いてあったのには驚いた。
テンプレとはいえ、私はそんな陽キャなつもりはなく、スクールカースト圏外だった自覚しかない。

”認識変更によって過去が変わった”みたいなオカルト量子論な解釈を持ち出さなくても、
「自己認識と他人から見た印象が丸きり違っていた」と考えればいいのかもしれない。

他人から見れば陽キャっぽいのに、話してみたら自信なさげな陰キャだったら
なんか気持ち悪いしモテるわけないよなとふつうにおもった。


個人的に面白いのは後に仲良くなる人が数年前に同じクラスにいたこと。
あとは修学旅行の写真の中ではとても仲がよさそうに写っているのに、その後の卒業シーズンではまったく絡んでないように見えることも多々あることだ。

関係性の不確かさと脈絡のなさ、あとから振り返れば伏線回収的なものが見られて面白い。
面白くない人にとってはとことんどうでもいいはずなので、卒アルなんて嵩張るだけのものは速攻で捨ててるのかもしれないな。

たまに開いて眺めると思わぬ発見があるので、読み物としてひじょうに面白くて個人的には好き。


Bは子供の頃に買って捨てられない小さいおもちゃなど。
いちおう過去の夢日記はここに分類してある。

ある程度は意図的に、金銭と手間を惜しまなければ同等のものを手に入れられる可能性はある。

望んで手に入れたものがゴミに見えることほど悲惨なことはないので、
断捨離されるものが一番多いカテゴリながら、買ったものはできるだけBの箱に残れるように選別したい。



Cは意味不明ではありながら、主に趣味の活動に関するものが入っている。
まだ成し遂げていない現在進行形のこともここに入る。
これから書こうと思っていたり、取得しようと思っている資格試験だったりなど。

対価はともかくやりがいとか目標みたいなものは未来志向なので
Cカテゴリに関連するところから出てくる傾向にある。


Dカテゴリを作って、消耗品やストック品の枠をつくるとキリがなくなるので全部処分。
使うかわからないけどとっておいてあるUSBケーブルとか予備のボールペンとか。
そういうのが溜まると場所ばかり取るので全て捨てる。

季節ものや洋服、衛生品などの必需品はとりあえず別枠。大した量じゃない。
使ってない食器も大量に処分する。
割り箸やストローなどは(もらうことはほとんどないにしても)あっても邪魔なので全て捨てる。

同一カテゴリのジャンル違いは上限数を決める。
靴は3足。時計はフォーマルと普段使いの二つ。眼鏡は一つ。
カバンは旅行、フォーマル、カジュアルの3つ。
イヤホンは各バッグにひとつ入れていたけど、スマホで有線が使えなくなったし捨てるかな・・・


もう10年以上も前にかなり熱心に夢を記録していた。
なぜかスマホのメモだと鮮明に浮かばないので、仕方なく手書きをしていた。

その時の夢の記録の間のページに、何十回か記録した間で見られた傾向から
夢の設定について書き出してあったので箇条書き。



・夢でスマホを使うことがない
・楽器、コンタクトはある
・メガネがない
・財布はないがコインはよく見る
・空を飛ぶのはグライダー
・パソコンはよく見かける
・音楽は聴く
・食べる、飲む
・触れることはよくある
・英語を少し話せる
・アルファベットは想起できて揺らぎにくい
・数字も揺らぎにくい
・靴を履くシーンがない
・足元はほとんど見ないが、鏡はよく見かける(実像を反映していない)
・アナログ時計は見かけない
・デジタル時計はよく見るが、見るたび表記が揺らぐ
・重要度が低い懐かしい人が、いきなり仲良し設定で現れる(小、中、高の人間)
・女性は知らない人が50%くらい
・背景設定に夜、海、水、空が多い
・ナイフ、ライトセーバー、バットなどを多用する(自分にも他人にも致命傷は与えない)
・小さいものを飛ばしたり、簡単な破損を直したりできる
・ヨガ、マッサージ、カフェなど(当時よく習慣的に利用していた)場面は意外と出てこない




へぇと思いながら振り返ってみると今も夢でスマホを使って何かを調べたり、写真を撮ったりするようなシーンってないなと思った。

日常生活では毎日何時間も手にしていて慣れ親しんだ動作のはずなのに、考えてみると不思議だ。

夢の中でできないことは現実でもできないような気がしてる。
逆に現実でできることは夢でもたぶんできるし、物理的制約がない分自由度が高い。

これはイメージングなども同様で、イメージトレーニングを繰り返すことで
現実で体を使って動かすときに精度や確率が上がるということは理にかなっていると思う。


ものを整理したり捨てたりすることと、夢で見たことはほとんど関係ないように見える。

だけど引きで見た場合
「実現可能性と物理的制約」、「自分で設定している目標達成と不要なもの」、「忘れているけど実現したこと」
などほとんど同じテーマなのではないかと思える。

引き続き、現実的な設定を物理的に操作しながら思索していきたい。

断捨離これくしょん

引っ越しの準備も兼ねて掃除と片付けをしている。
物件情報を見るのが好きでついつい断捨離が疎かになってしまう。
土日で気合いを入れて捨てにかかっている。


人生において欲しいものや目標を定めるのは重要だけど、
いらないもの、不要なもの、必要ないもの(全部おなじ)を見定める方が遥かに重要だった。

大まかに4つにカテゴリを分ける

・1.手に入れようとして、手に入ったもの(獲得済みの願望)
・2.手に入れようとして、手に入ってないもの(願望)
・3.手に入れようとせず、手に入ったもの(意識していない願望、事実)
・4.手に入れようとせず、手に入ってないもの(視界に入っても気づかない)

3.手に入れようとせずに手に入れたものは言い換えれば
欲しいと思ったことすら忘れているもので、持っていて当然と思えるし、願望というよりはたんなる事実に近い。

今の自分を構成しているパーセンテージとしては比率デカい。
その人にとって得意な領域というのは、この3.領域に関連している比率が高そう。


断捨離ベースの話に戻す。
2.手に入っていない願望と4.視界にも入らない部分は今回は関係ない。

身の回りの環境はほぼそのまま自分なので、
獲得したものを棚卸しする作業になってくる。

欲しいと願って狙ったものは当然思い入れがあるし、手放しづらいのはわかる。
欲しいと思ったわけではないがいただいたものや手作りのもの、卒業アルバムや文集なども手放しづらいし、売れない。

こういったものは所有し続けても問題ないと思う。


どれもこれも大して重要じゃなく感じて、邪魔だから全部まとめて可燃ゴミで捨てたい気分だが、
それをやると後々後悔するので一旦冷静に。

身の回りのものは(観察する意識が物質を作っているという立場は一旦置いておいて)
昨日までの自分が選んだものだけで構成されている。

だから今後の未来とは関係がないのだが、所有することで自ずと関連してくる。

捨てるか売るかは思い入れとか希少価値とかは関係なく、
「今後も頻繁にそれを手に取るか」という観点からだけでジャッジしたい。

CDは聴くのか(データが損傷しても再び取り込むくらい好きなのか)
本は所有だけでなくちゃんと開いて読むのかなど。
その問いにNoになるものを片端から処分していく。

客観的な視点が入るほど「持っていた方がいいのではないか」という気になり
前後左右へと派生していくのでキリがなくなってしまう。


私は「綺麗に全部揃えたい衝動」があるな、と子供の頃から感じているので
古い遊戯王のレアカードくらいに留めておくように心がけている。たぶんコレクター気質があるんだとおもう。

デジモンの格好いいフィギュアとか欲しいけど、一体集めたらコンプリートするまで
際限なく集め続けてしまうし、フィギュアを飾るラックやアクリルボックスも欲しくなるし、
そのための部屋とか空調管理もしたくなるし、キリがなくなってしまう。

コレクター気質と僅差で”整理整頓マン”が勝っているから、たまに断捨離するだけで済んでいる。

知り合いのかなり年上の男性で、フィギュアやカメラ・ガジェットなどをジャンルレスに買い集める人がいる。

コレクターは例えば”通し番号でフルコンプリート”とか”キャラ縛り”とか”シーズン、年代縛り”とかなんらかのコンセプトをもって、コレクションを作り上げる。
自分でものづくりはしなくても、その独自の視点とコレクションするプロセスがオリジナルでクリエイティブになる。



知り合いの男性はまったく統一性がなく、管理方法も適当なので部屋に足を踏み入れると非常に(見ている方は)混乱する。

なんでDisneyとジブリとPIXARが一緒くたになってるんだ?
同じキャラのおもちゃが何体かグレード違いであるのに、同世代の他のアイテムがないのはなぜ?

となんだか気持ち悪くなってくる。
本人にとってはなんらかの一貫性があるはずなんだけど、長年見ていてもそれがわからずにいる。

お金があるのは確かで、どれもそれなりに高価なのだろうけど、
もっと年代やシリーズのコンセプトを絞れば有名コレクターになれそうなのにもったいないなと思う。



過去の自分が関心があったものが将来的にそうなるかはわからない。
もしまた関心が戻ってきたら、なんとしてでももう一度手に入れるはずなので
市販されているようなものは売るか処分してもほぼ問題ないと思う。

そんな感じで、今回はわりとシビアに処分を進めている。




2025年5月23日金曜日

夢日記再開

蓄精より長く(断続的に)続いている習慣はほとんどない。
趣味、日記くらいのものでたまに書いてはやめてを繰り返している夢日記もその一つ。

別に夢を書き留めたからといって、頭がおかしくなるとか(もうなっているかもしれないけど)
頭が良くなるとかはないと思われる。

日記にキーワードを書いておけば時間が経ってもその日のことを思い出せるのと同じように、
単純に夢を書き留めておくとその内容が何年経ってもかなり鮮明に思い起こせるというだけ。

そのときの感覚が他にはないかなり独特なものなので、遊び程度にやってみると面白いかもしれない。


夢を見ているときは眠りが浅く、変性意識状態いるので
見ている夢の内容よりも普段とは違う五感や物理的な制約を越えている思考など
いくつかヒントになるかもしれない。

いくつか趣味で書いている事柄やブログ記事のきっかけが
目覚める直前に見ていた夢を発端としてスタートしているものも少なくない。

いわゆる予知夢をはじめとする、他人が見ている夢に関してはあまり参考にならない。
同様に夢判断や夢分析(と称してWebサイトなどに掲載してある情報)もそれほど参考にならない。

あくまで個人内の体験や記憶をもとに関連付けを行っているので、
本当に参考にするなら長期的にプロの元に通って夢分析を行ってもらうしかないと思う。
コストが膨大にかかる割には、たぶん夢日記で得られる示唆と比べて大差ない気がする。

近い将来、夢見を含めて生体の反応や感情を元に、個人にカスタマイズされた管理マネジャーのような装置やツールは身近なものとして定着するのかもしれない。


集合無意識という概念は面白いが、個人的には採用していない。

・夢や瞑想状態で深く潜っていけば共通意識的なところにアクセスできる←これはなんとなく理解できる
・大勢の意志が未来の結果を変えることができる←パワープレイ的な発想!?


あくまで自分が体験している現実は個人の視点なので、解釈は無数に(人の数以上に)あると思う。

逆にたとえば「歯が抜ける夢」とか「髪が生え変わる夢」「追いかけられたり落ちたりする夢」とか一般的な解釈が大体当てはまりそうな夢は、例にある解釈を参考にしてもいいとも思う。

どうせ同世代の人間が見聞きしてきたものは同じような情報だし、人体の構造や人生のイベントも大差ないのだから、
夢にあらわれる事象の意味や解釈は一定のカテゴリに分けられる。


解釈や意味づけよりも体験・体感が、創造性やオリジナリティが獲得するものではなく
生得的な感覚そのものだという気づきへの入り口となる。


2025年5月21日水曜日

サカダチ

毎朝ちゃんとビンビンに逆立ちしている(朝立ちみたいに言うな)

最初の頃は頭にすぐ血が昇ってしまっていたが、体幹の引き締め方がわかってきて
充血感がなくなってきた。
心臓の勢いだけではなく、体全体を使ってゆっくりと重力の逆転に適応していくイメージ。


長い間蓄精していると忘れてしまうが、精液を定期的に放出しないということは
(ごくわずかではあるにしろ)会陰部、精嚢などに負荷をかけていることになると思う。
重量物を持ち運んでいるのだから重力プラス精子に対して、エネルギー的に下にかかる負荷がかかる。

その負荷を日常的に耐えつつ、呼吸法で下丹田から体の中心を通るエネルギーラインに沿って
背面から頭上、頭頂、体の前面を通して小周天を回していく。


単純に物理的に、体を上下逆さまにしてしまえば下丹田は上にくるので、
重力に沿って頭上へエネルギーを流していくのはさほど難しくなくなる。

しっかりとけつの穴を引き締めて、背中も腰にも圧力をかけている状態なので自然と集中力は高まっている。
たしかスターウォーズEP5のルーク・スカイウォーカーの修行シーンでも逆立ちしたままフォースを使う訓練があった気がする。

今までは腹圧と呼吸をうまく組み合わせて肺にめいっぱい空気を詰めて、
一気にシモから上へと爆流させる感じだったが、むしろ逆立ちしている方が自然に流せる。
腹式呼吸と流れる血を感じて上手く循環を促せるようになっていきたい。


たしかヨガのアーサナで三点倒立があって、
これがクンダリーニ瞑想などと相性が良く、インストラクターが上級コースの人にはレクチャーしてくれていた。

物理的な筋力と軽い体重を満たしていて、体幹と尻穴の引き締め感を感じつつ
会陰部に感じるムズムズした気持ちよさを全身に流していくというので
たしかにだいぶ上級向けだった。

アスリート体型の上級(婦)女子の方は何人かこのポーズができていた。
生理前は禁忌だが、それ以外は産後ケアも含めて骨盤のストレスや肩甲骨から腰にかけての冷えや凝りにも効く、ということだった。

筋力のあるはずの男性でできている会員はみたことがなかった。
そもそも男性会員が少なかったからかもしれない。

当時私は意外と一発でできたのだが、それは間違いなく蓄精のおかげだと思っている。

蓄精することで会陰部、肛門の引き締めは無意識に(普通の人よりは)行っているし、
それが姿勢や体幹にも地味に関わっているのだと想像している。


蓄精20日から60日くらいにかけて、何もしていないのに下の方にみなぎっていて
気を抜くと一気に射精してしまいそうな感覚を誰もが(蓄精していれば)少なからず体験したことがあると思う。

それを超えるには意志の力や環境の設定も大切だが、物理的に下半身のインナーマッスルを引き締めて
エネルギーがちんこ◯の先から出ないように無意識レベルで制御している必要がある。

だいぶ前にオナ禁止スレにいたころ一定期間を過ぎると一気に継続する人数が落ち込むのが不思議だった。

1週間とかは論外だとしても何度挑戦しても2、3ヶ月あたりでリセットしてしまう人と
そこを乗り越えて一気に180日とか200日にいく人との差が歴然とあった気がする。

多分インナーマッスルの使い方が肝になっていたのかもしれないと今では思う。

単に忙しすぎて禁欲どころじゃなくなってしまう人と、
暇すぎてつい遊んでしまう人とで分かれているだけかもしれないけど。









ミニマリズム

ミニマリスト(最小限主義)とマキシマイザー(最大追求)は対照的な概念として認識していた。
方向性は違いながらもストイックで、何かを突き詰める姿勢は似ているよなとは思っていたが、実は相反する概念でもないかもしれない。

いいとかわるいとか、正解不正解ではなくて、この界隈に対しての疑問と私なりの観察した結果についてフィードバック。


いわゆる古典的な片付け術としてなのか、
ものを持たないミニマリストが無駄の多い現代に対するアンチテーゼ的な美学なのか、
どういう文脈で語られるかによって印象が異なる。

個人的にはものを持たない(財布や冷蔵庫やデスク、寝具などの必需品を含め)のに、
スマホにアプリを入れて使っていたり、ブログや動画配信をしている人は
真の意味でミニマリストではないと考えている。

ある雑誌の記事を立ち読みよしていたところ、欧米からの移住者で田舎の家を買って住んで暮らしている人の生活がフューチャーされていた。

インフラは湧水のみ。電気やガス、インターネットは当然としてスマホや電話などを使用していなかった。
自分で農作物を育て、薪をとってきて火を起こし、夜は暗くなったら眠るというようなシンプルな生活をしていた。
カルチャースクールのようなものを主催していると読んだ気がするが、それも農業に関するものだったと思う。

モノも少なければ、直接会って話す以外のコミュニケーション手段もないし、
教え子とか取材に来る人とくらいしか繋がってなさそう(そもそも国外移住者なので血縁関係は日本に住んでなさそう)。
世俗的な煩わしさはほとんど無縁だと思った。

いわゆるミニマルな生活というのは、こういうことのなのかなと思う。


2010年代にネットで流行ったミニマリストというのは、個人事業主として働くエンジニア、
いわゆるノマドと相性が良かったからだけだと思う。
あまりものを持たずに、Macbookと無印良品を一着だけ持っているというような。

さらに住む場所にもとらわれないで、移住やIターンなどを取り入れて人気になったのがイケダハヤトさんのような意識高いブロガーだったようなイメージ。


2020年代のコロナ禍以降に流行ってきたのは、”持たない生活”というよりは”持たざる者がいかにスタイリッシュに見せるか”ということだと思う。

アメリカなどでは、近藤まりえさんのような片付け術が単に珍しかったのかもしれない。
あまりお金をかけずに、低コスパで暮らしを良く見せる。

所得を変えずに質的に高い生活を維持するためにも、不要なものを買わない。
そのためには所有物を整理するのは最短ルートだといえる。



そこからさらに発展した理論として「(片付けて)ものを少なくすれば(金運があがり)お金持ちになる」というものもある。
ここにはちょっと論理的な飛躍があると考えている。

参考画像を引っ張ってきた方が話が速い。





”ミニマリスト、部屋”というキーワードで検索した画像。
ミニマリストしぶさんと言う方のブログ。私が想像する典型的なミニマリスト。
(この方は著書も出しているらしい)ここで引用されている文言
”「ドラマの演出では『貧乏人の家』にはモノをわざと増やし、余白をなくすことで 『貧困』を表現する。逆に、豪邸のセットではモノを減らし、何も置いてない床の面積を増やして『余裕』を表現する」”

これは単純に床面積という絶対的な広さによる違い、収納容量の差が大きいと考える。


続いて下記。





なかなか適当な画像を出すのが難しいが”Luxury Room Simple Modern”などで検索。
『モダンリビング』という雑誌に出てくるような高級物件の部屋をイメージすればいいと思う。

両方とも良く片付けられた寝室、部屋の写真なのだけれど決定的な違いがある。
”ものが少ないかどうか”ではなくて”床面積”が圧倒的に違う。





以前いわゆる富裕層の方のお宅にお邪魔したり、生活感を伺ったりする機会があった。
都心部の賃貸あるいは分譲マンションに住んでいる方が多かった。
国内外の複数の物件を所有していたり、郊外にガレージハウスがあったりする方も多い。

メインの住まいも家賃数万とかのレベルではなくて、1億超だったり有名ホテルの経営でコンシェルジュがいるような住まいもある。

物件価値はブランドと立地、床面積でほぼ決まると言ってもいい。
そこに間取りや機能性、デザインなどの要素が入ってくるが、一定レベルの物件は全て高水準を満たす。

簡単にまとめるとお金持ちはものが少ないのではなくて、片付けられるくらい広い家に住んでいるだけで。
ものが多かったらそれを収容するスペースを用意できる、というだけだと思う。






標準偏差の図で考えるとわかりやすくて、
持つものと持たざるものはそれぞれの両極端に位置しているといえる。
ぱっと見の印象ではものがなくてスッキリしている家でも、質的にかなりの開きがある。

お金を無駄遣いしないからお金持ちになるし、
お金があれば質の高いものを買って長く使うから物は減る。

質の高いものは全体の流通量としては少ない(表の右端に位置する)ので、
そうそうたくさん買い揃える必要もなくなる。

高級外車や絵画や美術品などは、
維持コストも莫大になってくるので、高温多湿になりがちな日本の自宅でたくさん保管するには向かない。

有名Youtuberなど莫大な資産を持っていても、画面外では大量にモノや商品が散乱している場合もあるかもしれない。


基本的には支出より収入が上回ればお金持ちといえる。

ほとんどのお金持ちは銀行残高、固定支出、ローンや借入金などの資産状況を整理して適切な管理をしているだけの普通の人だという印象。

いろいろなパターンはあると思う。
一発に当てて派手に散財するタイプ、知財やロイヤリティなどの権利収入があるタイプ、
先祖代々土地を所有している地主一族、スポーツやアートや芸能関係で収入の桁が大きかったりするなどなど。

大きなインカムだけではなく、不動産や株式などのキャピタルゲインで複利を得るという方法は
たぶんお金持ちなら誰でもやっている。

それでも収入(≒資産)>支出という原則は変わらない。
個人的にはそこには掃除とか片付け力が直接的に関わっているようには思えなかった。

マメに管理したり記録したり、乱雑な状況をまとめられる。
必然と部屋も所有物も管理して整頓されるし、余裕があるから床じゃなくて大きな収納にしまっておける。


・巷で言われていることを鵜呑みにせず、いくつかの要因を紐解いて理解する
・今の自分の位置を正確に把握
・なりたい目標をとりあえず設定する
・そのギャップを埋める行動をする

それだけのことだが、それぞれの段階でそれなりに難しく、
実行を継続していくのがさらに難しいので結果的に大きな差が開いていく。

現実は意外とシンプルなことなのかなとおもう。

2025年5月20日火曜日

※※CLUB

米の価格が高騰しているとはいえ、仮に1日3回の主食を全て食パンに置き換えた場合、
米の方がまだコストパフォーマンスに優れていると思った。
全てパスタに置き換えた場合はもしかしたら米より安いかもしれないけれど、
満腹感の継続という点ではやはり米の方が上回ると思った。


ほとんど食べないか断食期間の方が体の調子はいいけれど、
一生食べないというのは無理だし、楽しみとしての食も嗜みたい。
だから一生パンやパスタなどを食べないということでもない。

自炊で米プラス魚菜食が一番財布にも体にも優しいだろうという今の所の結論。
外食も和食がいいので各牛丼チェーン店、大戸屋ややよい軒、譲歩してサイゼリヤのハンバーグかドリアのランチなどが無理なく続けるにはよさそうだ。

できれば無農薬の玄米を数日寝かせて発芽玄米にするといいが、かなりハードルが高くなったと感じる。
残留農薬のこともそうだし、酸性に傾きやすく消化不良になりやすいので常食には向かない。
一定期間集中してデトックスするにはいいが、トータルで見ると胚芽米が長く続けるにはバランスがよさそう。


「和食中心になると性欲が下がり、欲求がコントロールしやすくなる」という通説は半分は当たっていて、半分は外れているという体感がある。

エロ漫画やアダルトビデオに見られる激しい運動の末、男女が咆哮あげて射精で終わるというストーリーラインは、
ファストフードやジャンクフードと強く関連づいている。

それは延々とショート動画をスクロールする、もしくはクソみたいなパズルゲームをやっている指の動きと、
クリトリスや亀頭を中心に自慰行為する姿がリンクしているのと似ている。
刺激が強くてピーキーな反面、短期的で最大瞬間風速的な快楽。

和食はどちらかといえば静謐で穏やかになる傾向にあるが、性欲は依然として強く存在する。
居合や茶道のように、禅的で最小限で最大の美を表現したいという欲求が強化される。
形式や型そのものに意味があるとする姿勢であり、神社の鳥居から参道を女性器になぞらえているように
”参拝する”という非日常感を大切にする、という感覚。

誰もがそうかはわからない。
毎朝秋刀魚の蒲焼と納豆ご飯で激しい3Pで5回射精する人もいれば、ビッグマックとコカコーラでタントリックSEXを嗜む紳士もいるかもしれない。

あくまでイメージとして、質としての性エネルギーの変化が
食生活よってもたらされるというのは実感して確かにある。



食生活を決めてしまうと非常に楽だなと気づいた。
スーパーへ買い物へ行っても「今日はなににしようかな」という漠然としたマインドセットにならない。

「これは食べないから買わないでいい」というものがお店の80%くらいを占めるようになった。

パスタを買わなければパスタソースはいらないので関連する棚も見なくなる。
小麦が使われているスナック菓子類などはほぼ全滅するので、せんべいかポテトチップス、チョコレートくらいしか見る棚がない。
基本的に米と魚と野菜で満腹になるので、それもたまにしか買わない。

よく心理的盲点、スコトーマという原理で

「自分にとって重要な情報しか見ない。物理的に存在していたとしても無意識が知覚をシャットアウトする」

という説明がなされているが、まさにその通りで自分にとって重要度が変わると
普段通っているスーパーやコンビニ、街並みでも見え方がまるきり変わってしまう。


今のゴールは「できるだけ金銭的なコストをかけず、自力で短期間で筋肉によって増量する」というもので、
それに沿って動いている人の世界線になってくる。具体的な数値目標もその中に入ってくる。

そこから逆算するとどうしてもトレーニーっぽい思考になるし、逆にスコトーマが生まれてくる。
図書館で定期的に本を読んだり、好きな音楽を聴いたりする時間を削らないでおきたい。
そこに性的な遊び、セクシーな浪費が入り込む余地は全くない。


たぶん3ヶ月くらい(誤差は多分あり)で目標に達するので、次は同様に経済的な目標も設定していきたいと思う。
例えば「1年以内に収入XXX万円で、支出の内訳は項目ごとにそれぞれXX万円」みたいに。
実際には月ベースで目標設定に落とし込むと思う。
”年収”という臨場感は確定申告か年間契約しているものでしか個人的には体感できない。
Google oneなどの契約も年間契約だけど月毎に引き落としがあった気がする。違ったっけ?

事業者として申告することがあれば、年間でイメージをつくるかもしれない。
それでも按分して、月毎に支出やプールの比率を決めていくと思う。


普段から記録として支出のログはとってあるので、体感と絡めて目標を設定するのはそれほど難しくない。
達成するプロセスは知らない。

考えてみれば学生時代のアルバイトで「年収120万円達成する」みたいな目標ベースで動いてなかったので、単にそうしてないから見えていないことがたくさんあったというだけかもしれない。

大学時代で親類やパトロンや不労所得などで月々8万とか10万円ある人はけっこういた。
当時頑張ってシフトを詰め込んで、いろいろな条件が重なってもせいぜい月に13−15万円程度の収入にしかならず

「どうして何もしないのに(特別な血縁や資格やスキルなどないのに)お金が入るのだろう」

と不思議で仕方がなかった。
”月に12日シフトを入れて10万円稼ぐ学生”という役柄の世界線だと、”不労所得で8万円”という現実は全く見えなくなってしまう。
ほとんどおとぎ話や映画の世界に近い臨場感まで離れてしまう。

その人からすれば当然見えてるものが現実としてあるだけなので、不思議でも神秘でもなんでもなかったのだろうと今なら想像がつく。



この構造は今のWebマーケティング的な広告戦略ととても似ている。
検索履歴を反映した広告がページに出てくる、というようなものだ。

twitterはもうやっていないので詳しくないが、
多分フォローした人のツイートが時系列で並んでくるのでなくて、
ユーザーが関心のある項目が一定のアルゴリズムで表示されているのではないだろうか?

その人が見たいと思う情報だけがピックアップされ目の前に現れてきて、
その情報をまとめたものが現実としてその人の認知を形作っていく。

中央集権的な支配構造によるディストピア論を語りたいのではなくて、
その知覚の構造はそもそも人間の認知のデフォルトで機械的にそれを模倣したのだと思う。

あるいは宇宙情報としてそういう機能”本人が見たいと思う世界を創造する”が含まれていて、
逆に人間に有機的に、機械にはやや無機質に実装されたにすぎないのかもしれない。



2025年5月19日月曜日

職場で飯を食うのは自己実現の妨げ

以前勤めていた会社の事務所は、それぞれのデスクで昼食をとる方式だった。
フリーアドレスで社食があるような大企業とは違い、属人型の旧組織。
もちろんメリットもあるが、悪く言えばまったくメリハリがないといえる。

想像してみてもほしいのだけれど、たいていはLDKのダイニングテーブルで勉強をしたり、
寝室に置いたデスクで1日3食の食事をするというのはメリハリのある大人がすることなのだろうか?

物事には適材適所、というものがあって人は特定の環境に身を置くと脳のモードが切り替わる。
神聖な歴史ある境内でポン引きしたり、ラブホテルの派手な調光がメディテーションに向かなかったりするのと同じように。
ぼっちで便所メシより劣悪なのが「会社のPCデスクで昼飯」だと思う。


排泄行為を目的とした個室で昼食をとるよりも、受け電や電子メール、企画書や報告書を目的としたデスクで食事をする方が劣悪?

それは少しばかり誇張があるかもしれない。
だけどそれくらい自覚がないとメリハリというものは作り出せない。
この世のすべての営業所に社食を用意しろとまでは言わないまでも、
せめて最低限の環境を整備する努力はした方がいい。

空間的に難しければ時間設定をずらしたり、外食を時間外に設定して補助金を出すなどいくらでも方法はある。

メシを食うこととモノを書くことさえ分けられないようなオフィスで生活する人間が、
正確で素早いジャッジや行動を動機づけられるはずがないのだ。
基本的には瞬時に優先順位をつけて取捨選択していく意思決定と実行の場であるはずのオフィスが、
一人暮らしをはじめたばかりの学生が集まるサークル棟のような乱雑さでは話にならない。

あまつさえ”週末のお友達づくり感覚”で職場に来ている人間も少なくない。
個人的にこれは社会に出てもっとも驚いたことの一つだった。

大学のテニスサークルを新入生とSEXするために掛け持ちしているのと同じような感覚で、
「なんかいい人いないかな」というアンテナを職場で張るのはどうかと思う。

(「大学にそんなチンコ◯から四肢が生えたような奴いるのかよ」と思うけど実在していて、何人かと合体を済ませて速攻で捨てた後、悪い噂は一瞬で広まる。
少なくとも同じ学部の女子、もしかしたら全学年から嫌われる。下手したら他学部やインカレなら他の大学からもウザがられるという悪手といえる。)

ISO取得の一流企業や大手の外資系日本支社はそんなことないかもしれないが。

そんなことも言っても仕方がないけれど、自分が営業所を作るなら
アフォーダンス理論をベースに行動を最適化するためのオフィスづくりを徹底する。
というか今時、オフィスづくりをプロデュースする会社はいくらでもあるはずなので、
お茶飲み友達をつくるのではなく、生産性を追求するならそこと話し合って作った方がいい。


デスクメシ(タメシビキみたいな表記するな)について話を戻す。
一番鬱陶しかったのは、隣に座っているお局マダムがいちいち話かけてくることだ。

「今日のお弁当それだけ?」「雑談に加わってよ」

などと話しかけてきて、それが非常に煩わしかった。
良かれと思っているのはわかるけど・・・

その頃、私は市販のサラダと自作したおにぎりを持参していた。
大量に一気に作って冷凍して、前の日の夜に冷蔵庫に移して持っていくとランチのころにはちょうどいい感じなっているのだ。

やや年上の女性からすれば「若いんだからもっとガッツリ(?)したもの食べなよ」と言いたいのだろうけれど、
昼の12−13時に血糖値があがる食事をとると眠くなり、午後は活動できたものではないのは周知の事実だ。

昼は軽めに食べて、15−30分ほど仮眠をとって軽くストレッチすれば午後の4時間程度は
午前中と同じようなパフォーマンスを維持できる。


小麦を抜きにした食生活も相性がいいので、少し補足する。
ごはんは冷蔵、もしくは冷凍することでGI値が下がり血糖値の急上昇を防ぐことができる。

炊いてアルファ化したでんぷんを冷やして再度ベータ化することで、
消化酵素がアルファより働きにくくなる。体内への吸収がゆるやかとなる、ということでGI値が低くなる。

GIはグリセミック・インデックスGlycemic Indexの略で、値というニュアンスは元から略称に含まれている。
GIは食品を摂取したあと2時間で血液中に入る糖質の量のことで、
ブドウ糖を100として相対的にどの程度なのかを示したインデックスのことらしい。

GIが低いとインスリン分泌量を抑えられるので、膵臓や血管への負荷をおさえることができる。
白米はGIが70台なので高GI群に入るが、玄米は55らしい。
調べても冷たいご飯のGI値は出てこなかったが、血糖値の上昇はあたたかいご飯より低く抑えられているという結果は出ているようだ。

野菜から先に食べるベジファーストなどとあわせることで、急激に血糖値が上がりすぎないように気を付けることができる。


たまに息抜きしたり、だいたいは適当な人間だが、食生活を含めた心身にまつわるライフハック系への取り組みは、それこそ中学生くらいに頃に遡る。
昔から真剣に向き合っていたし今もそうだ。

マインドフルネスがシリコンバレーで流行るまでもなく、禅寺に行ったり自律訓練法や気功法を習ったり。
蓄精しているにも関わらず精液検査によって自己を経過観察するなど、
自己改善系は自分の中で追求していたい大きなテーマだ。

だからといって、事務所で話しかけてくるおばさんにいちいち背景を説明するのは面倒だ。

「あんまり昼は食いたくないんすよねぇ」程度ではぐらかしていたが、最終的には面倒すぎて車で昼休憩を取っていた。
断食期間になればさらに説明が面倒になること間違いなしだ。

車でご飯を食べたり、仮眠をとったり休憩室みたいな使い方をするのはあまり好きではなくて、
どちらかといえばオーディオルーム的な使い方の方が好みなのだが致し方がなかった。

なんだかんだと書いてきたが、結論はタイトルの通りだと思う。






1日あたり3000kcal程度を満たす、3日分の献立例

以下にグルテンフリーかつ1日あたり3000kcal程度を満たす、3日分の献立例を提示します。
いずれも主食は中心で、小麦製品は不使用です。

✅【Day 1】

朝食(約850kcal)

  • 白米 1.5合(約500kcal)

  • 納豆+生卵+醤油

  • 味噌汁(豆腐・わかめ)

  • バナナ1本+無糖ヨーグルト

昼食(約1100kcal)

  • 鶏もも肉の照り焼き(200g)

  • 白米 1.5合

  • ほうれん草のおひたし

  • アボカドとツナのサラダ(ごま油+塩)

夕食(約900kcal)

  • 焼き鮭(150g)

  • 白米 1合

  • 冷奴(ごま・ネギ)

  • かぼちゃの煮物

  • プロテイン1杯(水割り)


✅【Day 2】

朝食(約900kcal)

  • 玄米 1合+ゆかり

  • 卵焼き(卵3個)

  • 野菜スープ(人参、玉ねぎ、キャベツ)

  • バナナ+はちみつ

  • 豆乳(200ml)

昼食(約1100kcal)

  • 鯖の味噌煮(缶詰OK)

  • 白米 2合

  • 小松菜の炒めもの

  • 味噌汁(えのき・豆腐)

  • きんぴらごぼう

夕食(約1000kcal)

  • 豚ヒレ肉の生姜焼き(200g)

  • 白米 1合

  • 冷やしトマト

  • 干し芋(間食扱い)


✅【Day 3】

朝食(約850kcal)

  • 白米 1合

  • 納豆+卵黄

  • さつまいも(焼き、150g)

  • 味噌汁(あおさ・豆腐)

  • くるみ10粒

昼食(約1100kcal)

  • 鶏むね肉の味噌焼き(200g)

  • 白米 1.5合

  • ひじき煮

  • アボカドとトマトの和え物

  • プロテインドリンク

夕食(約1000kcal)

  • 鮭フレークと卵の炒飯(ごま油・白米1.5合)

  • 味噌汁

  • 枝豆(塩ゆで)

  • 黒ごまプリン or バナナ+きな粉豆乳



習慣化

トレーニング種目に逆立ちを加えて数日目だが早くも効果を感じている。
背筋と腹筋に力を入れながら圧をかけて呼吸すると性エネルギー系の呼吸をつかった瞑想と同じような感覚になる。

足裏から仙骨、背骨を通って頭頂に達するお馴染みの経路だ。
重力を利用して物理的に血流を変えることで、否応なしにその流れを意識することになる。

今まで億劫で避けていたがもっと早くから取り組んでいてもよかった。
いや、それには十分な筋力もリラックスしたときの身体感覚も伴っていなかったから、
私にとっては今が最適なタイミングだったのだろう。
何事も早すぎたり遅すぎたりすることなく、ジャストなタイミングで起こってくる。


小麦製品を抜いて体の調子が全パラメータが明らかによくなった。
睡眠の深さ、満腹に達する食事の量減少、満腹感の長続きなど3週間目以降も効果を実感する。

コーヒーや紅茶を飲んだ時に、会陰部から足裏のツボにかけて緩む感じがしていた。
空腹時にビールを飲んだり、射精でリセットした際も同じように感じることが多かった。

アルコールもカフェインも射精による物理的な快楽も、それぞれが依存性とダメージがワンセットになっている。

小麦抜きをはじめてからまだアルコールも射精も経験していないが、
カフェイン耐性はあきらかに高くなった。

コーヒーや紅茶を飲んでも、強い陰性を取り入れたときの”虚”の感じがない。
その代わりカフェイン特有の覚醒感覚、認知的な処理能力の向上やリラックス感も感じない。
胃腸が最適に働いていないと必要以上にカフェインなどの成分が通過していたのかもしれない。

この感覚は思春期より以前のお腹が空いたら食べて満腹、遊び疲れて朝まで寝るという健全なサイクルに一番近い。
どんなに蓄精日数を重ねても長らく経験していなかったものだ。
体質が本来の小学生モード的な状態になりつつあるのかもしれない。

排便の質、量の最適化については気づいた点として以前も書いたが、
放尿についても変わった。あ、お食事中の方ごめんなさい。
具体的には尿道を突き抜ける勢い、尿の太さが20%くらい上昇した感じ。
排尿が気持ちいい、と感じる原始的な快感を思い出した。


逆立ちや上半身を大きく使ったデクラインプッシュアップやハンドスタンドプッシュアップの練習のための椅子を使ったフォームを行った時の方が、
カフェインで血管を収縮して血流を上げた時よりも血流の増加を体感できる。

認知処理能力は不明だが、覚醒感覚は筋トレ+水シャワー>カフェインというのが圧倒的体感で伝わってくる。

複数の要因が合わさったことで勃起の強化、維持などの効果も副産物的に望めるかもしれない。

けっきょくどんなに性エネルギーを節約してチャージしても限界があって、
私の中ではせいぜい3−4ヶ月程度で頭打ち。背骨や肩や頭頂に”凝り”や”詰まり”があると無駄に散逸する部分も多いし、
けっきょくSEXやエロ行為で射精したくなってしまい、どんな環境にいてもその手段をとんでもなくクリエイティブに見つけてしまう。

最近行っている米魚菜食中心、しっかりと咀嚼する、自重トレというのは
戦国〜江戸あたりまでのウェイトトレーニングや洋食がなかった時代ではごくあたり前のことだと思う。
当たり前のことをやるのが一番難しいが、ようやくそれをしっかり地に足つけて実践する段階へときた気がする。


「よくない習慣をやめる」のと「望ましい習慣を取り入れる」というのは同じように見えても取り組み方が違っていて、
前者の方が最初は難しいが長期的には簡単、後者は三日坊主で終わる可能性が高い。
だから同時に取り入れることはあまりない。

「ジムに通う+プロテインを飲む」とか「エロ禁止とオナ禁をする」とかは関連領域なので、
同時に行った方が相乗効果が高いのはわかる。
それぞれ方法論がポジティブ、ネガティブに違いはあるが望ましい方向に向かっているのは一緒。

今回は小麦製品をやめることと筋力トレーニングの精度を高めることがワンセットになっているように思う。
ネガポジの両方が表裏一体になっている。

どちらか一方でももちろん十分だが、今の私にとっては望ましい自分の目標と習慣に沿って
行動レベルに落とし込んでみると

「体にとって要らないと思われるものは食べない」
「体が必要としている運動習慣は取り入れる」

という考えてみれば当たり前のことが表裏一体でほぼ同時期に出てきたのは理にかなっているように思う。


これで完成というわけではなく、今後も色々な実験と実践を行いたい。











2025年5月17日土曜日

八十歳の目標



E.Claptonのインタビュー。やはりとてもためになる。
常にアンテナを張りつつ、過去の栄光に浸らずに研鑽する姿勢。
毎日の蓄積の大切さをあらためて認識した。


動画で自分のトレーニング・フォームを撮って確認しながら進めるというのは効果覿面だった。
一つずつを丁寧に確実にこなすのは、ただ重量を上げたり回数を増やしたりするだけより遥かにキツい。

その分どこに悪い癖があるかが明確になるし、きちんと気をつけて正しいフォームをやろうとするので
数日で目に見えて効果があった。引き続き改善していきたい。

自重のメニューもいくつか見直して、ピストルスクワットとレッグレイズの他には
デクライン・プッシュアップと倒立を取り入れた。
とりあえず3ヶ月以内に倒立腕立て伏せを10回できるようになるのが目標。

近所に鉄棒かうんていがあればもっと背中に負荷をかけられるが、
公園が近くにないので、雨でも夜でも家でできる種目を
全身サーキットトレーニング的に構成する。

回数やセット数はその時の体調によって調整すればいいので、しっかりとは決めないが
3、4セットずつやって30分を超えない程度に抑えて、週6日から7日はやりたい。

自重は体重以上の負荷がかからないので、部位ごとに追い込むジムとはちがって
1日空けたりする必要は今の所ないようにおもう。

性格的にも1日休んだら2日休んでズルズルといってしまうタイプなので、
きつければ少しメニューをかえて(ただの腕立て腹筋にしたりなど)継続することに重点を置きたい。
トレーニングのために生活しているわけではないので、筋トレ至上主義ではないけれど、
休息、運動、食事は生きる上での基本的な三大要素だと思っている。
筋トレと食事をオーバーラップした領域は、なかやまきんに君がとても詳しくわかりやすい

休息、運動、食事という三大要素を満たした上で、
趣味、仕事、学習という三大オプションが初めてちゃんと回ると思う。

エネルギーを得る、使う、溜めるという基本的な要素も満たせるので気功のトレーニングにもなる。
受験生もサラリーマンも引退後も、フェーズによってバランスが変わるだけで全員が活かせる。


カリステニクスは”魅せる技”である上半身系の種目を追求する人が多く、下半身の重量はつけない人が多いらしいが
私としては効率や諸々の効果を考えて下半身のトレを最も重要視している。
ジムに通い始めて6ヶ月は下半身のマシーンしか使っていなかったくらい重視している。

ピストルスクワットなどシモの方に効くワザは欠かさず(関節などを痛めない程度に)続けていきたい。




いつのデータかは定かではないが、以下のようなスペックらしい。

身長:177cm
体重:72kg
BMI:22.9
推定体脂肪率:10%

身長は私の方が高いけれど、体重は10kgくらい違う。体脂肪率は11-12%くらいで推移している。
もし彼の体脂肪率が10%程度だとしたら、筋肉量がとても大きな比重を占めているのだと思う。
今の自分の体重にプラス15kg増量したといても、筋肉や水分で増やしていけばむしろ理想的だといえる。

達成したい数値的な目標と実際の理想的なイメージを関連づけて、
現状の自分をできるだけ正確に把握し、ギャップを埋めていくというプロセスを繰り返す。

「年収1000万円」という言語化できても臨場感は感じづらい。
都心家賃30万円台2LDKのマンション、地下駐車場にはBMWかAudiのSUVモデル、出勤前はナチュラルローソン、食材は成城石井か無印で仕入れる
とかの方がイメージしやすいのと似ている。実際はどうかは知らないけど。

今自分が住んでいる家が駅からバスで15分の西武池袋線沿いで、軽自動車、西友かまいばすけっとで食材を購入しているのであれば、
イメージから引き算すればギャップを計算することができる(数年前の実生活かよ)

具体的なイメージを持って、できるだけ数値と関連づけて
結果を先取りしながらうまくスライドしていきたい。


人間を特徴づけるのは脳と手を使うことだ。
それは火を使って調理をしてさまざまな食材を消化吸収できるようになったり、
あるいはブルースロックをギターで弾くことまで幅広くカバーする。

それは二足歩行をバランスよくおこない、両手を自由に扱えるという技能で可能になる。

Claptonの「瞑想的に深呼吸をして、たくさん歩くことが健康の秘訣」という言葉にならい
八十歳になっても自分の足でしっかりと歩いて、深く呼吸をしていることを目標に積み重ねていきたい。